日本会議・日本会議国会議員懇談会が設立してより五年。設立五周年の記念大会が、11月18日、東京・帝国ホテルにおいて盛大に開催された。国会議員130名、役員、全国から集った会員など約2000名が参加し、会場は熱気に包まれた。
はじめに、国民運動の関係物故者を偲び黙祷が捧げられた。続いて小堀桂一郎副会長が五年を振り返りつつ、開会の辞を述べた。つぎに自由民主党組織本部長の中川昭一・日本会議国会議員懇談会会長代行より主催者挨拶が行われ、その後、小泉純一郎内閣総理大臣と李登輝台湾前総統からの祝辞が披露された。
続いて各党代表・国会議員より祝辞が述べられ平沼赳夫・経済産業大臣、古賀誠・自民党前幹事長、扇千景・国土交通大臣が挨拶に立った。日本遺族会会長の古賀誠議員は「国立追悼施設」構想へ強く反対する意見を述べた。
つぎに日本会議・日本会議国会議員懇談会の両会長より、記念講演が行われた。麻生太郎会長は教育基本法改正についての信念を披瀝し、三好達会長は「倫理としての愛」の実践である国民運動の推進を呼びかけた。
この後、拉致問題について、安倍晋三・内閣官房副長官と北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表の横田滋・早紀江夫妻より挨拶が行われ、その後、中山太郎・衆議院憲法調査会会長、西澤潤一・岩手県立大学学長より挨拶が行われた。横田滋・早紀江夫妻には、拉致被害者全員の無事救出を祈り全国より寄せられた千羽鶴が手渡された(一週間で全国より総計8212羽が寄せられた)。
大会決議として憲法改正、教育基本法の全面改正、国立追悼施設計画の阻止などを求める大会決議が田中安比呂理事長より朗読され、満場の拍手で採択された。最後に工藤伊豆副会長の先導により聖寿万歳がなされ、第一部を閉会した。
ひきつづき第二部の記念祝賀会が開催。野田毅・保守党党首、民主党の松原仁衆議院議員、清原武彦・産経新聞社社長より挨拶が行われ、岡崎久彦・元駐タイ大使の先導で乾杯が行われ、今後の国民運動の更なる躍進を誓い合った。(以下、登壇者の抄録を掲載・文責編集部)
開会の辞 | 小堀桂一郎 | 日本会議副会長・東京大学名誉教授 |
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主催者挨拶 | 中川昭一 | 日本会議国会議員懇談会会長代行・自由民主党組織本部長 |
来賓祝辞 | 平沼赳夫 | 経済産業大臣 |
古賀誠 | 自由民主党前幹事長・日本遺族会会長 | |
扇千景 | 国土交通大臣 | |
特別ご挨拶 | 安倍晋三 | 内閣官房副長官 |
横田滋・早紀江 | 北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表 | |
中山太郎 | 衆議院憲法調査会会長 | |
西澤潤一 | 岩手大学学長 | |
大会決議 | ||
大会第2部祝賀会 |
瞬く間に過ぎ去ったこの五年間を顧みると、まず第一に設立当初の様々のことが思い浮かびます。初代会長にご就任予定であった黛敏郎氏が会の発足直前に急逝され、黛氏の遺志を体して急遽初代会長を引き受けられた塚本幸一氏もご就任後僅か一年半で逝去されるという不運な巡り合わせがありました。また日本会議国会議員懇談会の方にも政界の変転を反映して、思いがけない人事の変動を生じました。
しかし、昨年のちょうどこの時期に、日本会議は元最高裁判所長官の三好達先生を新たに会長にいただき、ご指導を得て全体の士気はとみに高まっております。また国会議員懇談会も自由民主党政調会長の麻生太郎先生が会長に就任され、益々堅実な歩みを踏み出していることを喜びたく思います。また、これまで種々の不利な条件を克服しつつ、常に運営に尽力して下さっております事務局の方々の地道な努力にも感謝を表します。
