【兵庫県】6月-10月 日本会議兵庫 中・西播磨支部学習会 終戦八十周年を迎えて先人に学ぶ

【兵庫県】6月-10月 日本会議兵庫 中・西播磨支部学習会 終戦八十周年を迎えて先人に学ぶ

【京都府】建国記念の日を祝う集い 講師・小川榮太郎氏

イベント案内近畿

と き:令和8年2月11日(水・祝)13:30~
第1部 《清興》建国記念祭 第2部 《記念式典》日本の建国をお祝いしよう 第3部 《記念講演》

ところ:ハピネスふくちやま 4階市民ホール
福知山市字内記100 TEL:0773-24-2951

◎記念講演
演題:『日本を取り戻す!」
講師:小川 榮太郎 氏(日本平和学研究所理事長 文藝評論家)

入場料:1,500円

主催:建国記念の日(紀元節)を祝う集い実行委員会

お問い合わせ:日本会議京都北部支部 
TEL☎ 0773-22-30452

■真冬の衆院選も折り返し。皆さん投票に行きましょう!!

オピニオン永田町情報

衆院選も中盤戦から終盤戦へと移りました。

序盤から中盤の各種世論調査では、自民党が有利に選挙戦を展開していると報じられています。過半数の233議席をうかがい、維新の会と合わせて与党が絶対安定多数の261議席に迫るとの報道もあります。

2月2日付けの「朝日新聞」などは、与党で300議席超うかがうと報じています。

しかし、油断は絶対禁物です。投票が終わったわけではありません。

高市政権発足後から比べると、内閣支持率は下降気味であり、与党の支持率も決して高くはありません。

各選挙区を見ると、接戦となっている小選挙区が100を超えています。

またいまだに投票先を決めていない有権者も、全体の3~4割程度にのぼります。

冬の悪天候などの影響によって投票率が下がれば、組織票で優位に立つ野党が伸長するなど、情勢が大きく変化することも想定されます。

現在の少数与党の国会構成では、「スパイ防止法案」も、外国人の「土地取得規制法案」も、「旧姓使用法案」も、法律は一本も通りません。ましてや安定的な皇位継承に向けた皇室典範改正や、憲法改正に向けた合意形成も遠のいてしまいます。

日本経済と日本が得意な産業を再生させ、日本列島を強く豊かにし、世界に咲き誇る国を築き上げていくためには、現在の少数与党の仕組みから脱却し、安定した国会運営ができる勢力を確保する必要があります。

高市総理は、年頭の記者会見で、今年は日本にとって「分水嶺」の年になると明言しました。

高市政権が連立合意12項目で掲げた国家的政策課題を着実に実現していくために、みなさん必ず投票に行きましょう!

とくに周りの若い世代の投票を呼びかけてまいりましょう!

 

■2月11日は建国記念の日!全国各地でお祝い行事が開催されます

国民運動歴史

■2月11日は建国記念の日!全国各地でお祝い行事が開催されます

2月11日は、日本が建国された日をお祝いする「建国記念の日」です。

建国記念の日はー

第一代天皇として神武天皇がご即位された日で、
日本の国の成り立ちや、遠く歴史を振り返る日でもあります。

この日、全国各地で様々なお祝い行事が開催されています。
日本の歴史や文化に触れることができるイベントや
伝統的な儀式、パレードなど
その土地ならではの様々催しが行われます。

家族や友達と日本の歴史や文化について話をしたり、イベントに参加したり
建国記念の日を、日本の歴史と文化に触れる特別な一日にしてみませんか?

建国記念の日は、ぜひお近くのイベントに参加して、日本の建国をお祝いしましょう!

◆「各地の行事情報」はこちらのページでチェックできます。

https://www.nipponkaigi.org/activity/zenkoku

 

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【講演】3月28日〔千葉県〕谷口智彦新会長 就任記念講演会

日本会議
谷口智彦新会長就任記念 講演会
『世界で咲き誇れ日本 憲法・皇室・安全保障を語る』

と き:令和8年3月28日(土)
【第1部】記念講演 13:30 受付開始 14:00 開会
【第2部】新会長を囲む青年懇談会 15:30 受付開始 16:00 開会

◉日本会議新会長就任記念講演
     「世界に咲き誇れ日本ー皇室・憲法・安全保障を語る」
       谷口智彦 日本会議会長

 ※当会の非会員の方でもご参加できます。

ところ:ポートプラザちば(千葉市中央区千葉港8-5 TEL 043-247-2877)

参加費:1,000円
(当日日本会議に新規ご入会いただいた方は無料になります)
(第一部・第二部の参加者は1,000円 第二部からの参加者も1,000円)

お申込み方法▼
①FAX:047-489-1950
②メール:mamonikkori@saito-mamoru.jp
申し込みフォーム

主催:日本会議千葉 〒273-0001 船橋市市場5-1-21
TEL☎ 047-460-3110

高市総理、衆院解散を表明!ー2月8日に投開票

オピニオン永田町情報

■日本の将来を見据え「自分たちで未来をつくる選挙」と命名

■総理の進退をかけ、自民・維新連立を国民に問う総選挙に

■安定した政権基盤のもと「皇室典範・憲法改正に正面から取組む」

高市総理は19日の記者会見で、通常国会冒頭の衆議院解散を表明しました。今回の解散は、少数与党として、厳しい国会運営が迫られる中、安定した政権基盤を築き、政策を力強く進めるための解散です。

前回の衆院選は、自公連立政権下での選挙であり、維新との連立が組まれた現政権は、国民の信任を受けていないとして、総理としての進退をかけた政権選択の選挙であるとの覚悟を示しました。

