オピニオン

オピニオン

カテゴリのアイコンをクリックするとテーマごとに記事が並びます。

[年頭の言葉]会長になって初の新年 日本会議を思う(谷口 智彦)[日本語・英語版]

谷口智彦会長コーナー

[年頭の言葉]会長になって初の新年 日本会議を思う

日本会議会長 谷口 智彦
※[英訳版を日本版の下に続いて掲載しています。


■明治記念館――。
 私が最初に言ったのは

明治記念館の一室で日本会議会長になるよう依頼を受けた時は、びっくりしました。
「私なんかよりもっと知名度の高い方かたの方がよくはありませんか」と申しました。「大きな組織を長として率いた経験だってありませんよ」とも。
この二点目については少々。
東京大学法学部を私の年、昭和56(1981)年に出た者は大体、大手企業、金融機関、中央官庁に進むか、法曹になるかしたものでしたが、わたしはそれらがみなイヤでした。
昭和51年、大学1年生の秋から、佐藤勝巳という人の小さな研究所兼雑誌社へ、無償で手伝いに行っていました。
雑誌づくりは性に合っていました。自分における徹夜の才に気づいたのはこの頃です。
5年かかって卒業にこぎつけるまでには一応戦力化していたものですから、居残って専従になってくれと請われるまま、私は就職活動など一切せずその道を選び、ごく機嫌良く、そこへ「就職」したのです。
同じ佐藤氏が、新潟で講演した際に横田めぐみさんのことを初めて知るのは大分後のこと。そのときには、私はもう別の仕事(『日経ビジネス』記者)をしていました。
以来いくつも職場を変えた私は振り返って思うに、よほど辛抱のきかない人間でした。
ひとつところにじっとしていられない性分、飽きっぽい性格だったと、認めるよりありません。だったら日本会議もすぐ飽きてしまうのかと訝(いぶか)られた方、ご心配無用です。すぐあとに、覚悟を書きます。

■組織の長、管理職としての経験は皆無。それでも―

好きなこと、得意か、少なくとも不得手ではないこと、やっていて苦にならないか楽しいことしか、してこなかったと言ってもかまいません。
例えば上司に誘われて呑めない酒を付き合う、休日は仕事絡みのゴルフに行くといった、多くの人が難なくこなし苦にしないことをわたしはしませんでした。いえ、できませんでした。
でも注釈を加えておくと、YOASOBIでもSEKAINOOWARIでも、中島みゆきや石川さゆり、布施明でも、歌うのは好きです。お酒抜きで、いつでも可の状態です。
好きなことしかしない人生のどの時点でも、組織の長、管理職として過ごす経験とは無縁できてしまいました。外務省で、安倍晋三総理官邸で、いずれも幹部の一翼を担ったとはいえ、外相や首相を支えるスタッフであっても、自らリーダーだったのではありませんでした。
「そんな人間なんですよ、それでもいいんですか」と、わたしは申し上げました。とはいえ言いつつすでに、「これは自分に訪れた大きな運命だ」と、内心の声は聞こえていたのです。
その夜、日付が変わってすぐでした。生々しい現実感を伴って安倍総理が夢に現れ、「あ、それはね、とっても大切な役目ですからね、谷口さん、ぜひ受けるといいですよ」と言ったということ、奇(く)しくもそれはわたし自身の誕生日で、故総理の享年をとうとう上回ってしまったその瞬間だったということは、いつぞや本誌に「就任の弁」として書きました。
かくして皆様は、さして知名度があるでなし、組織人としてはついに未成熟のワタクシに、会長のかんむりというか、シャッポ(帽子)をかぶせておしまいには、あいなりぬ。
ここからは、かんむり=帽子のかぶり心地の話になります。

■会長の「帽子」をかぶる覚悟と決意

第一に、かんむりと申したのは言葉の綾で、これは皆様ご承知のとおり金かね目め のものではありません。浄財を元につつましく生きている組織にいかにも似つかわしいものです。そこで以後は帽子で通します。
第二に、だからといって、少々の風で吹き飛ばされる類いの軽いものではない。それどころか大変重いものだということを実感しつつあるところです。
前任の田久保忠衛さんもそうでしたけれど、私が帽子を脱ぐとしたら、最後の息を引き取るときのことでしょう。
死とは私にとってどこまでも私事であって、他者の介在を許したくないなにものかでした。その点に潔癖を維持したいと思っていましたが、もうそうはいかないようです。仮に死期を悟って事前にお役目を返上していたとしても、日本会議会長だった事実は残る。このことに少しこう、ずっしりと、重いものを感じています。感じは、消えずに残ると思います。
帽子のかぶり心地について三つ目の、そして最後の感想を申しますと、皆様は誰かがこの帽子をかぶって世間に押し出てくれるのを待っておられたということです。そのことに、随所で気づかされつつあります。
ですからこれは自分がかぶっている帽子ではあるけれども、皆さんにとって必要な帽子だったのだと悟り、しっかりかぶっていかなきゃならんぞと自覚を促されつつあるわけです。
ではどうして、日本会議会長の新たな登場が待ち望まれていたのでしょうか。待望されていたという私の観察において間違いがなければ、それはどうしてだったのでしょうか。

■驚くことに事欠かない本会の真姿

思いますにそれは、日本会議の活動を支え、担っている一人ひとりが、金銭的報酬と無縁、世間的名望とも関わりがなく、直接の見返りといって特段なにもないそんな時間と手間ばかりかかる活動に、身をささげてきたことの裏返しでしょう。
会長になって以来、驚くことに事欠きません。例えば両陛下の行幸をお迎えしようと沿道に並ぶたくさんの人たち、老若男女に日の丸の小旗を手渡したり、陛下の車列が近づいたのを知らせる手伝いをするのは、多くの場合に、日本会議の皆さんだったとは。
それからこれは学生時代から見知っている西岡力さんに直接言われたことですが、拉致被害者を救う活動で各地に出向き集会をする、街頭で署名を集めるといった大衆行動をする際、必ずといってよいほど日本会議の世話になってきたのだと。
同活動を長年ひっぱってきた西岡さんいわく、「日本会議がないと何もできなかったのに、そのことをひけらかしたりするというところが日本会議のメンバーには全然ない。ホントにエライ人たちなんです」。
私はなるほどと思いました。無名にして無私の活動にまるで祈りを──日本よ良い国なれかしという祈りをこめるようにしてたずさわりながら、その自分たちの活動を会長として代表する人が不在のままであるということに寂しいような、時として割り切れない思いを抱く方があったに違いない、だからこそ、私ごとき者でも、その会長就任をことのほか喜んでくれるのだと、そう感得したのです。

■現代の「尊皇」の集団としての私たちは

私たちは天皇さまと、そのご一家を大切に思う集団です。
その一点で人後に落ちないという自覚・誇りをもっている。
ですから幕末の用語を用いるなら、尊皇の集団です。
けれども自分たちは何々主義者であると漢語で規定することに、私はためらいを覚えます。幕末における「尊皇」とは、「佐幕」、つまり徳川幕府を守る立場に反対する主義のことでした。政治的対立の、遂には流血の対決に至る力学における言葉だったわけです。
それでなくても、漢語を用いると、何かこう、肩をそびやかすような、まなじりを決するような悲壮感が漂います。それに自分で酔いしれてしまうと、これは「小児病」の類いです。
尊皇の思いにおいて人後に落ちない私たちは、目をつり上げるより頬を緩め、悲壮になるよりも楽天的でいられる、いつも心にゆとりのある人間たちでいたいと思うものですが、皆さまはいかが思われますか。そうした快活さが、また天皇ご一家はじめ皇族のみなさまのものでもあってほしいと、それが私たちの願いでもあるわけです。

