[ご報告]5/12 1350名が集い、「沖縄祖国復帰40周年記念大会」が盛大に開催さる ―日の丸を手に「記念パレード」も

[ご報告]5/12 1350名が集い、「沖縄祖国復帰40周年記念大会」が盛大に開催さる ―日の丸を手に「記念パレード」も

[ご報告]5/12 1350名が集い、「沖縄祖国復帰40周年記念大会」が盛大に開催さる ―日の丸を手に「記念パレード」も

安全保障

沖縄祖国復帰の日に先立ち、5月12日、「沖縄県祖国復帰40周年記念大会」が、宜野湾市民会館で開催されました。

大会の前には、普天間神宮から記念大会会場の宜野湾市民会館に向い、330名の人々が列をなし、「沖縄県祖国復帰40周年記念パレード」が行われました。
パレードの参加者は、日の丸の小旗を打ち振りながら、「県民挙げて、祖国復帰40周年をお祝いしましょう」「祖国復帰は、沖縄県民の誇りです」「沖縄県民は、祖国と一体となり沖縄を守るぞ」「尖閣諸島は日本の領土です。中国の侵略を許さないぞ」など、声を上げて行進。

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午後から行われた「祖国復帰記念大会」には1350人が集いました。
第1部沖縄県祖国復帰40周年記念式典でが、主催者代表の挨拶に立たれた実行委員長の中地昌平日本会議沖縄県本部会長が、
「5月15日は県民の願いが実り、沖縄県祖国復帰が達成された素晴らしい日。5月15日は、断じて『米軍基地が押し付けられた屈辱の日』などではない。戦争で占領された地域を、平和裏に取り戻したということは、世界に例がない。祖国復帰は沖縄の誇り。
中国は、尖閣諸島のみならず沖縄まで本気で取り込もうと考えている。祖国復帰は、現状を正しく認識し、勇気を持って行動する人々によって達成されました。沖縄県民は二度目の試練を与えられている。私たちは祖国復帰をなした先輩方に恥じないような沖縄県民、国民でありたい」と沖縄の誇りある歴史と、沖縄を守る決意を述べられました。(全文は、このページ下方に掲載)

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仲井眞弘多沖縄県知事から、祝辞が寄せられ、たちあがれ日本代表の平沼赳夫衆議院議員、三好達日本会議会長、佐喜眞淳宜野湾市長、宜保晴毅豊見城市長が出席、挨拶を述べられました。
嘉手納村PTA元会長の又吉康勇氏からは、「祖国復帰運動」の真実について語られました。

最後に、
一 、祖国復帰運動の歴史を語り継ぎ、祖国復帰の誇りを学校教育で教えるよう政府及び沖縄県に対し要望する。
一 、石原都知事による「尖閣諸島買い上げ公有地編入」構想を支持し、沖縄から尖閣諸島購入運動を展開する。
一 、今年十一月、全国豊かな海づくり大会ご臨席のため沖縄に行幸啓になる天皇皇后両陛下を奉迎する活動を、県民をあげて行う。
などを謳った「決議」を参加者の総意として発表。(下記に全文を掲載しています。)

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第2部の「沖縄県祖国復帰40周年記念講演」では、桐蔭横浜大学教授のペマ・ギャルポ氏が、「わが祖国チベットと沖縄」と題して特別提言。俳優の津川雅彦さんが、「日本人の誇り─沖縄県祖国復帰40周年を迎えて」と題して記念講演を行いました。

フィナーレには、日出克&琉球國祭り太鼓が上演され、大会を盛り上げました。

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■決議文

「沖縄が本土から分れて二十年、私たち国民は沖縄九十万のみなさんのことを片時たりとも忘れたことはありません。本土一億国民はみなさんの長い間の御労苦に対し、深い尊敬と感謝の念をささげるものであります。私は沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって『戦後』が終わっていないことをよく承知しております。」

これは昭和四十年八月十九日、佐藤栄作総理大臣が米国統治下の沖縄を現職首相として初めて来訪し、那覇空港の歓迎式典にて沖縄県民に対して送ったメッセージである。佐藤総理の沖縄来訪以降、日米間の沖縄返還交渉が本格化し、七年後の昭和四七年五月十五日、沖縄は二十七年ぶりに悲願の祖国復帰を果たした。

