憲法問題資料集  現憲法を知るための12章

憲法問題資料集  現憲法を知るための12章

憲法問題資料集  現憲法を知るための12章

憲法

憲法問題資料集
-あなたはこれでも現憲法を支持できますか?-

第1章 憲法は私たちの自由意志によって作られなければならないのではありませんか?

第2章 他人の意見(憲法)を力づくで飲まされたままでは、恥ずかしくありませんか?

第3章 私たちのルールを、日本のことを知らない人たちに決められたままで構いませんか?

第4章 最高法規なのに、意味が分からない悪文のままでもよいですか?

第5章 現憲法が教育荒廃を助長している事実を見過ごせますか?

第6章 青少年にいま一番必要な筈の宗教的情操教育の禁止を納得できますか?

第7章 私たちの領海内で外国船が好き勝手に振る舞っているのを悔しくは感じませんか?

第8章 いざという時に自衛隊が活躍できそうもないのは、心配ではないですか?

第9章 世界平和の維持に協力できない「平和憲法」では看板倒れではないですか?

第10章 自然環境を守る私たちの責任を明確にすべきではありませんか?

第11章 国の代表がはっきりしなくて近代国家といえますか?

第12章 憲法違反が堂々とまかり通る―果たしてこれでよいのでしょうか?

《関連資料》

第1章
憲法は私たちの自由意志によって作られなければならないのではありませんか?

一般的に、憲法制定の基本条件として、「国が完全に独立していること」「国民の意志が本当に自由であること」は必要不可欠なものとされています。では、現憲法の場合はどうでしょうか。制定当時、日本は占領軍の絶対的権力のもと、その主権が著しく制限されていました。当時の日本を占領国側がどうみていたかを知るだけでもその状況は明白です。
たとえば占領軍総司令官だったマッカーサー元帥(フォーチェーン誌より)は、当時次のように述べています。「…あの時(昭和二十年八月十五日)から、日本はいわば、大きな強制収容所になったのである。そして現在もその状態を続けている。占領軍は八千万日本人の看守(牢屋の番人)となったのであり、連合国当局から具体的な許可のない限り、どんな人間も、日本を出ることも、入ることもできない」
マッカーサー自身が指摘する「強制収容所」という表現から、苛酷な占領政策のもと、当時どれだけ、日本の主権が侵害されていたか、国民の自由がなかったか、という実態がくっきりと浮かびあがってきます。現憲法は「国民の主権が保障された時に制定した」とは到底いえません。憲法制定時の重要条件、「国の完全な独立」と「国民の意志の自由」が全く欠如したまま現在の憲法は作られていたのです。

第2章
他人の意見(憲法)を力づくで飲まされたままでは、恥ずかしくありませんか?

憲法起草作業を開始するにあたって、民政局長ホイットニー准将は、次のように語りました。「当方で憲法のモデル案を作成し提供した方が、効果的で早道と考える。そこで、ポツダム宣言の内容と、これから発表するマッカーサー元帥の指令に沿った憲法のモデルを作成する作業に入る」「私は(占領軍が作成した草案を日本政府案として発表されることについて、日本政府を)説得できると信じているが、それが不可能な時は、力を用いると言ってよい。脅かすだけではなくて、力を用いてもよい、という権限をマッカーサー元帥から得ている」
このホイットニー発言は、起草作業に加わった一人であるベアテ・シロタ・ゴードン女史の回想録(『一九四五年のクリスマス』柏書房刊)にあります。ゴードン女史はこの発言を紹介した後、「今私は、エラマンさんが書き残した『エラマン・メモ』を見ながら、当時を想起している。…この部分は、のちの一九六四年に至って、我々の起草した日本国憲法草案が<押しつけ>であると問題になり、ラウエル中佐が、(この発言はなかった)と宣誓供述書で取り消している。私個人としては、エラマンさんのメモは、抜けて足らない部分はあっても、創作して書き加えるようなことはないと信じたい」と明言しているのです。

第3章
私たちのルールを、日本のことを知らない人たちに決められたままで構いませんか?