総理は特に政権の課題として皇室典範と憲法改正をあげ、「長年にわたり、手がつけられてこなかった課題に、正面から取り組む」としたうえで、「こうした重要政策は、安定した政治基盤と国民の皆様の明確な信任がなければ、実現できない」と、国民に堂々と信を問い、実現していく決意をみせました。

国際情勢については、台湾周辺で軍事的威嚇を強める中国を例に、「自国の主張に他国を屈服させようとする経済的威圧」の動きがある点も指摘、我が国は国際社会の中で「自由で開かれたインド太平洋」の構想をさらに進めていくと、日本外交の原則を示しています。

さらに拉致問題を挙げ、「首脳同士で正面から向き合い、具体的な成果に結びつけたい。国論を二分するような大胆な政策、改革にも、果敢に挑戦していきたい」と、首脳会談に意欲を見せました。

昨年の維新との連立合意では、「戦後八十年の宿題」の解決を掲げ、皇室典範や憲法の改正に加えて旧姓使用の法制化、安保戦略三文書の改定、インテリジェンス改革、総合的な外国人政策、経済安全保障と戦略分野への投資など、政権が取り組む政策と行程表を掲げましたが、いずれも政権基盤の安定なくしては実現できないテーマです。

高市総理は、この度の解散総選挙を「自分たちで未来をつくる選挙」とよびましたが、選挙を通じ国家観を共有する人々が結集し、総理のリーダーシップの下で挑戦し、決断し、行動する日本が築かれることを強く期待します。

[年頭の言葉]会長になって初の新年 日本会議を思う(谷口 智彦)[日本語・英語版]

[年頭の言葉]会長になって初の新年 日本会議を思う

日本会議会長 谷口 智彦
※[英訳版を日本版の下に続いて掲載しています。


■明治記念館――。
 私が最初に言ったのは

明治記念館の一室で日本会議会長になるよう依頼を受けた時は、びっくりしました。
「私なんかよりもっと知名度の高い方かたの方がよくはありませんか」と申しました。「大きな組織を長として率いた経験だってありませんよ」とも。
この二点目については少々。
東京大学法学部を私の年、昭和56(1981)年に出た者は大体、大手企業、金融機関、中央官庁に進むか、法曹になるかしたものでしたが、わたしはそれらがみなイヤでした。
昭和51年、大学1年生の秋から、佐藤勝巳という人の小さな研究所兼雑誌社へ、無償で手伝いに行っていました。
雑誌づくりは性に合っていました。自分における徹夜の才に気づいたのはこの頃です。
5年かかって卒業にこぎつけるまでには一応戦力化していたものですから、居残って専従になってくれと請われるまま、私は就職活動など一切せずその道を選び、ごく機嫌良く、そこへ「就職」したのです。
同じ佐藤氏が、新潟で講演した際に横田めぐみさんのことを初めて知るのは大分後のこと。そのときには、私はもう別の仕事(『日経ビジネス』記者)をしていました。
以来いくつも職場を変えた私は振り返って思うに、よほど辛抱のきかない人間でした。
ひとつところにじっとしていられない性分、飽きっぽい性格だったと、認めるよりありません。だったら日本会議もすぐ飽きてしまうのかと訝(いぶか)られた方、ご心配無用です。すぐあとに、覚悟を書きます。

■組織の長、管理職としての経験は皆無。それでも―

好きなこと、得意か、少なくとも不得手ではないこと、やっていて苦にならないか楽しいことしか、してこなかったと言ってもかまいません。
例えば上司に誘われて呑めない酒を付き合う、休日は仕事絡みのゴルフに行くといった、多くの人が難なくこなし苦にしないことをわたしはしませんでした。いえ、できませんでした。
でも注釈を加えておくと、YOASOBIでもSEKAINOOWARIでも、中島みゆきや石川さゆり、布施明でも、歌うのは好きです。お酒抜きで、いつでも可の状態です。
好きなことしかしない人生のどの時点でも、組織の長、管理職として過ごす経験とは無縁できてしまいました。外務省で、安倍晋三総理官邸で、いずれも幹部の一翼を担ったとはいえ、外相や首相を支えるスタッフであっても、自らリーダーだったのではありませんでした。
「そんな人間なんですよ、それでもいいんですか」と、わたしは申し上げました。とはいえ言いつつすでに、「これは自分に訪れた大きな運命だ」と、内心の声は聞こえていたのです。
その夜、日付が変わってすぐでした。生々しい現実感を伴って安倍総理が夢に現れ、「あ、それはね、とっても大切な役目ですからね、谷口さん、ぜひ受けるといいですよ」と言ったということ、奇(く)しくもそれはわたし自身の誕生日で、故総理の享年をとうとう上回ってしまったその瞬間だったということは、いつぞや本誌に「就任の弁」として書きました。
かくして皆様は、さして知名度があるでなし、組織人としてはついに未成熟のワタクシに、会長のかんむりというか、シャッポ(帽子)をかぶせておしまいには、あいなりぬ。
ここからは、かんむり=帽子のかぶり心地の話になります。

■会長の「帽子」をかぶる覚悟と決意

第一に、かんむりと申したのは言葉の綾で、これは皆様ご承知のとおり金かね目め のものではありません。浄財を元につつましく生きている組織にいかにも似つかわしいものです。そこで以後は帽子で通します。
第二に、だからといって、少々の風で吹き飛ばされる類いの軽いものではない。それどころか大変重いものだということを実感しつつあるところです。
前任の田久保忠衛さんもそうでしたけれど、私が帽子を脱ぐとしたら、最後の息を引き取るときのことでしょう。
死とは私にとってどこまでも私事であって、他者の介在を許したくないなにものかでした。その点に潔癖を維持したいと思っていましたが、もうそうはいかないようです。仮に死期を悟って事前にお役目を返上していたとしても、日本会議会長だった事実は残る。このことに少しこう、ずっしりと、重いものを感じています。感じは、消えずに残ると思います。
帽子のかぶり心地について三つ目の、そして最後の感想を申しますと、皆様は誰かがこの帽子をかぶって世間に押し出てくれるのを待っておられたということです。そのことに、随所で気づかされつつあります。
ですからこれは自分がかぶっている帽子ではあるけれども、皆さんにとって必要な帽子だったのだと悟り、しっかりかぶっていかなきゃならんぞと自覚を促されつつあるわけです。
ではどうして、日本会議会長の新たな登場が待ち望まれていたのでしょうか。待望されていたという私の観察において間違いがなければ、それはどうしてだったのでしょうか。

