[防衛]17日にも、「国家安全保障戦略」「防衛大綱」「中期防衛力整備計画」が、閣議決定
自民党は12月11日、「安全保障調査会・外交部会・国防部会合同会議」を開催し、今月17日にも閣議決定される「国家安全保障戦略」「防衛計画の大綱」「中期防衛力整備計画」について、政府部内での検討状況の報告を受けました。
この度、初めて国の方針として、「国家安全保障戦略」が、おおむね10年を想定して策定されます。
「朝日新聞」の報道では、自民党と公明党は、この「国家安全保障戦略」に「愛国心」を明記する方針を了承したが、「愛国心」の記述の仕方について、自民党と公明党との間で隔たりがあると伝えています。
現状の記述では「諸外国やその国民に対する敬意を表し、国を愛する心を育む」となっておりますが、「国を愛する『心』」の記載について公明党が難色を示し、教育基本法の記述にあわせるよう求めていると報じています。
教育基本法では、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」となっています。
公明党の意識は『心』の記載にありますが、そもそも原案が、「他国への敬意」が先に来て「愛国心の育成」が後に来ているところは、注視していきたい点です。
[報告]日本会議大阪女性の会 「陸上自衛隊第3師団」に千羽鶴と色紙を持参
日本会議大阪女性の会では、日本女性の会の呼びかけに応じて、この度の東日本大震災に於ける自衛隊の皆様の救援活動に対して、11月16日、感謝と激励の5千羽の折鶴と、5枚の寄せ書きの色紙を女性の会メンバー6名で、伊丹市の陸上自衛隊第3師団に持参しました。 続きを読む…»
[報告]日本女性の会 自衛隊と在日米軍へ東日本大震災復旧活動への感謝の千羽鶴奉仕活動
日本女性の会では、平成23年10月11日から14日にかけて、東日本大震災復旧活動に尽力された自衛隊と米軍へ、感謝の千羽鶴をお届けする活動を行いました。千羽鶴は訪問したそれぞれの駐屯地に5000羽から7000羽贈呈しましたが、これは全国の女性会員が心を込めて折ったものです。
10/11 陸上自衛隊郡山駐屯地で福島第一原子力発電所事故に伴う原子力災害派遣活動中の第6特殊武器防護隊に、千羽鶴5000羽と明治神宮の御札をお届けしました。
10/11 陸上自衛隊多賀城駐屯地(宮城県)。國友昭・第22普通科連隊長兼 多賀城駐屯地司令に、千羽鶴7000羽と明治神宮の御札をお届けしました。
10/12 航空自衛隊松島基地(宮城県)。杉山政樹・第4航空団司令兼 松島基地司令(空将補)に千羽鶴5000羽と明治神宮の御札をお届けしました。
10/14 在日米陸軍司令部のあるキャンプ座間(相模原市、神奈川県座間市)を訪問。千羽鶴7000羽と明治神宮の御札をお届けしました。
[時局情報◎防衛]湾岸の夜明け作戦から20年。掃海艦ペルシャ湾に派遣
米英海軍がペルシャ湾で不定期に開催している掃海訓練に参加するため、わが国・海上自衛隊の掃海母艦「うらが」と「ぶんご」が9月8日に横須賀を出航しました。
今年は、ペルシャ湾掃海派遣任務(湾岸の夜明け作戦・オペレーションガルフドーン)から20周年の節目の年であり、海上自衛隊も招待され、10月15日から20日までの間、バーレーン沖で訓練が実施されています。横須賀帰港は12月1日の予定。
「湾岸の夜明け作戦」については、ペルシャ湾掃海派遣部隊指揮官の落合たおさ閣下が、派遣から10年後の平成13年10月、その後のエピソードも含めてA4判17ページのレポートをまとめています。その中からいくつかのエピソードを掲載します。
※全文は、防衛省HPをご覧下さい。↓↓↓
http://www.mod.go.jp/msdf/mf/touksyu/yoakenosakusen.pdf
(以下は、引用です。)
ペルシャ湾掃海作業中、数多くの国民から心温まる激励を頂いた。日本からペルシャ湾までの約1万2千キロメートルの長距離を飛んできてくれた千羽鶴は2万羽を超えた。慰問品として日本各地から名産品が送られてきた。あの暑いペルシャ湾上で隊員達は思いもよらない故郷の味を感謝の気持ちを持って心から楽しみ、明日の掃海作業への新た健闘を誓った。
また各地の老若男女、いろいろな方々から三千通に近い励ましの便りを頂いた。「始めてお便りします。新聞で掃海部隊の皆様の活躍を知りました。暑い中、危険の伴う作業を日本を代表して行っていらっしゃる皆様を、私は誇りに思います。日本人として感謝の気持ちを込めて、有り難うございますと心から申し上げます。どうか無事に任務を全うされ帰国されますように、お祈り申し上げます。遠いペルシャ湾の皆様、これからもどうか日本の為に頑張って下さい。」(桐生市 26歳 主婦)こういった国民の「有り難う、感謝します」「日本のために頑張って下さい」という感謝の気持ちと温かい励ましが、あの劣悪な環境下で機雷処分という危険極まりない作業に従事していた、511名の男達の心を支えたのである。
(中略)
クウェートに寄港した際、記者会見が行われた。私が掃海作業の進捗状況について説明した後、地元新聞記者からの質問を受けた。
「クウェート国民は、あなた方に心から感謝している。遠い極東の日本から、こんな小さな船でペルシャ湾まで来て、われわれの為に危険極まりない機雷の除去をやってくれた。心からお礼と感謝を申し上げる。それは其として、日本は第2次大戦以後45年間、戦争をしていない筈だ。それなのにどうしてアメリカ、イギリス、フランスと言ったその間にベトナム戦争、フォークランド紛争、スエズ紛争と言った実際の戦争を経験してきた先進諸国と同等に、機雷掃海と言う最も難しい技術を持っているのか。それとも日本は隠れて戦争をしていたのか」
私は次のように答えた。
「そうではない。昭和20年3月、瀬戸内海を中心として日本近海に約1万2千個の機雷が敷設され、日本海軍はその脅威に敢然と挑戦し、その機雷掃海作業は終戦後も営々と続けられた。それはやがて海上自衛隊に引き継がれ、日本近海に於ける船舶航行の安全確保のために、掃海業務は昭和40年代後半まで、継続された。私自身も若い頃、その掃海業務に従事した経験がある。第2次大戦以後、約45年間も平和が続いた日本の掃海部隊が、先進諸国と同等に実任務につけるのは、旧海軍の先輩達が良き伝統を残してくれたお陰であり、それに加えて任務を引き継いだ海上自衛隊の掃海部隊が、堅実に訓練を励行し、技量を磨いて来た努力の積み重ねがあったからである。」
(以上、引用終わり)
日本会議では、前身の「日本を守る国民会議」が千羽鶴や激励の手紙を送付したり、呉・横須賀帰港時に歓迎行事を開催するなどこのペルシャ湾派遣活動の後方支援活動に取り組みました。
遠く1万キロを越えた国民の声なき声が、灼熱の中の隊員たちを支えたこと、そして戦前の海軍の伝統を受け継ぐ先人先輩方からの継承によって、高い技術が保たれてきたことなどが、落合閣下のレポートからうかがえます。
このほか、在留邦人の感謝の声、諸外国からの賞賛、そして隊員たちの奮闘と、多国籍軍との信頼関係など掲載されております。
是非、みなさま全文をご一読いただきますとともに、今回の訓練が無事所期の目的を達成され、帰港されますようお祈りいたしましょう。