■覚悟と信念を持つ堅固で快活な集まりを信条に

この先の20年が、わが国にとって伸(の)るか反(そ)るかの時期です。
2049年、共産チャイナは創建百周年を迎えます。習近平は96歳になる年です。できればそれまで生きて、かつまた健康で、おのれ自身の手で国家的祝賀を取り仕切りたいと熱望していることでしょう。
自国を世界一に押し上げるという習近平のいわゆる「チャイナ・ドリーム」は、台湾をわがものにしない限り画(が)餅(べい)に帰します。この先いろんなことに目鼻がつく2045年ごろまでが、つまり向後20年こそは、チャイナが身もだえし、あたり構わず力を振り回して、なにがなんでも台湾を併呑したいと大勝負に出る時期です。
だからこそ私たち日本会議に集う者は、覚悟と信念の堅固な集まりでなくてはならない。しかしそれでもなお、心にゆとりをなくすことなく、快活を信条として進んでいくべきだと思うのです。悲観主義の集団になんかなってなるものか、です。

■日本会議の旗は世界が信奉する旗に

日本はどこからどう見ても、世界の中で比較を絶して長い伝統をもつ国だからで、そのことに思い及んで日本に生まれて良かったと思えるなら、悲観主義は私たちに似合わないことが納得できるからです。
世界を見回しても、日本には堅固な同盟相手があれば心からわかりあえる友邦がいて、いつでも助けに来てくれる仲間がいます。東日本大震災のあと世界が寄せてくれた同情は、人類史に特筆される規模でした。
それにひきかえチャイナは可哀想です。恐がっておべんちゃらを言う国はたくさんあるけれど、仲間と呼べる国、ましてや同盟相手の国はひとつとしてありません。習近平またしかり。心を許せる同輩を一人としてもたない世界一孤独な人です。
ですから私たちは自信をもっていい。さらにいうなら、多様性から一体性へ、グローバリズムからアイデンティティへ、世界の思潮はここ数年で大きく変わりました。日本会議が半世紀掲げてきた旗は、世界の多くで信奉される旗となったのですから、慶賀すべきです。

■50年力を合わせてきた団体の皆様と共に

今年は9月、日本を守る会結成50周年と日本会議設立30周年をそれぞれ1年ずつ後ろ倒し、前倒しして祝う一大イベントを予定しています。一口に50年といいますが、発足の頃からずっと担ってきたあの方、そしてこの方、また共に力を合わせてきた団体の皆さまのお顔を少しは具体的に思い起こせるようになったいま、ひたすら敬服の念がわいてまいります。
この先50年を展望する年ともしようと、おのずと総意ができてきました。このあたりは、継続と伝統をもって尊しとする日本会議の底を流れる信条がよく表れたところだと思います。
今年18歳を迎えて有権者となる若者は、50年どころか80年はゆうに生き、22世紀を見届ける人たちです。皇統をいま、本当に安定的なものとして、22世紀の日本にあっても、今までと同様、日本を日本たらしめてくれる存在でいてくださるよう、私たちの努力が必要です。

■元旦の計―今から50年後の日本を、世界を展望して

今から50年後の2070年代半ばまでには、天皇陛下となられた悠仁さまのご一家に健やかな男児が幾人かおられ、また旧男性皇族で皇室にお入りになった方がそれぞれの宮家で幾人かやはり男児をもうけられ、悠久の皇統の、そのまた先行きに不安のなくなっていることを望みます。皇室のみなさまは、祖霊を敬まって歌をよまれ、長い伝統を受け継いでいこうとなさっておいでのことでしょう。
チャイナの行く末は神のみぞ知る。でもインドはチャイナをしのぐ大国となって、それでも日本と心の紐を維持し、困ったときに助け合う関係を保っています。アメリカまたしかり。アメリカは陰の極まで落ちたら、また大きく上昇する国です。日米同盟にもとづいて、アメリカしっかりせいと言いましょう。
そして日本は、君が代を歌うにも日の丸を掲げるにも、妙な衒(てら)いやためらいがない国にきっとなっています。いえ、私たちの力で、そんな国にしていきたいものです。元旦の計でした。

― 英語版 ―――――――

Wearing the Hat: A New Year’s Reflection from Nippon Kaigi

Tomohiko Taniguchi

On assuming a role never sought, the meaning of quiet civic devotion, and why cheerfulnessnot pessimismshould guide Japan in an age of strategic pressure.

When I was asked to wear the hat of chairman, I hesitatednot because the role lacked importance, but because I had never imagined myself as its bearer. Yet some responsibilities are not chosen; they are entrusted. In reflecting on my first New Year in this position, I have come to see the hat not as a symbol of authority, but as one of serviceshaped by tradition, sustained by volunteers, and heavy with expectation.

When I was asked, in a room at the Meiji Kinenkan, to assume the position of Chairman of Nippon Kaigi, I was genuinely taken aback. “Would it not be better,” I replied, “to ask someone far better known than myself?” I also added, “I have never led a large organisation as its head.”

As to the second point, a word of explanation.

Those who graduated from the Faculty of Law at the University of Tokyo in my cohort1981generally went on to join major corporations, financial institutions, central government ministries, or the legal profession. I found none of those paths appealing.

Beginning in the autumn of my first year at university, in 1976, I worked without pay at a small research institute and magazine publisher run by a man named SATO Katsumi. Being a magazine editor suited me well. It was during that period that I discovered I had a certain talent for working through the night.

By the time I finally managed to graduateafter five yearsI had become a fairly experienced editor. When I was asked to remain on as a full-time staff member, I chose that path without hesitation, made no attempt whatsoever at job-hunting, and cheerfully took up what could, if one stretched the definition, be called “employment”.

It was much later that Mr SATO, whilst delivering a speech in Niigata, discovered the case of YOKOTA Megumi, the girl North Korea had abducted when she was only thirteen. By then, I had already moved on to another job, as a reporter for Nikkei Business.

Looking back now, having changed workplaces many times since, I must admit that I was not a man given to staying put. I lacked the temperament to remain settled in one place for long, and had a disposition that tired easily of routine.

If anyone therefore wondered whether I might soon tire of Nippon Kaigi as well, there is no need for concern. I shall explain why shortly.

It would not be an exaggeration to say that I have done only what I liked, what I was good ator at least not poor atand what I found neither painful nor burdensome, but genuinely enjoyable.

For example, I did notindeed, could notdo things that many people accept without complaint: accompanying one’s superior to drink alcohol one cannot stomach, or spending weekends on work-related golf outings.

By way of annotation, however: whether it be YOASOBI or SEKAI NO OWARI, or NAKAJIMA Miyuki, ISHIKAWA Sayuri, or FUSE Akira, I do enjoy singing. Alcohol is entirely unnecessary; I am always ready.

At no point in a life devoted to doing only what I liked did I acquire experience as the head of an organisation or as a managerial figure. Even though I served as part of the senior ranks at the Ministry of Foreign Affairs and later at Prime Minister ABE Shinzo’s Office, I was always a member of the staff supporting the foreign minister or the prime ministernot a leader in my own right.

“This is the sort of person I am,” I said. “Is that truly acceptable?” Yet even as I spoke those words, I could already hear an inner voice telling me: this is a great destiny that has come to you.

That very night, just after the date changed, Prime Minister ABE appeared in my dream with vivid immediacy and said, “Ah, that is an exceedingly important role, TANIGUCHI-san. You should certainly accept it.”