お陰をもちまして会員数も、地方の都道府県本部の数も着々と増加を続けております。かくして五年目にして、我々の国民運動の覚悟も姿勢も、いよいよ本格的に整いました。本当の活動はこれからであります。為すべき課題は山積しております。そして内外の情勢は、我々の奮起を促すが如く機が熟しております。この五周年の記念大会を機会に、我々はまず如何なる不当な外圧にも屈しない独立主権国家としての日本国再生のために、お互いに一致協力していくことを誓い合いたいと存ずる次第です。
いま、物故された諸先輩方のお一人お一人のお顔を思い出しながら、感謝と共に、頑張っていかなければと、決意を新たにしています。
さて、この五年間を思い起こすとき、本当に激動の日本でした。外的な意味だけではなく、内的にも激動があったと思います。私が忘れることが出来ない出来事がございます。それは、宮中晩餐会における、中国の江沢民前国家主席の何とも異様な態度です。私はその時、閣内におりその場に出席しておりましたが、終生忘れることが出来ません。たまたま経済状況が悪く、事件や事故が多発している我が国とはいえ、国の象徴であられる天皇陛下に対して、こういう態度をとるのかと思い、誠に悔しく思いました。怒りと共に改めて国民一人一人と共に、この運動を進めていかねばと、決意を新たにしたところです。
他にも教科書問題、靖國問題、夫婦別姓、一民間人となった李登輝前総統閣下の訪日問題と多くの課題があります。そして北朝鮮に拉致された方々、我々がまだ生きていると信じてやまない我が国民に対して、二十五年間という長い期間を乗り越えて、一日も早くまともな幸せな暮らしを達成させていかねばと思っております。一部の報道がねじ曲げても、国民の大きな期待と支持とが「日本政府よ、日本国よ、しっかりやれ」という大きな後押しとなってどんどん強くなっています。我々の責任において、皆様の期待に是非とも応えて行かなければならないと思っております。
私が国会に議席を頂いたのが二十二年前ですが、その時に「日本会議」の前身の「日本を守る国民会議」が黛敏郎先生を中心として、国の現状と将来を憂い大きな活動を展開されていました。教科書問題、憲法問題、靖國問題等々、問題が山積しており、国会の中からもこれに呼応して何か行動を起こすべきではないかとの信念で、同志が相図って「国家基本問題同志会」を誕生させました。
当選後ほどなくして起こったのが第一次の教科書騒動でした。歴史教科書の「侵略」という記述を「進出」に書き改めたとの誤報を、時の政府は事の真偽を確かめることもなく謝罪をしてしまった。これがその後の我が国の教科書に大きな影響を及ぼしたことは、ご承知の通りです。その時も私どもは黛先生を始め同志の方々と総理官邸に行き、総理大臣や官房長官に直に訴え、正す行動を行いました。今は亡き黛敏郎先生のあの温容を思う時、本当に先頭に立って頑張って頂いていたと懐かしい思いで一杯であります。
これら行動の集大成として五年前に日本会議という力強い組織が誕生し、それに相呼応して国会議員懇談会も誕生することができました。この五年間も、お互い協力しながら日本国の根本的な問題について大きな足跡を残してきたことは言うまでもありません。
今、日本は厳しい立場にありますけれども、皆様方が全国におられるからこそ、日本の将来への希望に確信が持てるわけであります。我々国会議員も皆様方と共に歩調を合わせて一生懸命頑張ってまいります。
多年途絶えておりました総理の靖國神社参拝が、昨年八月十三日と今年の春季例大祭と二年連続して行われたことを、私ども遺族は心から喜び、感謝しております。しかし一方で、官房長官の下の私的諮問機関で、新しい平和と追悼の施設が議論されています。
私も戦没者遺族の一人であります。父は召集令状一枚で戦地に赴き、私が二歳の時にフィリピンのレイテ島で戦死を致しました。私が国政に参画して十年目、母が初めて東京に来てくれました。その時、母に「東京で行きたいところがあれば、どこでも連れて行くから、どこに行きたいか」と尋ねると「靖國神社に参れれば、それで満足だ」と言い靖國神社に行きました。母のあの時の嬉しそうな顔は今でも忘れることができません。遺族の我々にとって靖國神社は、正に追悼の中心的な施設であり、失ってはならない精神的な中核施設です。平和と追悼の新しい施設で靖國神社が形骸化されるならば、私はそれを断じて許すわけにはいきません。
