中国の尖閣領有権の妄説を撃つ ①―釣魚島史の代表的漢籍に照らしても尖閣は日本の領土である(石井 望・長崎純心大学准教授) *日本名は魚釣島
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中国の尖閣領有権の妄説を撃つ ①―釣魚島史の代表的漢籍に照らしても尖閣は日本の領土である(石井 望・長崎純心大学准教授) *日本名は魚釣島

中国の尖閣領有権の妄説を撃つ ①―釣魚島史の代表的漢籍に照らしても尖閣は日本の領土である(石井 望・長崎純心大学准教授) *日本名は魚釣島

安全保障

第1回 「明石道友、大明の境界に入らず」
石井 望 長崎純心大学准教授

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◆無主地確認は江戸時代初期

尖閣列島よりはるかに西側の「東湧島」が領土の東限であると、明の皇帝に上奏した記録が、元和三年(西暦1617年)の漢文史料(「皇明實録」)の中から見つかった。
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――本年一月二十一日の讀賣新聞夕刊などでこの報道に接した人は、記憶の片隅にあるかも知れない。尖閣の西が東限だから、この時の尖閣は無主地であった。チャイナ側の「釣魚島を六百年前から支配してゐる」(昨年十一月外相演説)などの主張は明確に誤りである。
しかしこの報道よりもっと凄いものが有る。これより前の元和二年(1616年)に日本側で既に尖閣を無主地と確認した記録が、「湘西紀行*2」「東西洋考」「盟鴎堂集」*3といふ三種の漢籍の中に見える。これについては二月四日にキャノン・グローバル研究所にて研究報告したが、まだ世間にあまり流布しないので、いま略説しよう。
このとき日本の使者明石道友は、出航前に長崎代官(=長崎市長)から「大明の一草一粒をも犯すを許さず」(明の領土に立ち入るな)と命じられた上で、海を渡って東湧島に着岸した。そして明の偵察員に向かって「大明の境界に入らず」と述べた。明の領土を犯さないためには、東湧から東が無主地だと事前確認した上で渡航したのだと分かる。のちに明治政府は尖閣を無主地と確認した上で領土に編入したが、今度の史料で日本側の確認の年代を三百年近く繰り上げたことになる。古史料は法的に無効だとはいへ、明治の確認が決して一夜づけでなかったことを明示できた。
附言しておくと、チャイナ側が今でも使用する「釣魚嶼」・「釣魚島」・「釣魚臺」などは尖閣の古名であり、「尖閣」は日本が命名した現代名である。古名は決してチャイナ名でなく、命名者は不詳である。チャイナ側は一度も領有しなかったので、現代名無きまま現在に至る。

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◆香港人の精神不安定

報道後、「いつ頃からなぜ尖閣を研究し始めたのですか」との質問を受けることが多い。短期連載の始めに、まづそこを述べておきたい。
私は平成八年に、返還前の香港に住んでカントン語を習ってゐた。漢文の古い字音を研究するためである。その頃保釣(尖閣奪取)運動は香港だけが突出して烈しかった。それにはわけが有る。それまで香港の人々は自分が半イギリス人であることを鼻に掛けて暮らしてきた。しかし香港返還が近づくと、西洋に移民できない大部分の人々は、自分がチャイナ人になることについて心の平衡を保つ必要があった。
心の平衡の材料となったのが日本である。日本を「釣魚島泥棒」と呼ぶことにより、己れの自尊心を保ちたいとの渇望が、全香港を一色に染めつくした。連日沸騰する新聞テレビの威力で、私は街を歩くにも怖くなった。
その時香港の新聞テレビで繰り返し散布されたのが、漢籍中の片言隻句である。主なものをあげれば、

○明・陳侃「使琉球録」(釣魚嶼を記録する。チャイナの命名と主張。)
○明・鄭若曾「籌海圖編」(釣魚嶼を海防内に入れたと主張。)
○明・無名氏「順風相送」(釣魚嶼を記録する。1403年成立と主張。)
○清・汪楫「使琉球雜録」(釣魚嶼の東に「中外之界」を記録する。)
○清・官撰「重纂福建通志」(海防の卷に釣魚臺を記録する。)
〇清・西太后「慈諭」(釣魚臺を大臣に下賜すると述べる。)
などである。それを見て私の印象としては、「チャイナの領有だと明記されないから、法的には矢張り日本のものだが、文化的にはチャイナに近いのかな」と思った。ただ西太后の慈諭だけは法的に有効とも見えた。

◆原漢籍で正否を確認

香港での強烈な記憶により、以後私にとって尖閣史料は、日本人としての存在を自問する材料となった。そして報道の正否を確かめるため、尖閣の漢文史料を少しづつひもとき始めた。
ところが漢文の内容を知れば知るほど、文化的にも日本のものだとの確信が強まって行った。そこへ平成二十二年の秋に、あの漁船衝突事件である。領土のみならず日本の統治の根源がゆさぶられたことを多くの人は忘れない筈である。
しかしこの時、日本の尖閣報道や論壇の言説中には漢文史料が全く出現しなかった。これではいけないと私は思ひ、勉強の一端を論壇誌に投稿するとともに、本格的に研究を始めたのである。研究しながら常に抱いたのは、誰か親チャイナの評論家が、チャイナ側と同じく漢文史料を曲解して散布するのではないかとの危惧である。危惧は昨年、外務省元職員孫崎享氏らの言説散布によって的中してしまった。
彼らの所説は嘘ではないのか。次から代表的史料について逐一論破して見せよう。連載に御期待頂きたい。

 

第2回 「東沙山を過ぐれば是れ●山の尽くる処」 (※●…門に虫=びん)
http://www.nipponkaigi.org/opinion/archives/13446

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いしゐ のぞむ
昭和41年、東京都生まれ。京都大学文学研究科博士課程学修退学。長崎綜合科学大学講師などを経て現職。担任講義は漢文学等。研究対象は元曲・崑曲の音楽。著書『尖閣釣魚列島漢文史料』(長崎純心大学)、論文「大印度小チャイナ説」(霞山会『中国研究論叢』11)、「尖閣釣魚列島雑説四首」(『純心人文研究』19)など。

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