As I wrote elsewhere, this moment coincideduncannilywith my birthday, and with the instant at which I finally surpassed the late Prime Minister’s age at death.

And thus it came to pass that you placed upon the head of a man neither widely known nor fully formed as an organisational leader the crownor perhaps the hatof Chairman.

From here on, I shall speak of how that hat feels when worn.

First, when I say “crown,” this is merely a turn of phrase. As you all know, it is not an object of material value. It is fitting for an organisation sustained by modest, voluntary contributions and membership fees, freely given. Henceforth, I shall call it a hat.

Second, that does not mean it is light enough to be blown away by a passing breeze. On the contrary, I have come to realise that it is very heavy indeed.

Like my predecessor, TAKUBO Tadae, I expect to remove this hat only when I draw my final breath.

Death, to me, had always been an entirely private mattersomething into which I wished no one else to intrude. I had hoped to preserve that sense of purity. But it seems that is no longer possible. Even if I were to foresee my death and relinquish my duties in advance, the fact that I served as Chairman of Nippon Kaigi would remain. That reality sits heavily with me, and I believe that sense of weight will not fade.

My third and final observation on the feel of this hat is this: many of you had been waiting for someoneanyoneto wear it and step forward into public view. I have been made aware of this time and again.

I have come to realise, therefore, that while it is a hat I wear, it is one you needed. And so I find myself repeatedly reminding myself that I must wear it firmly and without hesitation.

Why, then, was the appearance of a new Chairman of Nippon Kaigi so eagerly awaited? If my observation is correct, what lay behind that expectation?

I believe it reflects the fact that each and every person who supports and sustains Nippon Kaigi has devoted themselves to activities that bring neither financial reward nor public recognitionactivities that demand time and effort, yet offer no tangible return.

Since assuming the chairmanship, I have had no shortage of finding something new. For instance, I finally understood who it was that lined the streets to welcome Their Majesties’ visits: the many people, young and old, who hand out small Hinomaru flags along the roadside, or help alert those waiting when the Imperial motorcade is approachingmore often than not, it was members of Nippon Kaigi.

Then there was something told to me directly by NISHIOKA Tsutomu, whom I have known since our student days. In organising rallies across the country, gathering signatures in the streets, and conducting mass actions to rescue victims of abduction, he said, Nippon Kaigi’s assistance had almost always been indispensable.

As NISHIOKA, who has led those efforts for many years, put it: without Nippon Kaigi, nothing could have been done. Yet its members never boast of that fact. They truly are admirable people.

I understood at once. Those who engage in nameless, selfless activityalmost as though offering a prayer that Japan may be a good countrymust at times have felt a quiet loneliness, even a sense that something was missing, in having no one to stand before the world as their representative. That, I sensed, was why they welcomed my appointment so warmly, unworthy though I may be.

We are a group that holds the Emperor and his family dear. In that respect, we knowand take pride in knowingthat we yield to no one.

If one were to borrow the language of the Bakumatsuor the end of the Tokugawa erawe might be called a group devoted to revering the Emperor.

Yet I hesitate to define ourselves using what are often called kanji-go, a combination of stiff-sounding Chinese characters. In the Bakumatsu period, such terms signified a political dynamism, opposed to the incumbent Tokugawa shogunate, and were embedded in forces that ultimately led to bloodshed.

Moreover, such language tends to convey a mood of excessive earnestness, of squared shoulders and fixed resolve. To become absorbed in it is an infantile disorder.

We who are second to none in our devotion to the Emperor should relax our cheeks rather than raise our brows, remain optimists rather than pessimists, and always keep a sense of spaciousness in our hearts. Would you not agree? I know that many of you hope that such brightness is also what the Imperial Family themselves live with.

The next twenty years will determine whether our nation rises or falls.

In 2049, Communist China will mark the centenary of its founding. XI Jinping will be ninety-six years old. He surely wishes to live until then, remain healthy, and personally preside over the national celebrations.

XI’s so-called China Dream of elevating his country to the world’s foremost power will remain an empty vision unless Taiwan is brought under his control. The years leading up to around 2045the next two decadeswill therefore be the period in which China strains, lashes out indiscriminately, and stakes everything on absorbing Taiwan by any means possible.

That is why those of us gathered in Nippon Kaigi must be a body of firm resolve and unshakable conviction. And yet even so, we must not lose our composure. We should advance with cheerfulness as our creed. We will not become a collective defined by pessimism.

Japan, after all, is a country with an unparalleled continuity of tradition in the world. When one reflects upon that and feels grateful to have been born Japanese, one easily comes to understand that pessimism no longer suits us.

Looking around the world, Japan has steadfast allies and trusted friends, companions who will come to our aid when needed. The sympathy shown by the international community after the Great East Japan Earthquake was of a scale worthy of special note in human history.

China, by contrast, is a lonely country. Many nations fear it and offer flattery, but it has not a single true ally, nor a country it can genuinely call a friend. The same is true of XI Jinping himself. He has no peer in whom he can confide and stands as one of the most isolated leaders in the world.

We may therefore be confident. More than that, in recent years the world’s intellectual current has shifted decisivelyfrom diversity toward cohesion, from globalism toward identity. The banner that Nippon Kaigi has upheld for half a century has now become one embraced in many parts of the world. That is something to be celebrated.

This September, we plan a major event to commemorate, with a one-year adjustment in timing, the fiftieth anniversary of Nihon wo Mamoru Kai, a group of people wishing to protect Japan, and the thirtieth anniversary of Nippon Kaigi. Fifty years may sound abstract, but now that I can vividly recall the faces of those who have borne this cause from the beginning, as well as the organisations that have worked alongside them, I feel nothing but deep admiration.

It has naturally become our shared understanding that this should also be a year in which we look ahead to the next fifty years. In this, one can clearly see the underlying creed of Nippon Kaigi: reverence for continuity and tradition.

Young people turning eighteen this year and becoming voters will live not merely another fifty years, but likely eighty, and will see the twenty-second century. It is incumbent upon us to ensure that the Imperial lineage remains truly stable, so that even in twenty-second-century Japan it will continue, as it has until now, to make Japan Japan.

By the mid-2070s, fifty years from now, I hope that His Imperial Highness Prince HISAHITO, by then Emperor, will have several healthy sons in his family; that former male members of the Imperial family who return to the household will likewise have sons in their respective branches; and that all uncertainty about the future of the unbroken Imperial line will have vanished. The members of the Imperial Family, I trust, will continue to honour the ancestral spirits, cherish poetry, and carry forward their long tradition.

China’s future is known only to the gods. But India will surpass China as a great power, while maintaining a bond of the heart with Japan and a relationship in which we help one another in times of need. The same holds true for the United States. America is a country that, having fallen to its depths, rises again. On the basis of the JapanU.S. alliance, we should not hesitate to tell America to steady itself.

And Japan will surely become a country where singing Kimigayo or raising the Hinomaru involves no affectation or hesitation. Indeed, it is our wishand our resolveto make it so by our own efforts. Such was my New Year’s reflection.

Profile

Appointed in July 2025 as the fifth Chairman of Nippon Kaigi. Specially Appointed Professor at the University of Tsukuba; Special Adviser to the Fujitsu Future Studies Center. Born in Kagawa Prefecture in 1957. Graduate of the Faculty of Law, University of Tokyo. Former economic magazine journalist; Ministry of Foreign Affairs official; full-time adviser to JR Central; professor at Keio University Graduate School. Served as Cabinet Councillor and Special Adviser during Prime Minister ABE Shinzo’s second administration, where he was responsible for drafting the Prime Minister’s foreign policy speeches. Author of Abe Prime Minister’s Speeches, among other works.