小泉総理の掲げる「聖域なき構造改革」が目指す最終的な目的は、誇りある人間としての独立自尊、魂を取り戻すことになければならないと思います。戦没者は戦場で日本の国に何を願い亡くなっていったのか。それは物質的、経済的な豊かさではなく、日本の国が誇りを持って、そして国際社会の中で信頼される国を作るために尊い命を捧げられたのだと思います。皆様と一緒に誇りある国づくりに全力を尽くしたく思います。
戦後、日の丸を掲げることに抵抗があった中で、私たちは長い間、集会で日の丸が掲げられるように運動して参りましたが、案ずるより産むが易しです。今年のサッカー・ワールドカップでは、若者たちが日の丸の旗を掲げ、顔に日の丸のペインティングまでしました。初めてと言っても差し支えないぐらい、多くの若者が日本という国家意識に目覚めました。その様な行動を見て、嬉しく思いました。会場にお来しの皆様が日本の国のために活動してこられたことは存じておりますが、問題は二十一世紀を背負って立つ若者が、日本というその意識を持ってくれるかということです。
殺伐とした二十世紀の日本を、今日の姿にまでして下さったことに、心から感謝を申し上げるところですが、果たして誇りある日本が国民の意識の中にあるでしょうか。かつて「経済は一流、政治は三流」と言われましたが、政治は一流になれたのか。経済はいまでも一流なのか。
建築業界ではバブル時代に増えた業者が、バブルの崩壊後の今、生き残れるかどうかの瀬戸際にあります。さらに言えば、先進国首脳会談には日本の総理がアジアを代表して出席をしておりますが、果たして日本にその会議に出席する資格があるのか。それほどの危機に直面しております。教育、防衛、憲法について、世間に対して遠慮しながら発言をしていた時代は、もう終わりにしなければ、二十一世紀はないということです。
いま我々は二十一世紀に何を残すかという政治判断を、問われていると思っております。
いま日朝交渉は難しい局面に立っています。私どもはこの問題については一歩も引き下がらない強い決意を以て臨んでいます。私を強行派だという人がよくいます。しかし、私も日本政府も北朝鮮に対して、人、物、お金の流れの一切をストップしておらず、何の制裁もしていません。KEDOの分担についても話していません。極めて穏やかな対応で、アメリカであれば軟弱と言われるかと思います。
また人によっては、今のような対応では、核の問題、安全保障上の問題も解決しないとの批判がありますが、これは全く薄っぺらな独りよがりの批判でしかないと思います。当然、政府としても核ミサイル、通常兵器などの安全保障上の問題は日朝間の大きなテーマであり、これが払拭されない限り正常化はないとの基本方針で交渉しています。それと同時に拉致問題も、国民の生命と財産を守るという安全保障上の問題です。拉致されないような国の護りを作ることは安全保障の立派な柱にしていくべきであると考えます。
いま何とか五人の方々が帰国されました。小泉総理が金正日総書記と会談したことも大きな要素ではありますが、この成果の一番の要素は家族の皆さんの強い意志と団結です。二十数年間、子供たちが連れ去られたつらい経験を通して、国家とは何かと考えてこられた結果ではないかと思います。今後とも政府一丸となり、また国会、国民も一つになって「子供たちを返せ、家族を返せ」と言っていくことが、北朝鮮との交渉において大きな力になると思います。
各地の「救出する会」等では、日本会議という名称で活動されてはいませんが、実質的には日本会議の方が中心的な役割を果たして下さっておりましたことに感謝しております。