■驚くことに事欠かない本会の真姿

思いますにそれは、日本会議の活動を支え、担っている一人ひとりが、金銭的報酬と無縁、世間的名望とも関わりがなく、直接の見返りといって特段なにもないそんな時間と手間ばかりかかる活動に、身をささげてきたことの裏返しでしょう。
会長になって以来、驚くことに事欠きません。例えば両陛下の行幸をお迎えしようと沿道に並ぶたくさんの人たち、老若男女に日の丸の小旗を手渡したり、陛下の車列が近づいたのを知らせる手伝いをするのは、多くの場合に、日本会議の皆さんだったとは。
それからこれは学生時代から見知っている西岡力さんに直接言われたことですが、拉致被害者を救う活動で各地に出向き集会をする、街頭で署名を集めるといった大衆行動をする際、必ずといってよいほど日本会議の世話になってきたのだと。
同活動を長年ひっぱってきた西岡さんいわく、「日本会議がないと何もできなかったのに、そのことをひけらかしたりするというところが日本会議のメンバーには全然ない。ホントにエライ人たちなんです」。
私はなるほどと思いました。無名にして無私の活動にまるで祈りを──日本よ良い国なれかしという祈りをこめるようにしてたずさわりながら、その自分たちの活動を会長として代表する人が不在のままであるということに寂しいような、時として割り切れない思いを抱く方があったに違いない、だからこそ、私ごとき者でも、その会長就任をことのほか喜んでくれるのだと、そう感得したのです。

■現代の「尊皇」の集団としての私たちは

私たちは天皇さまと、そのご一家を大切に思う集団です。
その一点で人後に落ちないという自覚・誇りをもっている。
ですから幕末の用語を用いるなら、尊皇の集団です。
けれども自分たちは何々主義者であると漢語で規定することに、私はためらいを覚えます。幕末における「尊皇」とは、「佐幕」、つまり徳川幕府を守る立場に反対する主義のことでした。政治的対立の、遂には流血の対決に至る力学における言葉だったわけです。
それでなくても、漢語を用いると、何かこう、肩をそびやかすような、まなじりを決するような悲壮感が漂います。それに自分で酔いしれてしまうと、これは「小児病」の類いです。
尊皇の思いにおいて人後に落ちない私たちは、目をつり上げるより頬を緩め、悲壮になるよりも楽天的でいられる、いつも心にゆとりのある人間たちでいたいと思うものですが、皆さまはいかが思われますか。そうした快活さが、また天皇ご一家はじめ皇族のみなさまのものでもあってほしいと、それが私たちの願いでもあるわけです。

■覚悟と信念を持つ堅固で快活な集まりを信条に

この先の20年が、わが国にとって伸(の)るか反(そ)るかの時期です。
2049年、共産チャイナは創建百周年を迎えます。習近平は96歳になる年です。できればそれまで生きて、かつまた健康で、おのれ自身の手で国家的祝賀を取り仕切りたいと熱望していることでしょう。
自国を世界一に押し上げるという習近平のいわゆる「チャイナ・ドリーム」は、台湾をわがものにしない限り画(が)餅(べい)に帰します。この先いろんなことに目鼻がつく2045年ごろまでが、つまり向後20年こそは、チャイナが身もだえし、あたり構わず力を振り回して、なにがなんでも台湾を併呑したいと大勝負に出る時期です。
だからこそ私たち日本会議に集う者は、覚悟と信念の堅固な集まりでなくてはならない。しかしそれでもなお、心にゆとりをなくすことなく、快活を信条として進んでいくべきだと思うのです。悲観主義の集団になんかなってなるものか、です。

■日本会議の旗は世界が信奉する旗に

日本はどこからどう見ても、世界の中で比較を絶して長い伝統をもつ国だからで、そのことに思い及んで日本に生まれて良かったと思えるなら、悲観主義は私たちに似合わないことが納得できるからです。
世界を見回しても、日本には堅固な同盟相手があれば心からわかりあえる友邦がいて、いつでも助けに来てくれる仲間がいます。東日本大震災のあと世界が寄せてくれた同情は、人類史に特筆される規模でした。
それにひきかえチャイナは可哀想です。恐がっておべんちゃらを言う国はたくさんあるけれど、仲間と呼べる国、ましてや同盟相手の国はひとつとしてありません。習近平またしかり。心を許せる同輩を一人としてもたない世界一孤独な人です。
ですから私たちは自信をもっていい。さらにいうなら、多様性から一体性へ、グローバリズムからアイデンティティへ、世界の思潮はここ数年で大きく変わりました。日本会議が半世紀掲げてきた旗は、世界の多くで信奉される旗となったのですから、慶賀すべきです。

