[五十音順、敬称略・平成29年11月24日現在]
荒木和博 | 特定失踪者問題調査会代表 | 井沢満 | 脚本家 作家 |
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いしゐのぞむ | 長崎純心大學准教授 | 石井英夫 | 元産経新聞論説委員 |
一色正春 | 元海上保安官 | 伊藤哲夫 | 日本政策研究センター代表 |
稲山霊芳 | 念法眞教燈主 | 今林賢郁 | 公益社団法人国民文化研究会理事長 |
入江隆則 | 明治大学名誉教授 | 潮匡人 | 評論家 |
打田文博 | 神道政治連盟会長 | 岡本幸治 | 京都大学法学博士 大阪国際大学名誉教授 |
小川榮太郎 | 文藝評論家 | 小川義男 | 埼玉県私立中学高等学校協会会長 |
織田邦男 | 元空将 | 小野貴嗣 | 東京都神社庁長 |
加瀬英明 | 評論家 | 葛城奈海 | ジャーナリスト 俳優 防人と歩む会会長 やおよろずの森代表 |
河添恵子 | ノンフィクション作家 | 川村真倫子 | ブラジル国松柏 大志万学園理事 |
北村淳 | 軍事社会学者 | 國武忠彦 | 昭和音楽大学名誉教授 |
髙信太郎 | 漫画家 | 小林正 | 元参議院議員 |
小林宏晨 | 日本大学名誉教授 | 小堀桂一郎 | 東京大学名誉教授 日本會議副會長 |
さかもと未明 | アーティスト 漫画家 シンガー 作詞家 作家 |
櫻井よしこ | ジャーナリスト |
佐々木堯章 | 崇教真光代表役員 | 佐藤守 | 軍事評論家・元空将 |
佐波優子 | キャスター 戦後問題ジャーナリスト |
石平 | 評論家(帰化日本国民) |
千玄室 | 茶道裏千家前家元 日本・国連親善大使 |
田尾憲男 | 神道政治連盟首席政策委員 |
髙原朗子 | 日本女性の会代表委員 熊本大学教授 |
田中恆清 | 神社本庁総長 |
竹中俊裕 | イラストレーター | 田中秀雄 | 歴史家 |
土屋秀宇 | 母と子の「美しい言葉の教育」推進協会会長 | 寺島泰三 | 日本郷友連盟会長 |
德川康久 | 靖國神社宮司 | 中島精太郎 | 明治神宮宮司 |
西岡力 | 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会会長 | 長谷川三千子 | 埼玉大学名誉教授 |
浜畑賢吉 | 俳優 大阪芸術大学教授 |
火箱芳文 | 第三十二代陸上幕僚長 |
廣池幹堂 | 公益財団法人モラロジー研究所理事長 | 福冨健一 | 歴史資料収集家 |
藤井厳喜 | 呉竹会代表幹事 | 藤島博文 | 日本画生 |
ペマ・ギャルポ | 政治学者 | 保積秀胤 | 大和教団教主 |
松浦光修 | 皇學館大学教授 | 松木國俊 | 朝鮮近現代史研究所所長 |
元谷外志雄 | アパグループ代表 | 森敬惠 | 「日本の心歌い継ぐ会」代表 |
森友幸照 | 作家 | 安本寿久 | 産経新聞特別記者編集委員 |
山岡鉄秀 | 公益財団法人モラロジー研究所研究員 | 横倉義武 | 日本医師連盟委員長 |
吉田好克 | 宮崎大学地域資源創成学部准教授 |
荒木和博 特定失踪者問題調査会代表
二十周年おめでとうございます。
最近日本会議に対する一部勢力からの風当たりが強く、あたかも日本会議が安倍政権を操っているかのような論調すら存在します。「美しい誤解」とでも言うべきでしょうか。
しかしそれは明らかに、日本会議がわが国において存在感を増しているからであり、今後もさらに敵対陣営に脅威を与え続ける存在でいていただくことを期待しています。
さて、この機会に一つお願いがあります。今回いただいた資料に「日本会議が取組んだ主な国民運動」がありました。ここには二十六の国民運動が記載されているのですが、意外なことに拉致被害者救出という項目がありません。
現実には全国で日本会議の皆様には拉致被害者救出の活動に参加していただいています。やっていないことを入れるのであれば問題ですが、やっているのに入れていないのは奥床しいと言うべきなのでしょうか。
拉致被害者が救出されない理由は、占領の延長で米国に安全保障を依存してきた戦後体制にあり、それは拉致問題のみならず、様々な局面に現れています。あえて言うならば、その責任の多くは歴代自民党政権にあり、またそれを許してきた国民にあるとも言えるでしょう。
自民党には種々雑多な人材がおり、思想理念もばらばらです。民主党政権で野党になったときは保守政党としてのアイデンティティがより明確になりましたが、安定多数になるとそれが希薄化し、権力の維持が目的化していくきらいがあります。
このような状況下で、日本会議には政権に強い影響力を与え、戦後体制から脱却するための原動力となっていただきたく期待する次第です。反対勢力の批判も、まさにそれを国民が期待していることの反映ではないかと思います。