九月十七日の小泉総理の訪朝の時に、北朝鮮側は、生存者の五名と死亡者の八名のリストを提出し、私の娘めぐみは、死亡と宣告されました。しかし翌日になると、特に確認が取れたものではないと判明しました。
その後、政府の調査チームが四日間、現地で調査をしました。その結果、北朝鮮の発表したほとんどの死亡者が、二十代に不自然な災害死で亡くなっております。めぐみを除く他の方のお墓は流されて証拠もない状態です。北朝鮮の発表をわれわれは信じておりませんし、これからも生存を前提として戦って参ります。
先般のクアラルンプールでの日朝国交正常化交渉で、日本側は非常に強行な姿勢に出ました。特に帰国した五人の方を、いつ返すかという目処はつけず、日本側は次回の開催日も示しませんでした。先方は、何も結果を持ち帰ることが出来なかった訳です。
日本の外交は今年になってから、小泉総理大臣、安倍官房副長官、実際交渉に当たっている鈴木大使、斎木参事官、内閣府の中山参与が国益に沿って、かつ家族の立場に立って交渉をしてくださっています。ですから家族会は、今回は成果がなかったかもしれませんが拍手を送りました。政府の現在の外交姿勢を家族会は全面的に支持をしております。しかし問題が終わったわけではありませんので、引き続き皆さんのご支援をよろしくお願い申しあげます。
日頃は拉致被害者を救出するために、ご尽力頂きましてありがとうございます。本当に長い長い二十五年でありました。始めの頃は打ちひしがれて、新潟の寂しい町をさまよい歩いて泣き続けておりました。けれども、たくさんの方々のご支援により、北朝鮮による拉致であることがわかりました。多くの方々のお心に支えられて、今日まで六ヵ年の救出活動に参加することができました。
今まで外務省や政府の交渉にあって、何度も陳情に行き、大変な中を過ごして参りました。しかし今回の、安倍官房副長官、斎木参事官、中山参与をはじめ拉致議連の多くの諸先生方は、本当に私たちが求めていた昔の日本の温かい心を持った方々です。このような強い方々が前面に出てくださいました。私たち家族にとりまして本当に心強い限りです。「ようやくこの日が来た」と思っております。
私たちは本当に小さな者に過ぎませんけれども、子供たちが拉致され、国から国へと移されて、あちらで全く違った人生を強いられている。その子供たちを何としても取り戻さなければなりません。私たちは本当に日本の国がこのようにあって良いのかと、いつも考えるようになりました。子供たちが皆元気で帰って来られるように、どうか皆様方の温かいご支援をお願い致します。
戦後五十数年間、国会に憲法を論ずる機関が存在せず、この国のかたちと心はずっと憲法を引きずってきました。私はいまほど、教育、少年犯罪、社会経済が乱れた姿を見たことはありません。繁栄をした日本は、いま再び転落の道を歩みつつある。かつて栄えたスペインもポルトガルもギリシアも永遠には栄えなかった。ここで日本を構成している憲法を国民と共に考えなければ、国の前途は決して明るいものではありません。
日本国憲法の精神を教育に生かすために教育基本法は作られ、また制令や条令は憲法の目的が国民の生活に浸透するように作られました。連合軍が、再び自国の敵にならないように意図して作られた憲法の仕組みの中で、我々は生活してきたのです。
果たして日本人は国というものを本気で考えて暮らしてきたのか。不審船が周辺海域を脅かし、たくさんの若者が拉致されました。拉致被害者の家族の方々は「全てのことは国にお願いをします」と言われた。戦後はじめて国民と国家の関係が明確にされました。国を護ること、生活を守ること、義務教育を実施するにしても、国家が行うのです。国家を構成している国民の権限は国会議員に委任されている。国会議員の三分の二が決断したときに、はじめて憲法改正の一段階に達します。
この三年の調査で、国際情勢が変化する時、それに対応して多くの国が憲法を変えてきた事実を見てきました。憲法調査会も残すところあと二年。二十一世紀の国をどう作るのかが国会議員に与えられた責任であると思っております。