■50年力を合わせてきた団体の皆様と共に

今年は9月、日本を守る会結成50周年と日本会議設立30周年をそれぞれ1年ずつ後ろ倒し、前倒しして祝う一大イベントを予定しています。一口に50年といいますが、発足の頃からずっと担ってきたあの方、そしてこの方、また共に力を合わせてきた団体の皆さまのお顔を少しは具体的に思い起こせるようになったいま、ひたすら敬服の念がわいてまいります。
この先50年を展望する年ともしようと、おのずと総意ができてきました。このあたりは、継続と伝統をもって尊しとする日本会議の底を流れる信条がよく表れたところだと思います。
今年18歳を迎えて有権者となる若者は、50年どころか80年はゆうに生き、22世紀を見届ける人たちです。皇統をいま、本当に安定的なものとして、22世紀の日本にあっても、今までと同様、日本を日本たらしめてくれる存在でいてくださるよう、私たちの努力が必要です。

■元旦の計―今から50年後の日本を、世界を展望して

今から50年後の2070年代半ばまでには、天皇陛下となられた悠仁さまのご一家に健やかな男児が幾人かおられ、また旧男性皇族で皇室にお入りになった方がそれぞれの宮家で幾人かやはり男児をもうけられ、悠久の皇統の、そのまた先行きに不安のなくなっていることを望みます。皇室のみなさまは、祖霊を敬まって歌をよまれ、長い伝統を受け継いでいこうとなさっておいでのことでしょう。
チャイナの行く末は神のみぞ知る。でもインドはチャイナをしのぐ大国となって、それでも日本と心の紐を維持し、困ったときに助け合う関係を保っています。アメリカまたしかり。アメリカは陰の極まで落ちたら、また大きく上昇する国です。日米同盟にもとづいて、アメリカしっかりせいと言いましょう。
そして日本は、君が代を歌うにも日の丸を掲げるにも、妙な衒(てら)いやためらいがない国にきっとなっています。いえ、私たちの力で、そんな国にしていきたいものです。元旦の計でした。

― 英語版 ―――――――

Wearing the Hat: A New Year’s Reflection from Nippon Kaigi

Tomohiko Taniguchi

On assuming a role never sought, the meaning of quiet civic devotion, and why cheerfulnessnot pessimismshould guide Japan in an age of strategic pressure.

When I was asked to wear the hat of chairman, I hesitatednot because the role lacked importance, but because I had never imagined myself as its bearer. Yet some responsibilities are not chosen; they are entrusted. In reflecting on my first New Year in this position, I have come to see the hat not as a symbol of authority, but as one of serviceshaped by tradition, sustained by volunteers, and heavy with expectation.

When I was asked, in a room at the Meiji Kinenkan, to assume the position of Chairman of Nippon Kaigi, I was genuinely taken aback. “Would it not be better,” I replied, “to ask someone far better known than myself?” I also added, “I have never led a large organisation as its head.”

As to the second point, a word of explanation.

Those who graduated from the Faculty of Law at the University of Tokyo in my cohort1981generally went on to join major corporations, financial institutions, central government ministries, or the legal profession. I found none of those paths appealing.

Beginning in the autumn of my first year at university, in 1976, I worked without pay at a small research institute and magazine publisher run by a man named SATO Katsumi. Being a magazine editor suited me well. It was during that period that I discovered I had a certain talent for working through the night.

By the time I finally managed to graduateafter five yearsI had become a fairly experienced editor. When I was asked to remain on as a full-time staff member, I chose that path without hesitation, made no attempt whatsoever at job-hunting, and cheerfully took up what could, if one stretched the definition, be called “employment”.

It was much later that Mr SATO, whilst delivering a speech in Niigata, discovered the case of YOKOTA Megumi, the girl North Korea had abducted when she was only thirteen. By then, I had already moved on to another job, as a reporter for Nikkei Business.

Looking back now, having changed workplaces many times since, I must admit that I was not a man given to staying put. I lacked the temperament to remain settled in one place for long, and had a disposition that tired easily of routine.

If anyone therefore wondered whether I might soon tire of Nippon Kaigi as well, there is no need for concern. I shall explain why shortly.

It would not be an exaggeration to say that I have done only what I liked, what I was good ator at least not poor atand what I found neither painful nor burdensome, but genuinely enjoyable.

For example, I did notindeed, could notdo things that many people accept without complaint: accompanying one’s superior to drink alcohol one cannot stomach, or spending weekends on work-related golf outings.

By way of annotation, however: whether it be YOASOBI or SEKAI NO OWARI, or NAKAJIMA Miyuki, ISHIKAWA Sayuri, or FUSE Akira, I do enjoy singing. Alcohol is entirely unnecessary; I am always ready.

At no point in a life devoted to doing only what I liked did I acquire experience as the head of an organisation or as a managerial figure. Even though I served as part of the senior ranks at the Ministry of Foreign Affairs and later at Prime Minister ABE Shinzo’s Office, I was always a member of the staff supporting the foreign minister or the prime ministernot a leader in my own right.

“This is the sort of person I am,” I said. “Is that truly acceptable?” Yet even as I spoke those words, I could already hear an inner voice telling me: this is a great destiny that has come to you.

That very night, just after the date changed, Prime Minister ABE appeared in my dream with vivid immediacy and said, “Ah, that is an exceedingly important role, TANIGUCHI-san. You should certainly accept it.”

As I wrote elsewhere, this moment coincideduncannilywith my birthday, and with the instant at which I finally surpassed the late Prime Minister’s age at death.

And thus it came to pass that you placed upon the head of a man neither widely known nor fully formed as an organisational leader the crownor perhaps the hatof Chairman.

From here on, I shall speak of how that hat feels when worn.

First, when I say “crown,” this is merely a turn of phrase. As you all know, it is not an object of material value. It is fitting for an organisation sustained by modest, voluntary contributions and membership fees, freely given. Henceforth, I shall call it a hat.

Second, that does not mean it is light enough to be blown away by a passing breeze. On the contrary, I have come to realise that it is very heavy indeed.

Like my predecessor, TAKUBO Tadae, I expect to remove this hat only when I draw my final breath.