いやしくも、一国の基本法は、伝統的なその国のあり方に基づき作られるものです。したがってその作成に当たっては、その国の人間(国民)が中心になるのは当然のことといえます。しかし現憲法は、当時の占領軍、つまりGHQの民政局員がこっそりつくりました。外国製なのです。
この憲法草案作りにたずさわった二十一人のアメリカ人起草グループの中には、一人の憲法学者も、日本専門家もいません。それどころか二十一人のうち、日本の大学で教鞭をとった経験のある二人の学者(といっても中国史と社会学がそれぞれ専門)と十五歳まで日本で育った婦人職員以外には、日本の、それも政治制度や伝統に、深い関心を抱いていたと思われる者は一人もいなかったのです。
しかも担当分担の決定の仕方にも問題がありました。たとえば起草グループの責任者であったケーディス大佐は、天皇に関する規定を担当したプール海軍少尉に対して「君はたしか天皇(昭和天皇)と同じ日に生まれているね。君が、天皇と条約・授権規定に関する委員会の責任者だ」と命令したといいます。また人権に関する委員会に所属したゴードン女史は、上司のロウスト中佐から「あなたは女性だから女性の権利を書いたらどうですか」と言われて担当することになったというのです。
このようなメンバーで、しかもわずか一週間ほどの突貫作業で作成した憲法草案ですから、日本の歴史や伝統を充分に取り入れることなど、できるわけがありません。そのようなものは全く無視して、ゴードン女史が都内の図書館から集めてきた十数冊の本の中にあったアメリカ憲法、ワイマール憲法、フランス憲法、ソ連憲法などを参照して作られたのでした(資料①)。

第4章
最高法規なのに、意味が分からない悪文のままでもよいですか?

国の基礎である憲法は、その国の文化を代表した最高の言葉で書かれなければなりません。「力強く」「荘重典雅」で、かつ「簡潔で格調の高い」文章であるべきです。しかしながら現憲法の文章は希代の悪文といっても過言ではありません。その理由は、いうまでもなく現憲法の原典が英語であり、現憲法が実は翻訳憲法であることにあります。
たとえば現憲法前文に、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」という表現があります。この「(代表者を)通じて行動し」という部分は、本来「(代表者を)代理として」と訳すべき、英語原文の「アクティング・スルー」(acting through)の誤訳なのです。また同じく前文の「自由のもたらす恵沢を確保し」も、あまり日本語らしくありません。憲法だから難しい表現になったわけではないのです。この部分はもともとアメリカ合衆国憲法の前文にあります。英語の翻訳であるために、日本語として馴染まない表現となってしまったのです。筑波大学名誉教授の村松剛氏は、憲法の前文を取りあげて次のように厳しく批判しました。「今の憲法の前文、わずか数十行の文章にすら、いくつもの誤訳があります。私が教師なら、この訳文に落第点をつけます」

第5章
現憲法が教育荒廃を助長している事実を見過ごせますか?

「荒れた学校」、「学級崩壊」という言葉に示される現在の教育荒廃に、心を痛めている方は多いことでしょう。しかし初めから教育が荒廃していたわけではありません。実態の悪化を阻止するための強力な指導力が今、学校の側にはないのです。
それは、現在の学枚数育において、憲法の権利偏重主義(資料②)が、そのまま子どもに対しても適用されているからです。たとえば、中学校の社会科『公民』分野の代表的教科書は七冊ありますが、それらは詳しく権利について言及しているのに反して、義務についての記述となると、どの教科書もわずかしか述べていないのです。しかもその内容にも問題があります。次に、今実際に使われている教科書の中から、大阪書籍の記述を紹介しましょう。
「これまで子どもといえば、判断能力が十分でなく、精神的にも身体的にも未成熟であるといった理由から、子どもの判断よりも、大人の判断が優先される傾向がありました。しかし、子どもは『潜在的な大人』ですから、個人として最大限に尊重されなければならない、という考え方がしだいに強くなってきました」
「これ(公共の福祉)は、個人の人権と他の人々の人権との対立を調整したり、弱者の利益を守ったりするためには、個人の人権は制限される場合があることを明らかにしたものです。しかし、大切な人権が『公共の福祉』に名をかりて、かんたんに制限されることがないように注意する必要があります」
大人になるための責任感よりも、自己の自由・権利の主張の方が大事であるかのような内容です。このように教えられた生徒にとっては、規律や校則を守るという義務すら重い負担となり、その結果、これに耐えられない生徒が、非行や暴力に走るという傾向が生まれても不思議ではありません。諸外国の中には、わが国の教育規定にはない、国家の教育内容に対する監督責任について明記した憲法を持つ国もあります(資料③)。しかし現憲法にはこうした歯止めがないまま、権利偏重主義だけが横行しているのです。