日本は戦後、生産力で国際的に大変な成功を収めましたが、これはかつて日本に命を捧げてまで頑張られた方々のお陰です。それを忘れて始められたマネー・ゲームでは大惨敗しました。尾身前沖縄及び北方担当大臣は「これからの経済力は科学技術がしっかりしていなければ駄目だ」と言いましたが、既に開発力はリストラされて、企業は生産しか出来ないものに成り下がっています。国際競争は大変に非情で、二十一世紀に日本が国際国家として成立するか重大な時期に来ています。根気よく科学技術を育てなければなりませんが、実はその力は日本人としての精神が実を結んだものなのです。
最近、田中さんがノーベル賞を受賞しましたが、彼の謙虚さぶりに心打たれた方は多いと思います。彼は他の人よりも遥かに努力しておりましたが、あのような舞台に上がるとは考えてもいなかったでしょう。ドイツの学者が、これは非常に良い機会であるからノーベル賞に推薦しようと調べたところ、田中さんの論文を発見したのです。
真理に対する素晴らしい誠実さです。残念ながら日本では、この感覚が不充分です。これでは正しい科学技術は育ちません。まず立派な心と素晴らしい倫理をもった社会を作ることが大切です。
家庭の教育から胎教に至るまで、我々が日本の素晴らしい文化を呼び戻さなければ、最先端の科学技術は効果を発揮しません。素晴らしい文化を再び呼び戻し、経済的にアジアに大きな力を持ち続けると同時に、貧困で悩む人たちと分かち合える国であってほしいと思います。
戦後、衰退の一途をたどってきた健全な国民精神を恢弘し、父祖から受け継いできたかけがえのない祖国の再建をめざす国民運動の担い手として、日本会議および日本会議国会議員懇談会が設立されてから、本年で早くも五年の歳月を閲した。
この間、両会は緊密な連携のもとに、わが国のあるべき国家像の確立をめざし、「誇りある国づくり」を合い言葉に広範な国民運動を精力的に展開してきた。なかでも、若い世代の間に皇室への敬愛の念を深めることに大きく寄与した天皇陛下御即位十年ならびに敬宮愛子内親王殿下御誕生の奉祝行事の感動は、いまも鮮やかに我々の記憶に残っている。
さらに、国旗・国歌法の成立、首相の靖国神社参拝の再開、有事法制の現実化、夫婦別姓法案への反対、また、国の基本法である憲法や教育基本法の改正に向けた国民世論の盛り上がりなど、輝かしい成果をあげつつあるのは、ひとえに全国各地の同志諸友の献身努力のたまものである。
組織的にも日本会議は、都道府県本部の設立から市町村支部の設立へと着実に前進を続け、日本会議国会議員懇談会は、二百四十名を超える超党派議員の集団として、国政の場で縦横に活躍している。いまや我々は、日本再生に向けた確固たる力を備えるに至っており、日本らしい日本を願う多くの人々の期待に応えるべき責任の重さをあらためて痛感するものである。
本年わが国は、講和条約の発効にともない、国の主権を回復してより満五十年を迎えた。しかしながら、過酷な占領行政の一環として押し付けられた日本国憲法と東京裁判史観は、いまだに独立国家日本の自立を阻害し続けている。
今般の北朝鮮による拉致事件をはじめとする諸事件は、国の安全と国民の生命・財産を、「平和を愛する諸国民」に全面的に委ねてきた日本国憲法の理念が、いかに虚構であったかを如実に証明した。また、東京裁判史観の呪縛はいまも強く残存し、歴代政府は謝罪外交を繰り返し、自虐的な歴史教科書の改善は、未だその途次にある。
まさにわが国は、再生か停滞かの重大な岐路にさしかかっているが、こうした危機に直面し、漸く国民意識にも変化の兆しが見えてきた。時あたかも設立五周年の節目に際会し、我々は今後の五年を展望し、これまでに培った組織の総力をあげて、以下に掲げる国民運動を力強く推進するべく、ここにその決意を表明する。
平成14年11月18日
日本会議・日本会議国会議員懇談会
設立5周年記念大会