Death, to me, had always been an entirely private mattersomething into which I wished no one else to intrude. I had hoped to preserve that sense of purity. But it seems that is no longer possible. Even if I were to foresee my death and relinquish my duties in advance, the fact that I served as Chairman of Nippon Kaigi would remain. That reality sits heavily with me, and I believe that sense of weight will not fade.

My third and final observation on the feel of this hat is this: many of you had been waiting for someoneanyoneto wear it and step forward into public view. I have been made aware of this time and again.

I have come to realise, therefore, that while it is a hat I wear, it is one you needed. And so I find myself repeatedly reminding myself that I must wear it firmly and without hesitation.

Why, then, was the appearance of a new Chairman of Nippon Kaigi so eagerly awaited? If my observation is correct, what lay behind that expectation?

I believe it reflects the fact that each and every person who supports and sustains Nippon Kaigi has devoted themselves to activities that bring neither financial reward nor public recognitionactivities that demand time and effort, yet offer no tangible return.

Since assuming the chairmanship, I have had no shortage of finding something new. For instance, I finally understood who it was that lined the streets to welcome Their Majesties’ visits: the many people, young and old, who hand out small Hinomaru flags along the roadside, or help alert those waiting when the Imperial motorcade is approachingmore often than not, it was members of Nippon Kaigi.

Then there was something told to me directly by NISHIOKA Tsutomu, whom I have known since our student days. In organising rallies across the country, gathering signatures in the streets, and conducting mass actions to rescue victims of abduction, he said, Nippon Kaigi’s assistance had almost always been indispensable.

As NISHIOKA, who has led those efforts for many years, put it: without Nippon Kaigi, nothing could have been done. Yet its members never boast of that fact. They truly are admirable people.

I understood at once. Those who engage in nameless, selfless activityalmost as though offering a prayer that Japan may be a good countrymust at times have felt a quiet loneliness, even a sense that something was missing, in having no one to stand before the world as their representative. That, I sensed, was why they welcomed my appointment so warmly, unworthy though I may be.

We are a group that holds the Emperor and his family dear. In that respect, we knowand take pride in knowingthat we yield to no one.

If one were to borrow the language of the Bakumatsuor the end of the Tokugawa erawe might be called a group devoted to revering the Emperor.

Yet I hesitate to define ourselves using what are often called kanji-go, a combination of stiff-sounding Chinese characters. In the Bakumatsu period, such terms signified a political dynamism, opposed to the incumbent Tokugawa shogunate, and were embedded in forces that ultimately led to bloodshed.

Moreover, such language tends to convey a mood of excessive earnestness, of squared shoulders and fixed resolve. To become absorbed in it is an infantile disorder.

We who are second to none in our devotion to the Emperor should relax our cheeks rather than raise our brows, remain optimists rather than pessimists, and always keep a sense of spaciousness in our hearts. Would you not agree? I know that many of you hope that such brightness is also what the Imperial Family themselves live with.

The next twenty years will determine whether our nation rises or falls.

In 2049, Communist China will mark the centenary of its founding. XI Jinping will be ninety-six years old. He surely wishes to live until then, remain healthy, and personally preside over the national celebrations.

XI’s so-called China Dream of elevating his country to the world’s foremost power will remain an empty vision unless Taiwan is brought under his control. The years leading up to around 2045the next two decadeswill therefore be the period in which China strains, lashes out indiscriminately, and stakes everything on absorbing Taiwan by any means possible.

That is why those of us gathered in Nippon Kaigi must be a body of firm resolve and unshakable conviction. And yet even so, we must not lose our composure. We should advance with cheerfulness as our creed. We will not become a collective defined by pessimism.

Japan, after all, is a country with an unparalleled continuity of tradition in the world. When one reflects upon that and feels grateful to have been born Japanese, one easily comes to understand that pessimism no longer suits us.

Looking around the world, Japan has steadfast allies and trusted friends, companions who will come to our aid when needed. The sympathy shown by the international community after the Great East Japan Earthquake was of a scale worthy of special note in human history.

China, by contrast, is a lonely country. Many nations fear it and offer flattery, but it has not a single true ally, nor a country it can genuinely call a friend. The same is true of XI Jinping himself. He has no peer in whom he can confide and stands as one of the most isolated leaders in the world.

We may therefore be confident. More than that, in recent years the world’s intellectual current has shifted decisivelyfrom diversity toward cohesion, from globalism toward identity. The banner that Nippon Kaigi has upheld for half a century has now become one embraced in many parts of the world. That is something to be celebrated.

This September, we plan a major event to commemorate, with a one-year adjustment in timing, the fiftieth anniversary of Nihon wo Mamoru Kai, a group of people wishing to protect Japan, and the thirtieth anniversary of Nippon Kaigi. Fifty years may sound abstract, but now that I can vividly recall the faces of those who have borne this cause from the beginning, as well as the organisations that have worked alongside them, I feel nothing but deep admiration.

It has naturally become our shared understanding that this should also be a year in which we look ahead to the next fifty years. In this, one can clearly see the underlying creed of Nippon Kaigi: reverence for continuity and tradition.

Young people turning eighteen this year and becoming voters will live not merely another fifty years, but likely eighty, and will see the twenty-second century. It is incumbent upon us to ensure that the Imperial lineage remains truly stable, so that even in twenty-second-century Japan it will continue, as it has until now, to make Japan Japan.

By the mid-2070s, fifty years from now, I hope that His Imperial Highness Prince HISAHITO, by then Emperor, will have several healthy sons in his family; that former male members of the Imperial family who return to the household will likewise have sons in their respective branches; and that all uncertainty about the future of the unbroken Imperial line will have vanished. The members of the Imperial Family, I trust, will continue to honour the ancestral spirits, cherish poetry, and carry forward their long tradition.

