【終戦80年】特攻隊出撃前の肉声―英霊の思い
本日6月23日は、沖縄慰霊の日です。20万人を超える方々が亡くなられた沖縄戦から80年。改めて、この地で亡くなられた全ての方々に深く哀悼の意を表します。
私たちが生きる今の日本は、先人たちの並々ならぬ努力の上に成り立っています。特に、国の危機に際し、自らの命を顧みず、国民と日本国を守り抜いてくださった英霊の方々の存在を忘れてはなりません。
今回は、英霊の皆様が抱かれた「思い」について深く考えるため、ぜひご覧いただきたいYouTube動画をご紹介します。
▼ご紹介動画はこちら https://youtu.be/eFX5J_xsvC0?si=3e3z5zztiL3ggTgh
※動画内容の一部テキストを下記に掲載しています。ぜひご一読ください。
今年、終戦80年を迎えるにあたり、この映像をご覧になり何を感じられたでしょうか。私たち日本会議は、英霊の皆様が命を懸けて守り抜こうとされたこの日本を、次世代へとしっかりと引き継いでいくことが、現代を生きる私たちの使命であると考えております。そのためには、英霊の皆様の「思い」を風化させることなく、その思いを胸に日々の生活を送ることが重要です。
今後も日本会議は、日本の誇りを取り戻し、より良い国を築いていくための活動を続けてまいります。皆様には、ぜひこうした活動にご理解ご協力いただけますと幸いです。
■ご紹介動画の一部テキスト
当時、慶應大学の1年生だった塚本太郎さんは学業半ば、予備学生として海軍に入隊し、「回天」の搭乗員を志願します。(回天…大型魚雷を改造し、操縦者が1人乗り組んで敵艦船に体当たりをする兵器)
「自分から志願することはないのに」と可愛がってくれたおばさんが嘆いた時、塚本さんは苦笑して「こんな時に若いものが出ていかなきゃ、おばさん、日本の人がみんな不幸になるよ」と答えたと言います。
塚本さんは入隊を前に、お父さんの経営するスタジオで出陣の心境をレコードに録音しました。
海軍少尉 塚本太郎
「父よ母よ、弟よ妹よ。そして永い間育んでくれた町よ、学校よ、さようなら。本当にありがとう。こんな我がまま者をよくもまあ本当にありがとう。
「僕はもっともっと、いつまでもみんなと一緒に楽しく暮らしたいんだ。愉快に勉強し、みんなにうんと、ご恩返しをしなければならないんだ。春は春風が空におどり、みんなと川辺に遊んだっけ。夏は氏神様のお祭りだ。神楽ばやしがあふれてる。昔はなつかしいよ。しかし、僕はこんなにも幸福な家族の一人である前に、日本人であることを忘れてはならないと思うんだ。人生20年ー。余生に費やされるべき精力の全てを、この決戦の一瞬に捧げよう。
我ら今ぞいかん。南の海に、北の島に、全てをなげうって戦わん。大東亜の天地が呼んでいる。十億の民が希望の瞳で招いている。 みんなさようなら!元気で征きます。」
昭和20年1月21日、塚本さんは回天に乗り組み、西カロリン諸島ウルシー湾の敵艦隊に体当たりし、壮烈な戦死を遂げました。享年21歳。
塚本太郎さんの弟・悠策さんは語ります。
「一番にあったのは国に対する思いで、『誰かがやらなければ、この国を守るんだ』という。それだけに、家族を思う気持ち、母や弟や妹、父とか、その間で随分その気持ちが複雑に揺れたんだろうと思います。思いを断ち切ろうとする気持ちと、『やらなきゃならないんだ』という思い。それを20歳の人がやったことに、僕はすごいなと思うんです」
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