Note This is a complete English translation of an article titled “My First New Year as Chairman: Reflections on Nippon Kaigi,” originally published in the January 2026 issue of Nihon no Ibuki, a monthly magazine for members of Nippon Kaigi.

【動画】安倍総理がその言葉に託した想いとは?谷口会長が語るスピーチ執筆の舞台裏

谷口智彦会長コーナー

【動画】安倍総理がその言葉に託した想いとは?谷口会長が語るスピーチ執筆の舞台裏

谷口会長の著書『安倍総理のスピーチ』より、安倍総理の「日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ」のフレーズが生まれた舞台裏について紹介いたします。

 

『安倍総理のスピーチ』(文春新書)谷口智彦著
アメリカ議会演説、戦後70年談話、ヒロシマと真珠湾で交わした和解スピーチ、全国戦没者追悼式式辞――「総理のスピーチライター」谷口氏が明かす、安倍外交の舞台裏、演説に込めた総理の思い。

[令和8年度を迎えるにあたって]自民・維新連立政権の政策実現に期待します

永田町情報

[令和8年度を迎えるにあたって]
自民・維新連立政権の政策実現に期待します

自由民主党と日本維新の会が連立にあたり、強く豊かな日本を甦らせ、世界に咲き誇る日本を目指し、12テーマの政策合意の実現に向けて日々尽力されていることに敬意を表します。

特に自由で開かれたインド太平洋構想を掲げ、力による現状変更を許すことなく、我が国の平和と独立を守り抜くための外交安全保障政策や、憲法改正へ向けた努力を評価します。
さらに我が国の伝統に基づく皇室制度、家族制度の実現や、国旗その他国章の尊重を掲げている点は、戦後長く置き去りにされた課題であるだけに、一日も早く合意内容が実現することを期待します。

あわせて国民生活の向上と力強い日本経済をつくるため、日本が得意とする産業・技術分野への積極的投資を行い、自前のエネルギー基盤の確立、国益を守る観点からの経済安全保障政策とインテリジェンス改革、外国人の違法行為やルール逸脱には秩序ある共生をめざすなど、果敢に挑戦する取り組みに賛同します。

令和8年は、昭和改元から起算し満100年に当たり、4月29日には政府主催の昭和100年記念式典が開催されます。

この記念すべき年に当たり、改めて昭和天皇と昭和を生きた同胞が歩んだ戦争の苦難と、占領、復興、繁栄の歩みを振り返り、国家の基盤を強固にしていく年になることを願います。
令和8年は丙午(ひのえうま)にあたりますが、古来、太陽が明るく輝き、冒険や挑戦といった活力みなぎる年といわれています。
政府と国会が、国家の根幹にかかわる様々な諸課題に挑戦し、着実に成果を挙げる1年となるよう期待します。

 

令和8年度 連立政権が取り組む政策についてのコメント

①皇室制度について、政府報告書に基づき、皇統に属する男系男子を皇族とする案を重視し、国会の合意形成に向けての取り組みに賛同します。

②憲法改正について、緊急事態条項創設、九条改正へ向けた改正条文案を起草する取り組みに賛同します。

③家族制度について、婚姻前の旧姓使用に法的効力を与える制度を実現し、不便さの解消を目指す取り組みに賛同します。

④「日本国国章損壊罪」について、国旗及び国章を尊重するための刑法への規定の新設に賛同します。

⑤外交安全保障について、戦略三文書の改定、防衛力の着実な整備、「装備移転三原則」見直し、自衛官の処遇改善や同志国との連携強化を図り、戦争を抑止し国際社会の平和と安定を目指す取り組みに賛同します。

⑥インテリジェンス政策について、国家情報局・国家情報会議の設置、対外情報庁の創設、インテリジェンス・スパイ防止法制の制定など、直接・間接の侵略を阻止する取り組みに賛同します。

⑦外国人政策について、外国人材受け入れの総量規制、違法行為や制度の濫用・悪用への対応強化、外国による不動産取得の可視化など、国民が公平公正さを実感できるための取り組みに賛同します。

⑧経済安全保障について、レアアースなど国産の資源開発、安定的電源の確保へ向けたエネルギー開発、海底ケーブル強靭化など、特定の国に依存しない経済基盤を確立する取り組みに賛同します。

⑨国土政策について、環境破壊や災害リスクの低減のため、大規模太陽光発電所(メガソーラー)の規制強化に賛同します。

【産経記事】月に1度の沖縄訪問を 谷口智彦

谷口智彦会長コーナー

11月17日『産経新聞』月曜コラムに、谷口智彦・日本会議会長のコラムが掲載されました。

高市首相の「存立危機事態」に関する発言が、外交問題となり、南西諸島の防衛にも大きな注目が集まる中、谷口会長は、与那国、宮古島、石垣島といった国境の島々に高市首相が訪問することを提言しました。

■月に1度の沖縄訪問を

第2次政権発足早々、安倍晋三故元首相が秘書官たちにまず言ったのは、「週末を全部使う」だったと聞いている。

実質上、高市早苗首相と同様に「ワーク、ワーク、ワーク」すると宣言した。というか高市氏が、この安倍元首相の先例を意図して踏襲しているのであろう。

「週末は少なくとも毎月4回ある」と元首相は言って、その使途を指示した。

1回は必ず外国へ行くことにして、そこから弾丸出張シリーズが始まった。

国内各地の景況視察と平日会えない人との会合に各1回の週末を充てると、土日で残るのはあと1回だ。

「それを、福島はじめ東日本大震災の被災地を回るのに使う」と明言して、長いことその誓いを守った。

どこでも寝てしまう首相の次に来た自称働きまくり総理大臣は、若年層や女性の人気をあっという間に集めた。どうやら私たち日本人は、懸命に働く人についていきたい生き物らしい。

効果が実証済みではあることだし、高市首相にも、月に1度は必ずやると決めて実行してほしいことがある。沖縄へ行くことだ。

最初に行ってほしいのは与那国島である。これからの時期なら空気が澄んで、「指呼の間」にある台湾が見えるかもしれない。

習近平氏一人の判断で、台湾武力侵攻はいつ起きないとも知れない。与那国島のレーダーなどは真っ先に狙われる-ということを知りつつ働く自衛隊員は、現代の防人(さきもり)だ。どんな面構えか、見てきてほしい。

なんでもコンビニがないとかで、隊の施設にある乏しい品ぞろえで我慢しているらしいから、圧倒的物量の駄菓子(と飴(あめ)ちゃん)を持っていってほしい。

宮古島にも石垣島にも、しばらくは月に1度と決めて順繰りで回り、合間には沖縄本島のそこここを巡って中学生や高校生にハッパを掛けてみるなどどうか。

日本維新の会との連立政権合意書は、「経済安全保障政策」としてやや肩透かしなことに「南西諸島における海底ケーブルの強靱(きょうじん)性を強化するための施策を推進する」の一項を掲げるのみだ。だったら、実のところどれほど脆弱(ぜいじゃく)なのか、維新の誰か、それからここらに強い関心をもつ小林鷹之自民党政調会長らと一緒に見に行けばいい。

首相の沖縄、南西諸島訪問がほとんど定例と化し、新聞がベタ記事で扱うかどうかくらいになればしめたものだ。空や海から尖閣諸島もしっかり見てもらって、新聞に驚いてもらおう。