China’s future is known only to the gods. But India will surpass China as a great power, while maintaining a bond of the heart with Japan and a relationship in which we help one another in times of need. The same holds true for the United States. America is a country that, having fallen to its depths, rises again. On the basis of the JapanU.S. alliance, we should not hesitate to tell America to steady itself.

And Japan will surely become a country where singing Kimigayo or raising the Hinomaru involves no affectation or hesitation. Indeed, it is our wishand our resolveto make it so by our own efforts. Such was my New Year’s reflection.

Profile

Appointed in July 2025 as the fifth Chairman of Nippon Kaigi. Specially Appointed Professor at the University of Tsukuba; Special Adviser to the Fujitsu Future Studies Center. Born in Kagawa Prefecture in 1957. Graduate of the Faculty of Law, University of Tokyo. Former economic magazine journalist; Ministry of Foreign Affairs official; full-time adviser to JR Central; professor at Keio University Graduate School. Served as Cabinet Councillor and Special Adviser during Prime Minister ABE Shinzo’s second administration, where he was responsible for drafting the Prime Minister’s foreign policy speeches. Author of Abe Prime Minister’s Speeches, among other works.


Note This is a complete English translation of an article titled “My First New Year as Chairman: Reflections on Nippon Kaigi,” originally published in the January 2026 issue of Nihon no Ibuki, a monthly magazine for members of Nippon Kaigi.

【動画】安倍総理がその言葉に託した想いとは?谷口会長が語るスピーチ執筆の舞台裏

【動画】安倍総理がその言葉に託した想いとは?谷口会長が語るスピーチ執筆の舞台裏

谷口会長の著書『安倍総理のスピーチ』より、安倍総理の「日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ」のフレーズが生まれた舞台裏について紹介いたします。

 

『安倍総理のスピーチ』(文春新書)谷口智彦著
アメリカ議会演説、戦後70年談話、ヒロシマと真珠湾で交わした和解スピーチ、全国戦没者追悼式式辞――「総理のスピーチライター」谷口氏が明かす、安倍外交の舞台裏、演説に込めた総理の思い。

[令和8年度を迎えるにあたって]自民・維新連立政権の政策実現に期待します

オピニオン永田町情報

[令和8年度を迎えるにあたって]
自民・維新連立政権の政策実現に期待します

自由民主党と日本維新の会が連立にあたり、強く豊かな日本を甦らせ、世界に咲き誇る日本を目指し、12テーマの政策合意の実現に向けて日々尽力されていることに敬意を表します。

特に自由で開かれたインド太平洋構想を掲げ、力による現状変更を許すことなく、我が国の平和と独立を守り抜くための外交安全保障政策や、憲法改正へ向けた努力を評価します。
さらに我が国の伝統に基づく皇室制度、家族制度の実現や、国旗その他国章の尊重を掲げている点は、戦後長く置き去りにされた課題であるだけに、一日も早く合意内容が実現することを期待します。

あわせて国民生活の向上と力強い日本経済をつくるため、日本が得意とする産業・技術分野への積極的投資を行い、自前のエネルギー基盤の確立、国益を守る観点からの経済安全保障政策とインテリジェンス改革、外国人の違法行為やルール逸脱には秩序ある共生をめざすなど、果敢に挑戦する取り組みに賛同します。

令和8年は、昭和改元から起算し満100年に当たり、4月29日には政府主催の昭和100年記念式典が開催されます。

この記念すべき年に当たり、改めて昭和天皇と昭和を生きた同胞が歩んだ戦争の苦難と、占領、復興、繁栄の歩みを振り返り、国家の基盤を強固にしていく年になることを願います。
令和8年は丙午(ひのえうま)にあたりますが、古来、太陽が明るく輝き、冒険や挑戦といった活力みなぎる年といわれています。
政府と国会が、国家の根幹にかかわる様々な諸課題に挑戦し、着実に成果を挙げる1年となるよう期待します。

 

令和8年度 連立政権が取り組む政策についてのコメント

①皇室制度について、政府報告書に基づき、皇統に属する男系男子を皇族とする案を重視し、国会の合意形成に向けての取り組みに賛同します。

②憲法改正について、緊急事態条項創設、九条改正へ向けた改正条文案を起草する取り組みに賛同します。

③家族制度について、婚姻前の旧姓使用に法的効力を与える制度を実現し、不便さの解消を目指す取り組みに賛同します。

④「日本国国章損壊罪」について、国旗及び国章を尊重するための刑法への規定の新設に賛同します。

⑤外交安全保障について、戦略三文書の改定、防衛力の着実な整備、「装備移転三原則」見直し、自衛官の処遇改善や同志国との連携強化を図り、戦争を抑止し国際社会の平和と安定を目指す取り組みに賛同します。

⑥インテリジェンス政策について、国家情報局・国家情報会議の設置、対外情報庁の創設、インテリジェンス・スパイ防止法制の制定など、直接・間接の侵略を阻止する取り組みに賛同します。

⑦外国人政策について、外国人材受け入れの総量規制、違法行為や制度の濫用・悪用への対応強化、外国による不動産取得の可視化など、国民が公平公正さを実感できるための取り組みに賛同します。

⑧経済安全保障について、レアアースなど国産の資源開発、安定的電源の確保へ向けたエネルギー開発、海底ケーブル強靭化など、特定の国に依存しない経済基盤を確立する取り組みに賛同します。

⑨国土政策について、環境破壊や災害リスクの低減のため、大規模太陽光発電所(メガソーラー)の規制強化に賛同します。

【産経記事】月に1度の沖縄訪問を 谷口智彦

11月17日『産経新聞』月曜コラムに、谷口智彦・日本会議会長のコラムが掲載されました。

高市首相の「存立危機事態」に関する発言が、外交問題となり、南西諸島の防衛にも大きな注目が集まる中、谷口会長は、与那国、宮古島、石垣島といった国境の島々に高市首相が訪問することを提言しました。