第6章
青少年にいま一番必要な筈の宗教的情操教育の禁止を納得できますか?

あいつぐ家庭内暴力、あるいは単純な動機による青少年の自殺や殺人の発生は、青少年の生命に対する意識が、いかに荒廃し殺伐としているか、ということのあらわれです。その意味で宗教的情繰を養うことは、今日の青少年に最も必要な要素と言えます。しかしながら、宗教教育が政教分離を定めた憲法第二十条の第三項(資料④)において禁じられていることから、宗教的情操教育もなおざりにされているのが実情なのです。
平成十二年五月にバスハイジャック事件を引き起こした佐賀県の十七歳の少年は、「世間の注目を浴びるため」に五人の人質を殺害する計画だった、ということを供述しているそうです。今日の続発する青少年犯罪に共通するのは、「命の貴さ」に対する畏敬の念の喪失ではないでしょうか。
ところがこのことについてある識者は、「普遍的な価値であっても、国家は各人に押し付けることには慎重でなければならない」と主張しているわけです。こうした発想が、戦後教育において情操教育を不可能にしてきたのです。子供たちに「命の貴さ」を教えることが現行憲法の政教分離規定に違反している、というわけです。現憲法の政教分離規定がこのままでいいのか、今、真剣に考えるべき時なのではないでしょうか。

第7章
私たちの領海内で外国船が好き勝手に振る舞っているのを悔しくは感じませんか?

私たちは「水と安全はタダ」と思い込んできました。しかし、北朝鮮による平成十年のミサイル発射事件、平成十一年の工作船侵犯事件は、これが幻想に過ぎなかったことを私たちに示しました。とくに、工作船侵犯事件では、海上保安庁の巡視船が追跡していた際、近くで既に海上自衛隊の護衛艦が監視体制に入っていながら、結局取り逃がすという大失態を演じてしまいました。海上警備行動が発令されるまで手だしができず、発令後も船体にむけた直接射撃ができないため、撃沈・拿捕などの強硬措置がとれなかったからでした。
さらに沖縄近海や津軽海峡といったわが国の排他的経済水域内で、中国の海洋調査船が調査活動を実施する事件も頻発しています。国際海洋法条約は、沿岸国の平和、秩序、安全を害する「無害でない航行」として十二項目を規定し、違反した船舶に対して「自国の領域内において必要な措置をとることができる」としています。中国の海洋調査船の行動は、十三項目のうち「調査活動または測量活動の実施」に該当することは明らかなのです。わが国は、事件の度に中国に対して抗議を繰り返しています。しかし中国側から相手にされていないのが実情です。世界各国ではこうした場合、海軍が登場して領域警備活動にあたります(資料⑤)が、わが国の自衛隊法にはそうした規定がありませんから海上自衛隊はどうしようもありません。自衛隊を軍隊として扱わない第九条のあいまいさがそうした法の不備を生んでいるのです。

第8章
いざという時に自衛隊が活躍できそうもないのは、心配ではないですか?

