[時局情報◎防衛]湾岸の夜明け作戦から20年。掃海艦ペルシャ湾に派遣

[時局情報◎防衛]湾岸の夜明け作戦から20年。掃海艦ペルシャ湾に派遣

[時局情報◎防衛]湾岸の夜明け作戦から20年。掃海艦ペルシャ湾に派遣

安全保障

米英海軍がペルシャ湾で不定期に開催している掃海訓練に参加するため、わが国・海上自衛隊の掃海母艦「うらが」と「ぶんご」が9月8日に横須賀を出航しました。

今年は、ペルシャ湾掃海派遣任務(湾岸の夜明け作戦・オペレーションガルフドーン)から20周年の節目の年であり、海上自衛隊も招待され、10月15日から20日までの間、バーレーン沖で訓練が実施されています。横須賀帰港は12月1日の予定。

「湾岸の夜明け作戦」については、ペルシャ湾掃海派遣部隊指揮官の落合たおさ閣下が、派遣から10年後の平成13年10月、その後のエピソードも含めてA4判17ページのレポートをまとめています。その中からいくつかのエピソードを掲載します。

※全文は、防衛省HPをご覧下さい。↓↓↓
http://www.mod.go.jp/msdf/mf/touksyu/yoakenosakusen.pdf

(以下は、引用です。)
ペルシャ湾掃海作業中、数多くの国民から心温まる激励を頂いた。日本からペルシャ湾までの約1万2千キロメートルの長距離を飛んできてくれた千羽鶴は2万羽を超えた。慰問品として日本各地から名産品が送られてきた。あの暑いペルシャ湾上で隊員達は思いもよらない故郷の味を感謝の気持ちを持って心から楽しみ、明日の掃海作業への新た健闘を誓った。

また各地の老若男女、いろいろな方々から三千通に近い励ましの便りを頂いた。「始めてお便りします。新聞で掃海部隊の皆様の活躍を知りました。暑い中、危険の伴う作業を日本を代表して行っていらっしゃる皆様を、私は誇りに思います。日本人として感謝の気持ちを込めて、有り難うございますと心から申し上げます。どうか無事に任務を全うされ帰国されますように、お祈り申し上げます。遠いペルシャ湾の皆様、これからもどうか日本の為に頑張って下さい。」(桐生市 26歳 主婦)こういった国民の「有り難う、感謝します」「日本のために頑張って下さい」という感謝の気持ちと温かい励ましが、あの劣悪な環境下で機雷処分という危険極まりない作業に従事していた、511名の男達の心を支えたのである。

(中略)

クウェートに寄港した際、記者会見が行われた。私が掃海作業の進捗状況について説明した後、地元新聞記者からの質問を受けた。

「クウェート国民は、あなた方に心から感謝している。遠い極東の日本から、こんな小さな船でペルシャ湾まで来て、われわれの為に危険極まりない機雷の除去をやってくれた。心からお礼と感謝を申し上げる。それは其として、日本は第2次大戦以後45年間、戦争をしていない筈だ。それなのにどうしてアメリカ、イギリス、フランスと言ったその間にベトナム戦争、フォークランド紛争、スエズ紛争と言った実際の戦争を経験してきた先進諸国と同等に、機雷掃海と言う最も難しい技術を持っているのか。それとも日本は隠れて戦争をしていたのか」

私は次のように答えた。

「そうではない。昭和20年3月、瀬戸内海を中心として日本近海に約1万2千個の機雷が敷設され、日本海軍はその脅威に敢然と挑戦し、その機雷掃海作業は終戦後も営々と続けられた。それはやがて海上自衛隊に引き継がれ、日本近海に於ける船舶航行の安全確保のために、掃海業務は昭和40年代後半まで、継続された。私自身も若い頃、その掃海業務に従事した経験がある。第2次大戦以後、約45年間も平和が続いた日本の掃海部隊が、先進諸国と同等に実任務につけるのは、旧海軍の先輩達が良き伝統を残してくれたお陰であり、それに加えて任務を引き継いだ海上自衛隊の掃海部隊が、堅実に訓練を励行し、技量を磨いて来た努力の積み重ねがあったからである。」
(以上、引用終わり)

日本会議では、前身の「日本を守る国民会議」が千羽鶴や激励の手紙を送付したり、呉・横須賀帰港時に歓迎行事を開催するなどこのペルシャ湾派遣活動の後方支援活動に取り組みました。

遠く1万キロを越えた国民の声なき声が、灼熱の中の隊員たちを支えたこと、そして戦前の海軍の伝統を受け継ぐ先人先輩方からの継承によって、高い技術が保たれてきたことなどが、落合閣下のレポートからうかがえます。
このほか、在留邦人の感謝の声、諸外国からの賞賛、そして隊員たちの奮闘と、多国籍軍との信頼関係など掲載されております。

是非、みなさま全文をご一読いただきますとともに、今回の訓練が無事所期の目的を達成され、帰港されますようお祈りいたしましょう。

トピックス : 自衛隊

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