[ブラジルからの提言]「小学校で美しい日本語を!」
日本の公共教育は、「人創り」において独特の特徴を持ち、全国民に余すことなく読み書きソロバンをさずけ、団体行動にならし、日本人として最低の一線を持った人に育てることにあるのではないか。今ここに来て、小学校で外国語を学ばせようとするのは如何なる考えがあるのか、大いに疑問とするところである。
幼き子供達に外国語を教えて何を期待するのか。幼年時代にやるべき教育とは日本人としての心の教育ではないのか。外国の言葉を教えるのは、本人の自覚が育つ12歳以降で充分である。それでなくても外来語の氾濫する日本社会に住む子供達は、外国風に育てられており、英語を教えたらなお更その風潮に溶け込み、日本人らしさを無くしてしまうであろう。正に無国籍人を作ってしまう恐ろしい計画ではなかろうか。
日本人が日本人としての誇りを持つには、正しい日本語を使えることと正しい日本の歴史を知ることであると思う。英語に時間を増やせば、それだけ日本語の学習の時間が減る。美しい日本語で、日本の昔話や神話を聞かす時間を増やすことこそ、日本人としての自覚を促し日本人としての夢を育むはずである。それでなくても電子機器による遊びや友達同士の交信に多くの時間を取られる現代の幼子たちが、心に染みる童話や色々な偉人の物語を聞けるチャンスは減るばかりである。野原を駆け巡り、川や山を歩く楽しさを子供達に教えてあげたい。美しい絵を見せ、素晴らしい音色の音楽を聞かせ、屋外で夢中で遊ばせてあげたい。元気のある子供たちに、大きな夢を与え、人生の楽しさを感じさせる教育に英語などを勉強する余地はない。幼いうちに自分は日本人だと思える幾多の想い出を作る元になる「自分の言葉」をしっかり身につけさせたいものだ。
ブラジルに移り住み50年が経つ。その経験からして、ブラジル語を日常不自由なく使い暮らしているが、ブラジルの国の言葉を、ここで育った自分の子供達と同じ様に喋ることは出来ない。アクセントも違うし、文法も怪しい。同じようにはしたくても出来ないのだ。一人の人の母国語は幼きときに身につけたその人の言葉である。日本で育つ子供達にとって、その母国語を完成させることは、その人間の生涯における最重要事項である。そのことを子供の教育に携わる人に知ってもらいたい。ブラジルで育つ日系人の母国語はブラジル語である。彼らはそれを土台にして必要に応じて勉強し、簡単に数ヶ国語をマスターする。大きくなって自分で自覚して勉強すればよい事だ。小学校で英語を教科に組み入れてもモノになる訳がないと、我々移民はその体験で知っている。
戦後の歴史教育の間違いを直さず、さらにもう一つ大きな罪を犯そうとする。正に亡国の愚挙である。日教組の亡霊が、新教育基本法を無視して、教育界を翻弄しているのであろうか。日本人としての誇りは「きれいな日本語」を話すにありと考える。小学時代の日本語を絶対におろそかにしてはならないと思う。
ブラジル日本会議 理事長 小森 広(25/10/15)
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