■月に1度の沖縄訪問を

第2次政権発足早々、安倍晋三故元首相が秘書官たちにまず言ったのは、「週末を全部使う」だったと聞いている。

実質上、高市早苗首相と同様に「ワーク、ワーク、ワーク」すると宣言した。というか高市氏が、この安倍元首相の先例を意図して踏襲しているのであろう。

「週末は少なくとも毎月4回ある」と元首相は言って、その使途を指示した。

1回は必ず外国へ行くことにして、そこから弾丸出張シリーズが始まった。

国内各地の景況視察と平日会えない人との会合に各1回の週末を充てると、土日で残るのはあと1回だ。

「それを、福島はじめ東日本大震災の被災地を回るのに使う」と明言して、長いことその誓いを守った。

どこでも寝てしまう首相の次に来た自称働きまくり総理大臣は、若年層や女性の人気をあっという間に集めた。どうやら私たち日本人は、懸命に働く人についていきたい生き物らしい。

効果が実証済みではあることだし、高市首相にも、月に1度は必ずやると決めて実行してほしいことがある。沖縄へ行くことだ。

最初に行ってほしいのは与那国島である。これからの時期なら空気が澄んで、「指呼の間」にある台湾が見えるかもしれない。

習近平氏一人の判断で、台湾武力侵攻はいつ起きないとも知れない。与那国島のレーダーなどは真っ先に狙われる-ということを知りつつ働く自衛隊員は、現代の防人(さきもり)だ。どんな面構えか、見てきてほしい。

なんでもコンビニがないとかで、隊の施設にある乏しい品ぞろえで我慢しているらしいから、圧倒的物量の駄菓子(と飴(あめ)ちゃん)を持っていってほしい。

宮古島にも石垣島にも、しばらくは月に1度と決めて順繰りで回り、合間には沖縄本島のそこここを巡って中学生や高校生にハッパを掛けてみるなどどうか。

日本維新の会との連立政権合意書は、「経済安全保障政策」としてやや肩透かしなことに「南西諸島における海底ケーブルの強靱(きょうじん)性を強化するための施策を推進する」の一項を掲げるのみだ。だったら、実のところどれほど脆弱(ぜいじゃく)なのか、維新の誰か、それからここらに強い関心をもつ小林鷹之自民党政調会長らと一緒に見に行けばいい。

首相の沖縄、南西諸島訪問がほとんど定例と化し、新聞がベタ記事で扱うかどうかくらいになればしめたものだ。空や海から尖閣諸島もしっかり見てもらって、新聞に驚いてもらおう。

それでこそ次に習近平氏と会ったとき、奈良の女はなめたらあかんと、ドスをきかせることができる。

来年は、沖縄県知事選挙の年だ。東京でじっとしていたって、状況は好転しない。自衛隊には、使うのにいい飛行機もあると思う。

(「産経新聞」月曜コラム 令和7年11月17日より)

【永田町ニュース】[経済安保]総務省、海底ケーブル防護に向け検討会

オピニオン永田町情報

総務省は11日、第1回となる「国際海底ケーブルの防護に関する検討会」を開催しました。

日本の国際海底ケーブルは、国際通信の99%を担っており、経済活動や社会活動を維持する上での重要インフラです。

さらに、物理的な特性から総延長は12000キロが限界とされており、東アジア・東南アジアの海底ケーブルは、日本を中継して北米に向かう重要な拠点となっています。

海底ケーブルを陸揚げする中継局は、太平洋沿岸の房総半島と志摩半島の二か所に集中しており、東日本大震災では志摩半島の一系統を除き全て破損するという事態に陥りました。

また最近では、台湾本島沿岸で民間船の不可解な操船により台湾のケーブルが切断されるという事件も起きており、中国の関与も指摘されていることから、有事の対応の観点からも通信の確保は重要となっています。

自民と維新の連立合意でも「経済安全保障政策」の一項目として、「南西諸島における海底ケーブルの強靭性を強化するための施策を推進する」と明記されました。

検討会は、有識者からのヒアリングを行うとともに、来年6月ころに報告書をまとめ、予算措置や制度改正につなげる予定です。

検討会には学識経験者ほか、オブザーバーとして内閣官房副長官補室や、内閣安全保障局からも参加します。

11月14日 林総務大臣会見

海洋に四方を囲まれた我が国にとりまして、海底ケーブルは、社会活動・経済活動を維持する上で欠かすことのできない重要なインフラでありまして、その安全の確保は極めて重要であると考えております。

その一方、海底ケーブルにつきましては、漁業活動などの人為的活動や自然災害などによる切断されるリスク、これが一定程度あると認識しております。

このため、総務省といたしましては、海底ケーブルの切断リスクに備えまして、通信事業者と連携し、海底ケーブルの多ルート化、そして、障害発生時の連絡体制や事業者間の連絡体制の確立などに取り組んできたところでございます。

総務省としては、国際海底ケーブルの防護体制の強化、そして、国際海底ケーブルの自律性の確保といった観点から有識者会議においてご検討いただきまして、その検討結果を踏まえて必要な施策を講じてまいります。

https://www.soumu.go.jp/main_content/001040293.pdf

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【永田町ニュース】G7外相、武力による現状変更反対で一致

オピニオン永田町情報

11月11日と12日の2日間開催された、G7外相会合には茂木外務大臣が出席、「世界の平和と安全」「海洋安全保障」などのセッションや、参加国との二か国間の外相会談が開かれ、共同声明が採択されました。

