新会長に谷口智彦氏がご就任 ―新副会長に織田邦男氏がご就任

新会長に谷口智彦氏がご就任 ―新副会長に織田邦男氏がご就任

新会長に谷口智彦氏がご就任 ―新副会長に織田邦男氏がご就任

その他

◉日本会議新正副会長ご就任のご報告(日本会議事務総局/令和7年7月18日)

新会長に谷口智彦氏がご就任
―新副会長に織田邦男氏がご就任

日本会議正副会長のご紹介〔敬称略・50音順〕
会 長 谷口 智彦(筑波大学特命教授・新任)
副会長 織田 邦男(麗澤大学特別教授・新任)
副会長 小堀桂一郎(東京大学名誉教授・留任)
副会長 田中 恆清(神社本庁総長・留任)

 

 

この度、故田久保忠衛前会長の後任として、元内閣官房参与の谷口智彦氏が第5代新会長に就任されました。また、現在、副会長として田中恆清氏(神社本庁総長)、小堀桂一郎氏(東京大学名誉教授)が就任されていますが、新たに織田邦男氏(元空将)が副会長に就任されました。

以上の人事は、7月10日付の令和7年度臨時常任理事会(書面会議)において、全会一致をもって承認されたことをご報告致します。

新会長の谷口智彦氏は、第二次安倍政権の内閣官房参与として、首相の外交政策スピーチライターを務められ、平成27年、安倍首相の米連邦上下両院合同会議における「希望の同盟」演説など、首相の意を体して主要な演説を担当されてきました。

令和4年7月8日に安倍首相が凶弾に斃れた後は、日本会議の都道府県本部・支部、地方議員連盟や日本女性の会など、全国各地へご出講され、『日本の息吹』へのご寄稿、さらには「安倍元総理の志を継承する集い」の呼びかけ人を務められるなど、安倍元首相の遺志を継ぐ活動をなされています。谷口氏は会長ご就任に当たり、安倍氏が成し遂げられなかった憲法改正や安定的皇位継承制度の実現に強い意欲を示され、日本会議は「任務重大」であると指摘されました。

また、新副会長にご就任の織田邦男氏は、昭和49年に航空自衛隊に入隊。F4パイロットなどを経て、平成17年に空将、イラク派遣航空部指揮官などを歴任し平成21年に退官されました。その後、令和4年には産経新聞社の「正論大賞」を受賞されました。

日本会議の国民運動へのご理解も深く、「憲法改正の国会発議を求める!言論人・有識者会議」の呼びかけ人や、「公開憲法フォーラム」(美しい日本の憲法をつくる国民の会など共催)や、日本会議都道府県本部などに出講いただき、憲法改正における自衛隊明記の重要性や安全保障問題について、自衛隊でのご経験をもとにわかりやすく講義され、また機関誌への寄稿などでご指導いただいております。

この度、日本を守る会結成50年を迎え、日本会議は「国民運動50年」の記念すべき節目を迎えました。これまでの50年の成果と教訓とを踏まえ、次の50年の国民運動を展望する絶好の機会に当ります。新しい正副会長のご就任を受け、役員・会員が一致団結して新たな50年に向けた国民運動を切り拓いて参りましょう。

 

【谷口智彦会長のご経歴】
昭和32年香川県生。東京大学法学部卒。『日経ビジネス』で編集委員、ロンドン特派員として勤務。平成17年外務副報道官、平成25年第二次安倍政権の内閣審議官、のち官房参与となり、安倍総理の外交政策演説を担当。安倍首相退陣後は、慶應義塾大学大学院教授を経て、現在富士通フューチャースタディーズセンター特別顧問、筑波大学特命教授。ご著書に「誰も書かなかった安倍晋三」「安倍総理のスピーチ」などがある。

【織田邦男副会長のご経歴】
昭和27年愛媛県生。防衛大学校卒、航空自衛隊に入隊。同58年アメリカ空軍大学へ留学し、指揮幕僚課程を修了。平成4年スタンフォード大学客員研究員。同17年、空将・航空開発実験集団司令官や航空支援集団司令官(イラク派遣航空部指揮官)を歴任し、平成21年に退官。東洋学園大学客員教授、麗澤大学特別教授、日本戦略研究フォーラム政策提言委員、国家基本問題研究所企画委員を務める。令和4年「正論大賞」受賞。


◉会長就任のご挨拶
谷口 智彦 元内閣官房参与・筑波大学特命教授

諸先輩、皆々様のご推挙を忝(かたじけの)うし、会長とあいなりました。
おのれの人生に、かかる局面が待ち受けていようとは思いだにせず、驚きを禁じ得ません。
就任のお話を頂いた時は、啓示を得た思いがいたしました。
故安倍晋三元総理から得た、ご縁あってのこと。かくなるについては、やはり元総理の導きがあったに違いあるまいと。
思いつつ帰宅し、いつもの通り遅い時間に就寝しました。
時計の針が深夜を回って、奇しくも自分の誕生日に入ったあとです。午前三時頃でした。
安倍晋三氏が、昭恵夫人とご一緒に、私の目の前にいるではありませんか。いつもの声が、聞こえます。「谷口さん、それは大切なお仕事だから、ぜひ受けるといいですよ」と、そう。
面立ちといい声音といい、生前の様子そのままであまりに生々しく、目を覚ましたあとも、夢だったことを納得するのに暫時要したほどでした。
再び申しますにそれは私の誕生日で、のみならず、自分の馬齢が遂に故元総理の享年を上回った日でもあったのです。いったい、幾重にも啓示的でした。
もはや明らかではありませんか。ここに至る道のりは、故元総理が敷いてくれたものです。
であるならば、お断りする法はありません。身の引き締まる思いがあるのみです。
高浜虚子の有名な句「去年(こぞ)今年(ことし)貫く棒の如きもの」は、昨日までの自分の上に、その上にのみ、今の自分はあるのだという確かな実感をよんだものです。
ためらいなくこれを感じることのできる人は、自分を見失わなかった人生を送った方、そして国民が集団として同様に思うことができるとすれば、その仕合わせをことほぐべきです。
世界に百九十いくつもあるいったいどの国の国民が、太古の昔から今日まで、「貫く棒」でつながっている、変わっていないのだと思えるでしょう。
日本には言葉があって歌があり、なによりも天皇ご一家という世界最古の一統が絶えずにありますゆえに、わたしたちは継続の実感をもつことができる。昔の人の言い方はとかく大仰ですが、万邦無比と言いたくなった心境がよくわかります。
日本会議の使命とは、思いますに、わたしたちが引き継いできた「貫く棒」・日本の心棒を折らずに後代に継承し、日本の国柄を守って、そして強くするところにあると信じる者です。
旧宮家で皇統を引く男性の方々に皇室へ入っていただく所要の改正は、令和七年通常国会で実現するやに見えたのも束の間、先送りになりました。
自衛隊に明文の位置づけを与え、制服を身にまとう男女に一層の誇りを与えるための憲法改正も、またしても棚上げです。
二つは急務。日本会議の任務は、このうえなく重大です。
日本会議会長なる肩書を付与されたからといって翌日からふさわしく務まるはずはなく、自分で自分を鍛えるほかあるまいと思いつつ、かつそれも悠長にはできまいと心得ます。皆様のご指導を仰ぎたいと存じます。

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