外交文書によれば、米国政府は当初、沖縄を半永久的に支配する方針であったという。しかし沖縄では、祖国を守るために亡くなられた戦没者の思いに応えて、一日も早く祖国に復帰したいと願う人々の呼びかけで、日の丸を掲げての祖国復帰運動が始まったのである。その間、祖国復帰実現への道のりは複雑で険しいものであり、米国との外交交渉にあたった日本政府はじめ祖国復帰運動を行った多くの方々、それを献身的に支えた方々のご尽力があってこその実現であった。戦争によらずして領土返還が実現した事例は歴史上極めて稀である。我々は、祖国復帰四十周年の節目にあたり、その功労者を顕彰し、沖縄の祖国復帰が、世界に誇れる歴史である事を後世に伝えていくことを決意するものである。

復帰後、沖縄は県民の懸命な努力と政府の支援によって確実に発展を遂げてきた。その先人の労苦に敬意を表し、改めて沖縄のさらなる発展に尽力することを誓う。

同時に我々、沖縄県民の安全と生命を守るため、海難救助などに奮励されている海上保安庁の方々や、不発弾処理や離島の急患輸送に日夜尽力されている自衛隊の方々にも特別の感謝を捧げたい。

一方、祖国復帰から四十年を経た今、沖縄周辺では中国海軍及び漁業監視船、調査船など公船の示威行動が活発化し、尖閣諸島をはじめ沖縄海域の安全と主権が脅かされる危機に直面している。沖縄県民は、まさに日本防衛の最前線に生きていると言っても過言ではない。

昭和天皇は、沖縄復帰記念式典において「さきの戦争中および戦後を通じ、沖縄県民の受けた大きな犠牲をいたみ、長い間の労苦を心からねぎらうとともに、今後全国民がさらに協力して、平和で豊かな沖縄県の建設と発展のために力を尽くすよう切に希望します。」とお述べになった。今こそ全国民が一体となり、沖縄を守り、沖縄の発展に尽力するため、以下決議する。

一 、祖国復帰運動に尽力された方々の功労を顕彰するとともに、その歴史を語り継ぎ、祖国へ復帰した喜びと誇りを学校教育で教えるよう政府及び沖縄県に対し要望する。

一 、復帰前後に際し、沖縄の復興・発展に尽力された方々の労苦を偲び、更なる沖縄の経済発展に向けて各人が一層尽力する事を誓うとともに、政府に対し安全保障上重要な島嶼県として格別の配慮を求める。

一 、沖縄の安全を守ってきた海上保安庁と自衛隊に感謝するとともに、政府に対し領海警備体制の一層の強化と南西諸島の防衛体制の拡充を求める。

一 、石原都知事による「尖閣諸島買い上げ公有地編入」構想を支持し、沖縄から尖閣諸島購入運動を展開する。

一 、今年十一月、全国豊かな海づくり大会ご臨席のため沖縄に行幸啓になる天皇皇后両陛下を奉迎する活動を、県民をあげて行う。

平成二十四年五月十二日

沖縄県祖国復帰四十周年記念大会 参加者一同

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■主催者代表挨拶

実行委員長・日本会議沖縄県本部会長     中地昌平

5月15日で沖縄県は祖国復帰より40周年を迎えます。5月15日は県民の願いが実り、沖縄県祖国復帰が達成された素晴らしい日です。

たしかに基地問題をはじめ復帰後も多くの問題を残しているおり、5月15日を「米軍基地が押し付けられた屈辱の日」とする風潮がありますが、断じて「屈辱の日」などではありません。戦争の結果、占領された地域を、平和裏に取り戻した例がほかにあるでしょうか。祖国復帰は沖縄の誇りです。

ここで当時、復帰交渉の中核を担い奮闘した大濱信泉先生の言葉を紹介したいと思います。「祖国復帰運動は与えられた歴史に対する挑戦である。沖縄の現状は自ら選んだ道ではなく押し付けられたものであり、この意味においては宿命とでも言うほかはない。しかし、人間には自らの運命を開拓する英知と、どの道を選ぶべきか選択の自由がある。また民族には民族としての自覚と魂があり、そして政治的な独立と自由への憧れは民族の本能的な欲求である。このことを考えると異民族の支配には自ずから限界があり、いつまでも続けられるものでない。そこに祖国復帰運動の必然性とそれを肯定する論理がある」