それではいざ有事の際、果たして日本は自衛の力を持っているでしょうか。残念ながら、自衛隊が出動しようとしても、法的に様々な拘束があるのです。そのほんの一例を挙げてみますと―
①事前に陣地が築けない。
たとえば、敵が上陸してくることが事前にわかっていても、今の法律のままでは、自衛隊は塹壕を掘ることもできません。上陸を迎え撃つのに都合のいい場所が決まったら、塹壕を掘る前に、その土地の所有者の許可が絶対に必要です。所有者は、非常事態だから、どこかへ逃げているはず。そんな場合でも、自衛隊は地主を捜して歩かなければなりません。無許可で行動に移れば、法律違反となります。
②弾薬輸送には許可が必要。
弾薬を運ぶ時は、事前に消防や道路管理者、警察などに許可を受けるか通報する必要があります。なぜなら、自衛隊は火薬取締法を守らなければならないからです。要するに、花火屋さんなどと、法律上は同じ扱いなのです。
③戦車にも道路交通法が適用。
夜間、自衛隊の車両は、道路を走る時、ライトを点けなければいけない。また、赤信号のたびに止まらなくてはならないことになっています。つまり、道路交通法の適用を受けるのです。キャタピラのついた車両、たとえば戦車などは特別免許が必要です。もちろん、免許は自衛隊が発行するのではなく、都道府県の公安委員会です。一般の自動車免許と同じように、試験を受けて合格しないと運転できません。いざという時に、これでは、戦うことができませんから、無免許の隊員でも、少し練習運転させて、戦場に向かわせることになりますが、この場合も明らかに法律違反です。
これでは、自衛隊は国の守りの主役どころか、警察よりも役に立ちません。ちなみに、パトカーは道路交通法の規制を受けていません。このような自衛隊の手足を縛る諸法規を改善しようとする動きも自民党内には生まれていますが、思うように進んでいません。憲法第九条のあいまいな規定によって、自衛隊が「軍隊」であることをタブー視してきた風潮が、こうした無責任極まる状態に自衛隊を放置している論拠となってきたのです。

第9章
世界平和の維持に協力できない「平和憲法」では看板倒れではないですか?

国会に設置された憲法調査会では、共産党や社民党出身の委員を中心に、日本の平和憲法は世界に誇るべき先駆的な憲法である、といった主張がなされています。しかし日本以外の多くの国々も平和憲法を持っています。駒沢大学教授の西修氏の『日本国憲法を考える』(文春新書)によれば、世界の百二十四カ国の憲法に「平和主義条項」があるそうです(資料⑥)。
むしろ、これまでの日本は、憲法が共同防衛の権利を禁止しているため、湾岸戦争で自衛隊派遣の代わりにお金を拠出したのをはじめ、世界各地における国連の平和維持活動に積極的に自衛隊を活用してきませんでした。そしてこの日本の態度に対しては、「我々は、自らの血をもって世界の平和に貢献しようとしているのに、日本は金で事をすませようとするのか」、と欧米各国は不信感を持っています。現憲法の前文でも「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」と書かれていますが、その理想の実現を第九条が阻害しているわけです。
平和を求める気持ちは人類共通です。それなのに日本は世界の平和維持のための活動への協力に厳しい条件をつけてばかりいるのです。それこそ「平和憲法」の名が泣くというものです。ちなみにドイツの場合、湾岸戦争の際には、わが国と同じようにお金だけの協力となりました。しかしその後、連邦憲法裁判所の決定に基づいて積極的な平和維持活動への参加を可能にしています(資料⑦)。

第10章
自然環填を守る私たちの責任を明確にすべきではありませんか?