それでこそ次に習近平氏と会ったとき、奈良の女はなめたらあかんと、ドスをきかせることができる。

来年は、沖縄県知事選挙の年だ。東京でじっとしていたって、状況は好転しない。自衛隊には、使うのにいい飛行機もあると思う。

(「産経新聞」月曜コラム 令和7年11月17日より)

【永田町ニュース】[経済安保]総務省、海底ケーブル防護に向け検討会

永田町情報

総務省は11日、第1回となる「国際海底ケーブルの防護に関する検討会」を開催しました。

日本の国際海底ケーブルは、国際通信の99%を担っており、経済活動や社会活動を維持する上での重要インフラです。

さらに、物理的な特性から総延長は12000キロが限界とされており、東アジア・東南アジアの海底ケーブルは、日本を中継して北米に向かう重要な拠点となっています。

海底ケーブルを陸揚げする中継局は、太平洋沿岸の房総半島と志摩半島の二か所に集中しており、東日本大震災では志摩半島の一系統を除き全て破損するという事態に陥りました。

また最近では、台湾本島沿岸で民間船の不可解な操船により台湾のケーブルが切断されるという事件も起きており、中国の関与も指摘されていることから、有事の対応の観点からも通信の確保は重要となっています。

自民と維新の連立合意でも「経済安全保障政策」の一項目として、「南西諸島における海底ケーブルの強靭性を強化するための施策を推進する」と明記されました。

検討会は、有識者からのヒアリングを行うとともに、来年6月ころに報告書をまとめ、予算措置や制度改正につなげる予定です。

検討会には学識経験者ほか、オブザーバーとして内閣官房副長官補室や、内閣安全保障局からも参加します。

11月14日 林総務大臣会見

海洋に四方を囲まれた我が国にとりまして、海底ケーブルは、社会活動・経済活動を維持する上で欠かすことのできない重要なインフラでありまして、その安全の確保は極めて重要であると考えております。

その一方、海底ケーブルにつきましては、漁業活動などの人為的活動や自然災害などによる切断されるリスク、これが一定程度あると認識しております。

このため、総務省といたしましては、海底ケーブルの切断リスクに備えまして、通信事業者と連携し、海底ケーブルの多ルート化、そして、障害発生時の連絡体制や事業者間の連絡体制の確立などに取り組んできたところでございます。

総務省としては、国際海底ケーブルの防護体制の強化、そして、国際海底ケーブルの自律性の確保といった観点から有識者会議においてご検討いただきまして、その検討結果を踏まえて必要な施策を講じてまいります。

https://www.soumu.go.jp/main_content/001040293.pdf

※【永田町ニュース】は、note、X(旧Twitter)でも発信中。

   

 


あなたも、日本会議にご参加を

日本会議では、日本の根幹に関わる問題についての
考察や分析また専門家の意見などをメール機関誌『日本の息吹』でお届けしています。

日本について真剣に考える皆様にとって、きっと貴重な情報源になるはずです。

日本会議について、より深く知りたい、
また参加したいとお考えの方は、ぜひご登録ください。

▼無料メールマガジンのご登録はこちら

▼会員ご入会はこちら

 

【永田町ニュース】G7外相、武力による現状変更反対で一致

永田町情報

11月11日と12日の2日間開催された、G7外相会合には茂木外務大臣が出席、「世界の平和と安全」「海洋安全保障」などのセッションや、参加国との二か国間の外相会談が開かれ、共同声明が採択されました。

声明では、「インド太平洋地域全体の安全保障及び繁栄 」が明記され、「我々は、台湾海峡の平和と安定を維持することの重要性を強調し、特に力又は威圧によるあらゆる一方的な現状変更の試みに反対た。」と中国を念頭に置いた現状変更の動きに強い懸念を表明しました。

中国外交部は現在、高市首相の国会答弁を契機にいわゆる強い言葉で相手を非難する「戦狼外交」を外交官が担っていますが、中国の反応は、ASEAN、APECなどでの諸外国の動きとも無縁ではありません。

G7が「一方的な現状変更の試みに対する強い反対」と断固たる意志を表明したことは、重要です。

◇「共同声明」中「インド太平洋地域全体の安全保障及び繁栄 」部分

我々は、法の支配に基づく自由で開かれたインド太平洋の重要性を再確認した。

我々は、東シナ海及び南シナ海におけるものを含む、特に力又は威圧による、 あらゆる一方的な現状変更の試みに対する強い反対を改めて表明した。

我々は、南シナ海における危険な操船及び放水銃の使用並びに、南シナ海における軍事化と威圧を通じて航行及び上空飛行の自由を制限しようとする活動に対する深刻な懸念を表明した。我々は、2016年7月12日の南シナ海に関する仲裁裁判所による仲裁判断が、重要なマイルストーンであり、当事者を拘束することを改めて表明した。

我々は、台湾海峡の平和と安定を維持することの重要性を強調し、特に力又は威圧によるあらゆる一方的な現状変更の試みに反対した。我々は、建設的な対話を通じた、両岸問題の平和的解決を促した。我々はまた、適切な国際機関への台湾の意味ある参加への支持を表明した。

我々は、中国の軍備増強及び急速な核兵器数の増加を引き続き懸念しており、北京に対し、透明性の向上を通じた安定へのコミットメントを示すよう求める。

我々は、北朝鮮の核及び弾道ミサイル計画を強く非難し、関連する国連安保理決議に従った、北朝鮮の完全な非核化への我々のコミットメントを再確認した。我々は、北朝鮮の暗号資産窃取に対し重大な懸念を表明した。我々は、北朝鮮に対し、拉致問題を迅速に解決するよう強く求めた。

※【永田町ニュース】は、note、X(旧Twitter)でも発信中。

   

 


あなたも、日本会議にご参加を

日本会議では、日本の根幹に関わる問題についての
考察や分析また専門家の意見などをメール機関誌『日本の息吹』でお届けしています。

日本について真剣に考える皆様にとって、きっと貴重な情報源になるはずです。

日本会議について、より深く知りたい、
また参加したいとお考えの方は、ぜひご登録ください。

▼無料メールマガジンのご登録はこちら

▼会員ご入会はこちら

 

【永田町ニュース】茂木外相、「存立危機事態」をめぐり中国外交部に反論

永田町情報

茂木外務大臣は14日夕刻、外務省で会見を行い、「存立危機事態」をめぐる中国総領事や、中国外交部の一連の主張に対して明確に反論しました。

●存立危機事態について

高市総理の国会での答弁に対して、昨日、中国側から、我が方大使へ、金杉大使に対して抗議があり、金杉大使から、高市総理の答弁の趣旨と我が国の政府の立場について、中国側に改めて説明を行い、明確に反論した。

我が方大使から、今般の中国の大阪総領事の投稿、これは、在外公館の長の発信として、極めて不適切と言わざるを得ないと、強く抗議の上、改めて中国側の適切な対応を強く求めた。

台湾海峡、この平和と安定は、日本の安全保障はもとより、国際社会の安定にとっても、極めて重要でありまして、この点は何度も繰り返している。

台湾をめぐる問題が、対話により、平和的に解決されることを期待すると、これが我が国の一貫した立場。

政府の台湾に対する立場、これは、1972年の日中共同声明のとおりであり、変更はない。

平和安全法制は審議の中でも、その後も、しっかりと説明している。その考え方は変わっていない。そのことが我が国の立場であると説明し、中国の言っている主張は違っていると反論した。