声明では、「インド太平洋地域全体の安全保障及び繁栄 」が明記され、「我々は、台湾海峡の平和と安定を維持することの重要性を強調し、特に力又は威圧によるあらゆる一方的な現状変更の試みに反対た。」と中国を念頭に置いた現状変更の動きに強い懸念を表明しました。

中国外交部は現在、高市首相の国会答弁を契機にいわゆる強い言葉で相手を非難する「戦狼外交」を外交官が担っていますが、中国の反応は、ASEAN、APECなどでの諸外国の動きとも無縁ではありません。

G7が「一方的な現状変更の試みに対する強い反対」と断固たる意志を表明したことは、重要です。

◇「共同声明」中「インド太平洋地域全体の安全保障及び繁栄 」部分

我々は、法の支配に基づく自由で開かれたインド太平洋の重要性を再確認した。

我々は、東シナ海及び南シナ海におけるものを含む、特に力又は威圧による、 あらゆる一方的な現状変更の試みに対する強い反対を改めて表明した。

我々は、南シナ海における危険な操船及び放水銃の使用並びに、南シナ海における軍事化と威圧を通じて航行及び上空飛行の自由を制限しようとする活動に対する深刻な懸念を表明した。我々は、2016年7月12日の南シナ海に関する仲裁裁判所による仲裁判断が、重要なマイルストーンであり、当事者を拘束することを改めて表明した。

我々は、台湾海峡の平和と安定を維持することの重要性を強調し、特に力又は威圧によるあらゆる一方的な現状変更の試みに反対した。我々は、建設的な対話を通じた、両岸問題の平和的解決を促した。我々はまた、適切な国際機関への台湾の意味ある参加への支持を表明した。

我々は、中国の軍備増強及び急速な核兵器数の増加を引き続き懸念しており、北京に対し、透明性の向上を通じた安定へのコミットメントを示すよう求める。

我々は、北朝鮮の核及び弾道ミサイル計画を強く非難し、関連する国連安保理決議に従った、北朝鮮の完全な非核化への我々のコミットメントを再確認した。我々は、北朝鮮の暗号資産窃取に対し重大な懸念を表明した。我々は、北朝鮮に対し、拉致問題を迅速に解決するよう強く求めた。

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【永田町ニュース】茂木外相、「存立危機事態」をめぐり中国外交部に反論

オピニオン永田町情報

茂木外務大臣は14日夕刻、外務省で会見を行い、「存立危機事態」をめぐる中国総領事や、中国外交部の一連の主張に対して明確に反論しました。

●存立危機事態について

高市総理の国会での答弁に対して、昨日、中国側から、我が方大使へ、金杉大使に対して抗議があり、金杉大使から、高市総理の答弁の趣旨と我が国の政府の立場について、中国側に改めて説明を行い、明確に反論した。

我が方大使から、今般の中国の大阪総領事の投稿、これは、在外公館の長の発信として、極めて不適切と言わざるを得ないと、強く抗議の上、改めて中国側の適切な対応を強く求めた。

台湾海峡、この平和と安定は、日本の安全保障はもとより、国際社会の安定にとっても、極めて重要でありまして、この点は何度も繰り返している。

台湾をめぐる問題が、対話により、平和的に解決されることを期待すると、これが我が国の一貫した立場。

政府の台湾に対する立場、これは、1972年の日中共同声明のとおりであり、変更はない。

平和安全法制は審議の中でも、その後も、しっかりと説明している。その考え方は変わっていない。そのことが我が国の立場であると説明し、中国の言っている主張は違っていると反論した。

高市総理を含めて、我が方の、平和安全法制、存立危機事態に対する説明は、明確であり、なんら国際法に反するものではない。

国会での審議をして成立している法案であり、撤回する必要はないことは当然のことである。

中国におけるスパイ罪の運用について我が国は、中国の「反スパイ法」について、これまでも中国側に対して、例えば「反スパイ法」の最後に、「その他スパイ行為」が入ったり、あいまいな部分もあり、法執行、及び司法プロセスの透明性の確保を求めている。

透明性は、まだ不十分であり、引き続き、関連の取組、申入れ等々も行っていきたい。

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【永田町ニュース】憲法改正を協議する与党の「条文起草協議会」、初会合

オピニオン永田町情報

11月13日、連立を組む自民党と維新の会は、国会内で憲法改正を協議する「憲法改正条文起草協議会」の初会合を開催しました。

憲法に関する協議会の設置は、連立合意文書に明記されており、憲法九条と緊急事態条項の条文起草を進めることが盛り込まれています。

緊急事態条項については、議員任期の延長や、内閣による緊急政令の規定を盛り込み、令和8年の年度内に条文を国会提出するとしています。

日本維新の会は、今年九月、憲法九条二項を削除する提言をまとめ、集団的自衛権の全面的容認に主張を転換しました。

そのため、九条一項、二項は改正せずに自衛隊を明記するという従来の自民党案との調整には時間がかかることが予想されます。連立合意にも九条改正案の国会提出の時期は明記されていません。

また、公明党が連立を離脱し立憲民主との接近が見られますが、野党となった公明党が憲法改正にどのような立場をとるのかが不明確となっています。

昨年の衆院選の結果を踏まえれば、衆院での改憲勢力は三分の二を大きく割り込んでおり、改憲発議を実現するためには総選挙の実施は避けられません。

与党協議会では、自民の新藤義孝議員が「目的は共有している。議論を前に進めていきたい」と語り、維新の馬場伸幸議員も「憲法改正に向けてワンステップ上がった。素晴らしい結果が残るように成案を得たい」話しました。今後の与党協議会の動きは注目です。

与党の憲法改正条文起草協議会には、自民党から新藤義孝議員、柴山昌彦議員、山下貴司議員の三名が、維新からは馬場伸幸議員、和田有一朗議員、阿部圭史議員の三名が各党代表として参加しています。

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