この言葉は、復帰運動とは県民の一時の激情ではなく、歴史的な必然性があったのだと証明しています。

さて、本土の占領が終わったのは昭和27年4月28日ですが、沖縄はさらに20年、米軍統治下におかれたのであります。

昭和38年「4月28日」には沖縄の祖国復帰を願い、鹿児島県と琉球政府の国境となってしまった北緯27度線で海上集会が行われました。

また翌年、東京オリンピックの聖火リレーは沖縄から始まりました。当時の写真を見ますと、沿道には人があふれ本土との一体感に感動している様子が伺え、祖国を懐かしむ心情が痛いほど伝わってきます。

これらはほんの一例ですが、如何に沖縄県民が心の奥底で祖国復帰を願ったのか、雄弁に語っています。

祖国復帰を果たす為に屋良朝苗主席や、大濱信泉先生を始めとする官民問わず復帰に懸けたウチナンチュの先輩方、そして佐藤栄作総理、末次一郎先生を始めとする本土の皆様、そして「復帰が危ない」と聞くやいなや県民代表として上京した又吉康勇さん、金城テルさん、仲村俊子さんを始めとする方々、数えきれない有志の思いが重ならねば祖国復帰はかないませんでした。まずは、この記念すべき5月15日をお祝いし、祖国復帰に尽力された方々に感謝したいと思います。

さて日本政府は、復帰後、多くの米軍基地を抱えたままの沖縄への支援を続けて参りましたが、投下された資本はなんと13兆円と言われます。その結果として、水道、電気と言ったライフラインから、道路や港湾、教育施設などの社会資本の整備が急速に進み、景観を大きく変えるほどの経済成長があったことも忘れてはなりません。

これほどの支援を見ると、私は大田実中将が打たれた有名な電文「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」を思い出します。「格別のご高配」とは経済的な面ばかりではありません。この電文に込められた切実な思いを受け止められたのが昭和天皇であらせられます。現に昭和天皇は沖縄訪問を切望されましたが、病によってかないませんでした。「思はざる病となりぬ沖縄をたづねて果たさむつとめありしを」との御歌からは痛切な御心が拝察されます。そして昭和天皇の御心を受け継がれ、沖縄を訪問されたのが今の天皇陛下です。沖縄は苦難の道程を歩むと同時に、県内外を問わず沖縄を想う方々の心によって支えられ発展してきたのです。

さて、中国では「沖縄も中国領」という考えが強く、特に日本問題専門家の唐淳風氏は国営テレビで「今沖縄で琉球独立運動が激化し、中国はそれを支援するべき」と発言をして中国国内の世論を扇動しています。現在でも中国の武装監視船が我が領海内に頻繁に出没し続けていますが、尖閣諸島のみならず沖縄まで本気で取り込もうと考えているのであります。

この問題は私達に何を問いかけているのでしょうか。私は、今こそ祖国復帰の意義を多くの県民、国民と共有し、次世代を担う青少年に祖国復帰の歴史と情熱を伝えることが大切だと思うのです。それは、沖縄は他でもない祖国日本に帰ってきたことを内外にアピールすることに直結します。

そして国家主権とは領土領海、国民の生命財産を守ることである以上、我が国政府の向かうべき道は平和と人道に基づいて、世界覇権の野望を持つ無法国家に対し毅然たる国家戦略を打ち立てることであります。一刻の猶予も許さない切迫した状況であると言っても過言ではありません。本年、糸満市で「第32回豊かな海づくり大会」が行われ、天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎますが、大会の前提となる「平和で豊かな海」を我々の手で守らなければなりません。

祖国復帰は現状を正しく認識し、勇気を持って行動する人々によって達成されました。図らずも40年目の今年、沖縄県民は二度目の試練を与えられています。私たちは祖国復帰をなした先輩方に恥じないような沖縄県民、国民でありたいと思います。

トピックス : 中国問題尖閣諸島沖縄

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