高市総理を含めて、我が方の、平和安全法制、存立危機事態に対する説明は、明確であり、なんら国際法に反するものではない。

国会での審議をして成立している法案であり、撤回する必要はないことは当然のことである。

中国におけるスパイ罪の運用について我が国は、中国の「反スパイ法」について、これまでも中国側に対して、例えば「反スパイ法」の最後に、「その他スパイ行為」が入ったり、あいまいな部分もあり、法執行、及び司法プロセスの透明性の確保を求めている。

透明性は、まだ不十分であり、引き続き、関連の取組、申入れ等々も行っていきたい。

※【永田町ニュース】は、note、X(旧Twitter)でも発信中。

   

 


あなたも、日本会議にご参加を

日本会議では、日本の根幹に関わる問題についての
考察や分析また専門家の意見などをメール機関誌『日本の息吹』でお届けしています。

日本について真剣に考える皆様にとって、きっと貴重な情報源になるはずです。

日本会議について、より深く知りたい、
また参加したいとお考えの方は、ぜひご登録ください。

▼無料メールマガジンのご登録はこちら

▼会員ご入会はこちら

 

【永田町ニュース】憲法改正を協議する与党の「条文起草協議会」、初会合

永田町情報

11月13日、連立を組む自民党と維新の会は、国会内で憲法改正を協議する「憲法改正条文起草協議会」の初会合を開催しました。

憲法に関する協議会の設置は、連立合意文書に明記されており、憲法九条と緊急事態条項の条文起草を進めることが盛り込まれています。

緊急事態条項については、議員任期の延長や、内閣による緊急政令の規定を盛り込み、令和8年の年度内に条文を国会提出するとしています。

日本維新の会は、今年九月、憲法九条二項を削除する提言をまとめ、集団的自衛権の全面的容認に主張を転換しました。

そのため、九条一項、二項は改正せずに自衛隊を明記するという従来の自民党案との調整には時間がかかることが予想されます。連立合意にも九条改正案の国会提出の時期は明記されていません。

また、公明党が連立を離脱し立憲民主との接近が見られますが、野党となった公明党が憲法改正にどのような立場をとるのかが不明確となっています。

昨年の衆院選の結果を踏まえれば、衆院での改憲勢力は三分の二を大きく割り込んでおり、改憲発議を実現するためには総選挙の実施は避けられません。

与党協議会では、自民の新藤義孝議員が「目的は共有している。議論を前に進めていきたい」と語り、維新の馬場伸幸議員も「憲法改正に向けてワンステップ上がった。素晴らしい結果が残るように成案を得たい」話しました。今後の与党協議会の動きは注目です。

与党の憲法改正条文起草協議会には、自民党から新藤義孝議員、柴山昌彦議員、山下貴司議員の三名が、維新からは馬場伸幸議員、和田有一朗議員、阿部圭史議員の三名が各党代表として参加しています。

※【永田町ニュース】は、note、X(旧Twitter)でも発信中。

   

 


あなたも、日本会議にご参加を

日本会議では、日本の根幹に関わる問題についての
考察や分析また専門家の意見などをメール機関誌『日本の息吹』でお届けしています。

日本について真剣に考える皆様にとって、きっと貴重な情報源になるはずです。

日本会議について、より深く知りたい、
また参加したいとお考えの方は、ぜひご登録ください。

▼無料メールマガジンのご登録はこちら

▼会員ご入会はこちら

 

【永田町ニュース】自民党、インテリジェンス戦略本部始動

永田町情報

11月14日、自民党は「インテリジェンス戦略本部(本部長・小林鷹之政務調査会長)」の初会合を開き、役員体制の承認と、有識者からのヒアリングを受けました。

小林鷹之本部長は、維新との間で交わされた連立合意を着実に実施していくとしたうえで,「国益を守り、国家の安全を確保するためにはインテリジェンスに関する国家機能の強化が急務」として「司令塔機能の強化、対外情報収集能力の抜本的強化、そして外国からの干渉を防ぎ、国内の安全を確保する体制の構築という3つを、中期的なビジョンを持って議論していく」と、戦略本部の使命を話しました。

講師として、元国家安全保障局長の北村滋氏が、日本政府のインテリジェンスの現状や課題について提言しました。

北村滋氏は、敗戦占領を経て、独立回復後に各省庁内の機関が担ってきた情報収集と解析の歩みを振り返り、安倍政権で成立した「特定秘密保護法」のもとで残されている課題などについて、国会議員の質問に答えました。

戦略本部は小林本部長のもと、大野敬太郎幹事長、塩崎彰久事務局長、鈴木英敬事務局長代理の体制となっています。

※【永田町ニュース】は、note、X(旧Twitter)でも発信中。

   

 


あなたも、日本会議にご参加を

日本会議では、日本の根幹に関わる問題についての
考察や分析また専門家の意見などをメール機関誌『日本の息吹』でお届けしています。

日本について真剣に考える皆様にとって、きっと貴重な情報源になるはずです。

日本会議について、より深く知りたい、
また参加したいとお考えの方は、ぜひご登録ください。

▼無料メールマガジンのご登録はこちら

▼会員ご入会はこちら

 

【永田町ニュース】[外国人]高市総裁直属の対策本部で議論を開始

永田町情報

11月11日、自民党は「外国人政策本部」(新藤義孝本部長)の初会合を開きました。対策本部は、高市政権発足により、総裁直属の特別な機関として位置づけられます。

新藤本部長は挨拶で「一部外国人による騒乱、迷惑行為、凶悪な犯罪が頻発している。国民の不安や不満を超えて怒りになっている」と問題提起。

さらに、「国民の安心と安全を確保する。それから海外活力を取り込んで、我が国の持続的経済成長を実現するための礎にしたい」として、排外主義とは異なり、公平公正な基準を定めて適用していく重要性を語りました。

本部には3つのPTを設置し、来年1月に政府がとりまとめる総合対策に反映されるよう提言していきます。

会合には政府側から、小野田紀美外国人共生担当大臣と、平口洋法務大臣が出席しました。

今後のPTの検討テーマ例
① 「出入国・在留管理等の適正化・外国人受入れに関するPT」
例:在留資格審査の厳正な運用、在留資格のあり方、「経営・管理」ビザ、不法滞在者ゼロプラン、外国人犯罪への対応、特定技能・育成就労、 量的マネジメント含めた基本的なあり方など

② 「外国人制度の適正化等に関するPT」
例:国保、医療費、児童手当、就学援助等の運用見直し、外免切替、 日本語教育・留学生、オーバーツーリズム、民泊の適切な運営確保など

③ 「安全保障と土地法制に関するPT」
例:国土の適切な所有と利用のあり方、 各種土地台帳における国籍把握をつうじた透明性の向上、 土地情報等の一元的データベース化による公開性、 土地取得等ルール、 マンション取引対策、国際約束との関係精査など

【永田町ニュース】

※【永田町ニュース】は、note、X(旧Twitter)でも発信中。

   

 


◉あなたも、日本会議にご参加を

日本会議では、日本の根幹に関わる問題についての
考察や分析また専門家の意見などをメール機関誌『日本の息吹』でお届けしています。

日本について真剣に考える皆様にとって、きっと貴重な情報源になるはずです。

日本会議について、より深く知りたい、
また参加したいとお考えの方は、ぜひご登録ください。

▼無料メールマガジンのご登録はこちら

▼会員ご入会はこちら

 