私たちの社会が成熟してくると、五十年以上前の憲法制定時には、予想もつかなかったいろいろな問題が出てきます。その一つが環境保護の問題です。いま、私たちを取りまく自然環境は急速に悪化しつつあります。河川や海の汚染問題、ダイオキシン問題といった身近で発生している問題もあれば、地球温暖化問題、森林の減少と砂漠化問題といった地球規模での解決が必要な問題もあります。環境保全のための国際協力が人類全体の将来のために喫緊の課題となっていることは、今や国民全体の共通認識といえるでしょう。
しかしこうした環境問題のポイントは、ある意味では今生きている私たちにはそれほど身近に深刻な被害が発生している問題ではない、ということです。私たちの子孫のために、今私たちがどれだけ努力できるか、という問題なのです。現憲法は、私たちの人権を守ることについては規定していますが、将来の国民や人類の人権を守ることについては、沈黙しています。現実に進行する深刻な環境汚染や環境破壊も、憲法にその条文がないために対策が立てられない、という壁にぶつかっています。日本人は古くから、山にも川にも草にも木にも神が宿る、と考えてきました。日本の伝統の中にエコロジー(自然尊重)の精神が脈々と流れているのです。この日本の伝統を現代に生かし、人間だけでなく、すべての生物の未来のためにも、私たちは、自然の仕組みを守る決意を込めて環境権(というより環境保護の義務)を憲法に盛り込むべきではないでしょうか。そうした試みは既に外国の憲法では取り入れられています(資料⑧)。

第11章
国の代表がはっきりしなくて近代国家といえますか?

家庭でも、一家を代表する世帯主がいるように、どこの国家においてもその国を代表する人(国王や大統領)がいて、それを元首とよんでいます。では、日本の元首は誰でしょうか。実をいうと、政府見解は、対外的に天皇が元首であるとしていますが、これもあいまいで、学説上は必ずしも定説がないのです。「天皇だ」いや「内閣総理大臣だ」、いや「衆議院議長だ」「最高裁長官だ」、「いやそもそも元首なんていないのだ」…。学者たちの議論はいつ果てるともしれません。最近の森首相の発言でも「天皇を中心とする」というのは国民主権に反している、という批判がマスコミ報道で行われました。しかし第一条にはどう書かれているでしょうか。「天皇は日本国及び日本国民統合の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」と規定されているのです。この現憲法上の天皇の立場を、分かりやすい日常語に置き換えたら「天皇を中心とする」という表現になるのは当然なのです。我が国の国民主権は、天皇を中心にいただくことを前提として定められているからです。誤解が生まれるのも、明らかな憲法上の規定がないためなのです。(資料⑨)
しかし、こんな議論をしているのは当の日本人だけで、外国人はそんな議論におかまいなく、天皇陛下を日本の元首とみなしています。天皇陛下が外国をご訪問になられる時は、すべての国が天皇陛下を「日本の元首」としてもてなしました。また、諸外国が日本に大公使を派遣してくる時の信任状の宛名は、一国の例外もなく天皇陛下なのです。もし仮に総理大臣が日本の元首などといったら、外国人は笑い出すでしょう。このように、外国人が天皇陛下を元首として扱っているにもかかわらず、国内的にはそれを明確にしていないため、なお様々な問題を引き起こしているという、不思議な憲法なのです。

第12章
憲法違反が堂々とまかり通る―果たしてこれでよいのでしょうか?

どこの国の憲法でも、その憲法の改正手続きを定めています。日本では、憲法第九十六条に、「この憲法の改正には、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で国会がこれを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない」と、改正の手続きをうたっています。つまり、今の憲法では総議員の三分の二以上の賛成がないと改正の発議ができません。これを逆に見れば、三割の反対さえあれば、大多数の七割の意志は無視してもよい……ということになります。
このため誤字の類いの単純な間違いの訂正を行うことも実際上は不可能に近いのです。たとえば、現憲法の第七条には天皇の国事行為に関する規定があります。幾つもあげられている項目の中に「国会議員の総選挙」があります。しかしこれは明らかな間違いです。「総選挙」は衆議院議員のみですから、参議院議員も含めるなら、「国会議員の選挙」としなければならないのです。あるいは第八十六条には、「内閣は、毎会計年度の予算を作成し」とあります。国会に提出されるのはあくまでも「予算案」の筈です。国会の議決を経て初めて「予算」となるわけです。
このような現憲法の非合理的な性格のため、憲法改正が一度もなされないまま、西修教授の『日本国憲法を考える』によれば、世界百八十余国の中で日本の憲法は十五番目に古い憲法なってしまいました。
しかし実は、憲法改正をしないかわりに、堂々と憲法違反をすることで辻褄を合わせてきたのです。その代表例が私立大学に対する助成金の問題です。憲法第八十九条は「公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業」に対して、「公金その他の公の財産」を支出できないと規定しています。「公の支配に属しない」私立学校などへの公的助成は明らかに憲法違反なのです。しかし現実には、私立学校に対する公的助成が必要とされているため、脱法的に実施されているのです。桜井よし子氏によれば、「助成金は年々増加する傾向にあり、文部省が発行している平成十一年度の『私学関係予算(案)の概況』によれば、私学助成関係予算は四千三百億円を超え、私立大学などの経営費補助だけでも三千億円近くが計土されています」しかも「直接、大学への補助金を支払うのは、特殊法人日本私立大学振興・共済事業団です」(『憲法とはなにか』)
私学への助成金は明らかに憲法違反です。しかし特殊法人を経由するというごまかしによって、毎年、大学の当局者や文部官僚が堂々と憲法に違反しているのです。