【永田町ニュース】[防衛]小泉大臣、次世代潜水艦「原子力も選択肢」と重ねて表明

永田町情報

11月7日、小泉防衛大臣は、会見で、記者からの質問に対して、次期潜水艦の動力について原子力も選択肢として排除せずに検討する意向を改めて表明しました。

あわせて、先日のアセアン会合で、各国から日本の防衛装備品の導入に期待が寄せられていることに対して、マレーシアが中古潜水艦に熱い視線を注いでいることに触れ、大臣としてトップセールスを重ねていくと表明しました。

11月7日 小泉防衛大臣会見概要
記者質問:
TBSの番組で、「次の潜水艦の動力を今までのようにディーゼルでやるのか、それとも原子力潜水艦なのかについても議論しなければならないぐらい日本を取り巻く環境は本当に厳しい」との発言がありました。

大臣としては、次世代動力は、全固体電池や燃料電池ではなく、原子力が有力だとお考えでしょうか。

また、先日のマレーシア訪問で、日本の中古潜水艦に関心を示す国があったとのことですが、今後どのように交渉を進めていくのかお考えを伺います。

小泉大臣回答:
現時点で、「次世代の動力」について何ら決まっていることはない。

様々な分野で加速度的に変化する安全保障環境の中で、あらゆる選択肢を排除せず、抑止力・対処力の向上に必要な方策を検討していきますが、特定の結論ありきで進めるようなことはない。

ただ繰り返し原子力潜水艦の可能性も含めてというふうに私が申し上げているのは、原子力だからということで議論を排してはならないと、こういったことが私の思いとしてはある。

今後の防衛力の内容については、我が国の主体的判断の下、国民の命や暮らしを守るために何が必要なのか、安全保障環境を踏まえて、具体的かつ現実的に積み上げていかなければならない。

中古の潜水艦の話ですが、先日マレーシアで開催されたADMMプラスの際に、いくつかの国から、日本の潜水艦を含む、日本の防衛装備品の取得について関心があったことは事実。今後協議を進めるが、詳細については相手国との関係があることからお答えできない。

防衛装備移転は、我が国にとって望ましい安全保障環境を創出するための重要な政策的手段であり、私自身、地域の平和と安定の為にASEAN以外の国も含めて各国へのトップセールスを強化していく考えに変わりはない。

※【永田町ニュース】は、note、X(旧Twitter)でも発信中。

   

 


◉あなたも、日本会議にご参加を

日本会議では、日本の根幹に関わる問題についての
考察や分析また専門家の意見などをメール機関誌『日本の息吹』でお届けしています。

日本について真剣に考える皆様にとって、きっと貴重な情報源になるはずです。

日本会議について、より深く知りたい、
また参加したいとお考えの方は、ぜひご登録ください。

▼無料メールマガジンのご登録はこちら

▼会員ご入会はこちら

 

【永田町ニュース】高市首相の経済戦略で、強い日本経済復活を

永田町情報

11月4日、高市首相は、強い日本経済の復活のため、第1回の「日本成長戦略本部」を開催し、17の成長戦略分野に全大臣を振り分けました。

これらの成長分野の成果が出るには複数年かかりますが、いずれも強い日本経済を支える基幹産業となる可能性を秘める重要なものです。

また、これらの分野は、日本のみが単独で豊かになることを志向するのではなく、世界各国の安定的な発展にも寄与する産業といえます。

この会議では、城内成長戦略担当大臣を司令塔として、来年夏を目指して経済対策をまとめる予定です。

併せて「日本成長戦略会議」有識者構成員として、会田卓司(クレディ・アグリコル証券会社東京支店チーフエコノミスト)ら12名を有識者メンバーに内定しました。

各担当大臣に割り振った17の成長分野は以下の通りです。
「AI・半導体」「造船」「量子」「合成生物学・バイオ」「航空・宇宙」「デジタル・サイバーセキュリティ」「コンテンツ」「「フードテック」「資源・エネルギー安全保障・GX」「防災・国土強靱化」「創薬・先端医療」「フュージョンエネルギー」「マテリアル」「港湾ロジスティクス」「防衛産業」「情報通信」「海洋」

◉高市首相挨拶要旨

この内閣は、今の暮らしや未来への不安を希望に変えるためにも、『強い経済』を作る。

『責任ある積極財政』の考え方の下、戦略的に財政出動を行う。

日本経済の供給構造を強化し、所得を増やし、消費マインドを改善し、事業収益が上がり、税率を上げずとも税収を増加させることを目指す。

この好循環を実現することにより、国民の皆様に景気回復の果実を実感していただき、『不安』を『希望』に変えていきたい。

日本成長戦略本部で、日本の供給構造を抜本的に強化し、『強い経済』を実現するための成長戦略を強力に推進していく。

成長戦略の肝は、『危機管理投資』。リスクや社会課題に対して、先手を打って供給力を抜本的に強化するため、官民連携の戦略的投資を促進する。

世界共通の課題解決に資する製品、サービス及びインフラを提供することにより、更なる我が国経済の成長を目指す。

本日、この本部において、各戦略分野の担当大臣を指名した。来年夏、成長戦略を策定する。城内日本成長戦略担当大臣の下、内閣一丸となって、精力的に検討を進めてほしい。城内大臣は、『日本成長戦略会議』を早急に開催し、経済対策に盛り込む重点事項を取りまとめてほしい。
 

※【永田町ニュース】は、note、X(旧Twitter)でも発信中。

   

 


◉あなたも、日本会議にご参加を

日本会議では、日本の根幹に関わる問題についての
考察や分析また専門家の意見などをメール機関誌『日本の息吹』でお届けしています。

日本について真剣に考える皆様にとって、きっと貴重な情報源になるはずです。

日本会議について、より深く知りたい、
また参加したいとお考えの方は、ぜひご登録ください。

▼無料メールマガジンのご登録はこちら

▼会員ご入会はこちら

 

【永田町ニュース】高市首相、「国章損壊罪」制定に意欲

永田町情報

自民維新の連立合意では、
「令和8年通常国会において『日本国国章損壊罪』を制定し『外国国章損壊罪』のみ存在する矛盾を是正する 」と盛り込まれました。

11月4日の代表質問では、維新の藤田代表が高市首相に質問し、首相は次のように答弁しています。

「日本国旗損壊罪の制定についてお尋ねがありました。これは、過去、私自身が刑法九十二条改正案を起草し、自民党の党議決定や御党関係議員の御協力の下、法案を国会に提出したこともあります。
御党との合意書の内容を踏まえ、今後、その実現に向けて、両党間で具体的な検討を進めていくとともに、政府としても与党と連携を図りつつ必要な取組を進めてまいります」

高市首相が中心となり国会に提出した法案は、平成24年秋の臨時国会で、自民党が議員立法として提出したもので、刑法の「外国国章損壊罪」を日本国旗に対も対応できるよう、条文を追加するものでした。
当時は、民主党政権下でした。この時は残念ながら審議未了廃案になっています。
少数与党の政権ですが、野党の合意を得て成立されることを期待します。

(刑法改正案)
第二編第四章の次に次の一章を加える。
第四章の二 国旗損壊の罪

第九十四条の二 日本国に対して侮辱を加える目的で、国旗を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。

参考
(外国国章損壊等)
第92条 外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。
2 前項の罪は、外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない。

 

※【永田町ニュース】は、note、X(旧Twitter)でも発信中。

   

 


◉あなたも、日本会議にご参加を

日本会議では、日本の根幹に関わる問題についての
考察や分析また専門家の意見などをメール機関誌『日本の息吹』でお届けしています。

日本について真剣に考える皆様にとって、きっと貴重な情報源になるはずです。

日本会議について、より深く知りたい、
また参加したいとお考えの方は、ぜひご登録ください。

▼無料メールマガジンのご登録はこちら

▼会員ご入会はこちら

 