《関連資料》
資料① 資料収集にあたったベアテ・シロタ・ゴードン女史の証言(『1945年のクリスマス』柏書房刊)

ロウスト中佐とワイルズさんに外出許可を貰って、ジープで都内の図書館や大学を巡った。日比谷図書館、東京大学……忘れてしまったが、全部で四か所か五か所を駆け回った。アメリカ独立宣言、アメリカ憲法、マグナカルタに始まるイギリスの一連の憲法、ワイマール憲法、フランス憲法、スカンジナビア諸国の憲法、それにソビエトの憲法……。
徹底的に空襲を受けた東京に、まだこの種の憲法の本が残っていたことが奇跡のように思えた。しかも英語で書かれたものとなると<期待できないかもしれない>と密かに思っていた。本棚に憲法の原書を発見するのは、秋の森でキノコを採る喜びに似ていた。
二時間くらいで、原書も含め十数冊を借りだし、両手にかかえて帰ると、みんなが砂糖にたかる蟻のように寄ってきた。
「いい本を持っているな。ちょっと見せて…」
「これ、しばらく貸してくれない?」
私はたちまちポピュラー(人気者)になった。
午後は、その資料読みに没頭した。民政局員のほとんどが、私と同じように声も立てずに、ページをめくっていた。まったく試験を明日に控えた付け焼き刃の勉強だった。


資料② 権利偏重の現憲法の条項

<権利・自由に関する条項>
生命・自由・幸福追求の自由(13条)
公務員の選定罷免権(15条)
請願権(16条)
奴隷的拘束及び苦役からの自由(18条)
思想及び良心の自由(19条)
信教の自由(20条)
集会・結社・表現の自由(21条)
居住・移転・職業選択の自由・外国移住・国籍離脱の自由(22条)
学問の自由(23条)
生存権(25条)
教育を受ける権利(26条)
労働の権利(27条)
労働者の団結権・団体交渉・その他団体行動権(28条)
裁判を受ける権利(32条)
<義務に関する事項>
教育の義務(26条)
勤労の義務(27条)
納税の義務(30条)


資料③

わが国憲法にはない国家の教育監督権を認めた世界各国の憲法例

日本国憲法
第二六条一項「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」
二項「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」
スペイン憲法
第二七条一項「何人も、教育を受ける権利を有する。教育の自由は、これを認める。」
二項「教育は、民主的共存の原則、ならびに基本的権利および自由を尊重し、人格の完全な発展をはかることを目的とする。」
八項「公権力は、法律の遵守を確保するべく、教育組織を監督し、および統制する。」
ドイツ連邦共和国基本法
第七条一項「すべての学校制度は、国家の監督のもとに置かれる。」

資料④
わが国の政教分離規定
日本国憲法

第二十条第一項「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」
二項「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。」
三項「国およびその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」