【永田町ニュース】[外国人]高市首相、閣僚にルール遵守と制度の適正化を指示

永田町情報

11月4日、首相官邸では、「外国人の受入れ・秩序ある共生社会実現に関する関係閣僚会議」が開催され、高市総理から関係大臣に指示が出されました。

高市総理は、人口減少による外国人材の登用や、インバウンド観光の重要性に触れたうえで、「一部の外国人による違法行為やルールからの逸脱に対し、国民の皆様が不安や不公平を感じる状況」を受け止め、「排外主義とは一線を画し」つつ、「毅然と対応」を取ると話しました。

関係閣僚に対して、「既存のルールの遵守・各種制度の適正化に向けた取組」、「土地取得等のルールの在り方を含む国土の適切な利用及び管理に向けた取組」を指示し、来年1月を目途として、現行の「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」を改訂するスケジュールを示しました。

高市総理からの指示
1、既存のルールの遵守・各種制度の適正化

【法務大臣】
・不法滞在者ゼロプランの強力な推進
・在留資格の審査の厳正な運用(納税状況等の活用を含む)と在留資格の在り方・帰化の厳格化の検討
・外国人の受入れの基本的な在り方に関する基礎的な調査・検討

【厚生労働大臣、文部科学大臣をはじめ各種制度を所管する各大臣】
・国保料、医療費(入国前の民間医療保険への加入の検討を含む)、児童手当、就学援助、外国人留学生・外国人学校に対する支援をはじめとする各種制度・運用の見直し・適正化の推進
・入管庁と市区町村又は関係行政機関との情報連携の推進
・在留外国人(成人・子供)への日本語教育の充実
・査証手数料と在留許可手数料について、主要国の水準等を踏まえた見直し

【国土交通大臣】
国際観光旅客税の拡充、観光客の過度な集中の防止と地方分散の推進、マナー違反等のオーバーツーリズム対策の強化

【国土交通大臣、厚生労働大臣、地方創生担当大臣】
各種民泊の適切な運営確保に向けた具体的な対応策の検討

【国家公安委員会委員長】

・国内関係機関や外国捜査機関等と連携した違法行為の厳正な取締り
・入管庁との連携による不法滞在者対策の推進

2、土地取得等のルールの在り方を含む国土の適切な利用及び管理について
【法務大臣、農林水産大臣】
「不動産の移転登記時」及び「森林の取得の届出時」の、国籍把握の仕組みの検討

【財務大臣】
外為法に基づき、国外居住者による不動産取得について、幅広く把握する仕組みの検討

【国土交通大臣】
国外からの取得を含めたマンションの取引実態の早急な把握と結果の公表

【法務大臣、デジタル大臣】
把握した国籍情報も取り込み、一元的なデータベースとして「不動産ベース・レジストリ」が機能するよう検討【外国人との秩序ある共生社会推進担当大臣、防衛大臣、外務大臣】安全保障への影響や、国際約束との関係を具体的に精査

https://www.kantei.go.jp/jp/104/actions/202511/04gaikokujin.html

 


◉あなたも、日本会議にご参加を

日本会議では、日本の根幹に関わる問題についての
考察や分析また専門家の意見などをメール機関誌『日本の息吹』でお届けしています。

日本について真剣に考える皆様にとって、きっと貴重な情報源になるはずです。

日本会議について、より深く知りたい、
また参加したいとお考えの方は、ぜひご登録ください。

▼無料メールマガジンのご登録はこちら

▼会員ご入会はこちら

 

【永田町ニュース】小泉大臣、武器輸出「5類型撤廃」について説明

永田町情報

11月2日、小泉防衛大臣は、訪問中のマレーシアで臨時の会見を開くとともに、記者団の質問に答えました。

ニュージーランドが日本の護衛艦導入に興味を示していることについて、大臣が最近防衛装備品移転の5類型の撤廃を唱えていることに関連するものです。

5類型とは、救難、輸送、警戒、監視、掃海の5分野にあたります。

小泉大臣は、日本が武器を輸出しないことが世界の平和につながるという考え方には与しない姿勢を明確に示しました。

(以下引用)
記者:今の質問に関連して、装備移転の考え方について伺います。大臣は先日YouTube番組で、装備品の紛争当事国への売却や提供の可能性に関し、今後の議論だと述べられました。現時点での大臣の考え方や検討状況を教えてください。また5類型の撤廃については、進めていかなければならないと述べられていましたが、今後、与党協議をはじめ、どのようなプロセスを想定し、どのようなスケジュール感で進めていくか、これも現時点での大臣のお考えを聞かせてください。

大臣:御指摘のありました発言については、あらゆる選択肢を排除せず、真に日本と地域国際社会の平和と安定のために何が必要かという観点から、防衛装備移転を更に推進していくための制度面の施策について、スピード感をもって具体的な議論を進めることが重要だという趣旨で申し上げたものであります。そして、これは部内、また省内においても、タブーを廃して議論をするようにという指示を出しているのは、既に申し上げているとおりであります。またお尋ねの5類型については、自民党と日本維新の会との間で合意されたという重みを踏まえて、防衛省・自衛隊として、関係省庁とともに検討を行っていく考えであります。プロセスやスケジュールについてもお尋ねがありましたが、現時点では予断をもってお答えすることは差し控えますが、高市総理ともよく相談をして、政府一丸となって、関係省庁と連携しながら進めていきたいと思います。

なお、もう一回言いますけれども、やはり今回、各国の会談を通じて、日本の装備品に対する具体的なニーズ、これは感じていますし、日本が防衛装備品を移転をしなければ、何が起きるのかといえば、やはり他の国が売るわけですからそういった中で、真に平和と安定と繁栄をこの地域につくるという観点から、やはり率直で、そして現実的な戦略環境の変化、安全保障環境の変化を踏まえた上での議論を国内でもする必要を感じています。丁寧に説明したいと思います。

記者:インドネシアが中国の戦闘機購入を発表しています。武器輸出を拡大している中国に対して、日本は今後どのように対峙していくかお考えをお聞かせいただければ幸いです。

大臣:今、御指摘の件ありましたけども、各国の防衛力整備についてはそれぞれが置かれた安全保障環境を踏まえて行っているものでありますから、一つ一つについてはコメントはいたしません。

ただ、その上で申し上げれば、インド太平洋地域の平和と安定のためには、価値と利益を共有する各国防衛当局の協力と連携を深めていくことが重要であります。

今、中国がという話がありましたが、私はこれが現実だと思います。日本が売らなかったら、どこが売るのかと。それが、日本が売りさえしなければ、平和が保たれる。これは、私は現実とはかけ離れていることだと思います。こういったことも含めて、よく国内でも説明をさせていただいて、この今5類型の撤廃も含めて、日本に資することだというふうに国民の皆さんにも御理解をいただけるような丁寧な説明は不可欠だと思っています。

 


◉あなたも、日本会議にご参加を

日本会議では、日本の根幹に関わる問題についての
考察や分析また専門家の意見などをメール機関誌『日本の息吹』でお届けしています。

日本について真剣に考える皆様にとって、きっと貴重な情報源になるはずです。

日本会議について、より深く知りたい、
また参加したいとお考えの方は、ぜひご登録ください。

▼無料メールマガジンのご登録はこちら

▼会員ご入会はこちら

 

このページの先頭へ

Copyright © Japan Conference. All rights Reserved.