資料⑤
主要国の領海警備(「領域警備強化のための緊急提言」読売新聞社刊より)
主たる警備機関
(副次的機関)領域警備と武器使用を定めた主な法律備考
米国沿岸警備隊
(海軍)合衆国法典第14編沿岸警備隊は有事の際、
海軍指揮下に入る
英国海軍
(沿岸警備隊)商船法、機密保持法海軍中心の対応が伝統。
軍人に警察権も付与
スウェーデン海軍
(沿岸警備隊)領海侵犯の際の介入等に関する命令ソ連替水艦への対応を通じ、
厳しい法制を整備
韓国海軍
(海洋警察)領海および接続水域法、統合防衛法北朝鮮艦船には3軍と
海洋警察が一体で対応
ロシア国境警備隊連邦の国境に関する法律国境警備隊は有事の際、
大統領命令で軍指揮下に

資料⑥
世界の平和主義条項

日本国憲法
第九条一項「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
二項「前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

国際連合憲章(一九四五年制定)
第二条三項「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和および安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない。」
ドイツ連邦共和国基本法
第二六条一項「諸国民の平和的共存を阻害するおそれがあり、かつこのような意図でなされた行為、とくに侵略戦争の遂行を準備する行為は、違憲である。(略)」
フランス第四共和国憲法
前文「フランス共和国は、征服を目的とするいかなる戦争も企てず、またいかなる国民の自由に対しても決してその武力を行使しない。」
イタリア共和国憲法
第一一条「イタリアは、他国民の自由に対する攻撃の手段としての、および国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄し、(略)」

資料⑦

独ザールブリュッケン大学トーステン・シュタイン氏の指摘(読売新聞平成12年5月2日)

―議論のきっかけは湾岸戦争か。
確かに湾岸戦争は重要な契機になった。我々は多くの金銭的貢献を行ったが、ドイツのような規模を持つ国、政治的重みを持つ国、経済力を持つ国が、平和維持活動に限って他国に任せてしまう態度では同盟国から受け入れられない。そのことをひしひしと感じた。このような活動への参加は不可避で、憲法を理由に参加できないと言い訳するのではだめだ。日独は戦後、控えめな態度を取り続ける歴史的理由を抱えている。ただ、その理由による自制が必要な時代はもう過ぎたと考える。
―日本はPKOには参加できるが、まだ多国籍軍型の活動には参加できない。
ドイツではありがたいことにそういう区分はない。日本のPKO協力法は、私の理解では、活動参加の自由を生んだというよりむしろ、活動参加の自由に対する障害を設けているものだ。日本国憲法を読む限り、「多国籍軍参加はいけない」と明示している部分はないように思う。停戦の合意成立を前提とするなど、PKO参加五原則は、日本の活動参加を無理にする原則だ。参加したくないと言ったも同然で、多くのハードルを設けてしまった。これは危険な原則で、初めから参加しないと言った方がましだ。日本の場合、貢献に必要なのは、憲法改正によって参加を可能にすることだろう。

資料⑧
世界の環境保護条項は国及び国民の義務を明記しています。

スペイン憲法
第四五条一項「何人も、人格の発展にふさわしい環境を享受する権利を有し、およびこれを保護する義務を負う。」
スイス連邦憲法
第三四条の六「①自然および郷土の保全は、州の管轄事項である。②連邦は、自己の任務の遂行に際し、郷土の地方および地域の景観、史跡、ならびに、自然的・文化的記念物を保護し、かつ、[右のものに]優れて公共的利益が認められる場合には、それを完全な形で保存しなければならない。(略)」
ドイツ連邦共和国基本法
第九一条三項「法律は共通の環境計画に対する措置および組織に関して規定する。環境計画における企ての作成には、その領域において遂行する邦の同意を必要とする。」

資料⑨
世界の立憲君主国はその政治的機能とは関係なく元首として規定しています。

スペイン憲法
第五六条一項「国王は、国家元首であり、国の統一及び永続性の象徴である。(略)」
スウェーデン憲法
第一章第五条一項「王位継承法にしたがってスウェーデンの王位を有する国王または女王は、元首である。」
デンマーク王国憲法
第一九条一項「国王は、国際間題については、王国を代表して行為する。(略)」

憲法問題資料集
『現憲法』を知るための12章
-あなたはこれでも現憲法を支持できますか?
発行日 平成12年7月10日
発 行 日本会議

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