一層の御発展を祈念申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。
井沢満 脚本家・作家
まずは、設立二十周年記念おめでとうございます。わたくしが日本の危うい現実に、はたと気付かされたのは人生を半ば過ぎてからという不甲斐なさ。
終戦後にGHQの施した日本弱体化政策のあれこれ、戦後教育の洗礼で何も見えず延々と無知の無明をさ迷う間にも、二十年間という歳月を、日本の灯台であり堡塁であり続けてくださったことに感謝申し上げます。
北の脅威が日々増す昨今、日米同盟を緊密に保ちつつも大東亜戦争の本質を、わたくしたちは見失ってはなりません。自衛のためのやむなき戦であり、侵略戦争などではございません。これを子供たちに伝えねばなりません。
先人の皆様方が身を呈し守り抜いてくださったこの麗しい国を蛮族に蹂躙させてはなりません。
世界平和はもとより人類究極の悲願ではございますが、いまだ世界はその域に達してはおりません。
平和を希求する者として、憲法改正を渇望します。安倍政権の長期ならんこと、そして「日本会議」の更なる地歩の鞏固ならんことを祈念致します。
いしゐのぞむ 長崎純心大學准教授
今、九割の日本人が尖閣を誤解してゐる。「チャイナの歴史のウソに絡め取られるから、近代以前の話は不利だ。現代の法の支配こそ最終決定だ。」そんな逃げ口上が罷り通ってゐる。
全然違ふ。正しくは、現代の話をすると日本は勝ちきれない。悠久の歴史を語ってこそ世界で勝てる。ウソに絡め取られるどころではない。相手がニセ史料を持ち出した時こそ、ウソを暴いて勝つ好機だ。日本はこのまま歴史を避けてゐては負けてしまふ。
尖閣で現代の話をすると、鄧小平が棚上げを語った時に日本側は沈黙したとか、サンフランシスコ和議にチャイナは加盟せず、日本の尖閣領有を承認してゐないとか、そんな小理屈につき合はされる。馬鹿げてゐる。繩文一萬五千年の精神を基本とする日本が、悠久の歴史を避けてどうする。恥づかしくないのか。
悠久の歴史。まづチャイナが世界で演説する時に掲げる六百年前の史料は、そもそもニセ物である。最古の史料は西暦一五三四年、琉球職員がチャイナ大使を尖閣に案内したことを記録する。
一五九二年からは、尖閣を含む朱印船海域と、福建沿岸のチャイナ海域との間で、最前線の均衡が成立した。一六一七年には日本の使者と福建海防長官との間で、尖閣のはるか西側の均衡線について合意し、皇帝にも報告された。日本が琉球を統治することも承認された。同年、三浦按針の朱印船は尖閣海域を「自由に航行」した。日本は毎年オランダにも琉球統治を通告した。
朱印船史料には尖閣の位置が精確に記録された。ヨーロッパ人は十九世紀にやっと位置を精確に捉へ、チャイナは二十世紀にやっと日本情報で位置を知った。
今年度から外務省が補助金二十五億圓を交付し、日本國際問題研究所で「領土・主權・歴史」の研究が始まった。二十五億の大部分が近現代の小理屈のために浪費されようとしてゐる。近代以前の尖閣研究に集中投下すべきだ。尖閣を守る日本會議は沈黙しないだらう。
石井英夫 元産経新聞論説委員
田久保忠衛会長と不肖私は、同じ昭和八年生まれ、昭和ヒトケタ世代です。
五十代のころでしたか、先生は産経新聞「正論」欄に健筆をふるう大学教授。当方はしがない「産経抄」のコラム書き。でもしばしば酒席をご一緒してご高説を承ったり、オダをあげたりしていました。
あれから幾星霜。こちらは水の干上がったタンボの蛙ですが、あちらは炎の上を飛ぶ不死鳥のごとし。肉体的には満身創痍のはずなのに、口(講演)も八丁なら手(原稿)も八丁、ホトホト呆れるば……いえ驚嘆するばかりです。心から尊敬しています。
「日本会議」設立二十周年はまことめでたいですが、こうならば三十周年、四十周年も会長のご健在(ま、ちょいと無理か!)を願ってやみません。
オピニオン誌『日本の息吹』は毎月拝読していますが、とくに愛しているのは漫画家・髙信太郎さん絵と文の連載コラム「コーシンの世相談義」です。
落語家・春風亭蛾昇でもある髙さんは、大のコリア通(韓国歌謡もペラペラらしい)でありながら、かの国のなりふり構わぬ「反日」の無法に腹を立て、サジを投げている。全く気の毒なことです。
ドリフターズの長さんじゃないけれど、「だめだコリャ」などいう強烈なギャグを放つ「コーシン談義」に、いつもトホホと笑い、ガハハとのけぞっています。
半島の北と南のことは、筑波大・古田博司教授の「助けず、教えず、関わらず」非韓三原則と「コーシン談義」を信奉するしかありません。狂気の圧制者と、いいふりこきの左翼ポピュリズムの打倒に何より有効なのは、強力な「笑い」だと思うからです。
一色正春 元海上保安官
今から約七年前の平成二十三年一月、所用で有楽町駅前を通りがかった際、男女数名が「尖閣諸島を守れ」というような幟を立てて署名活動を行っている様子が目に入りました。普段、私は署名などしないのですが問題が問題だけに黙って通り過ぎる訳にもいかず、言われるがままに署名をしたところ、用紙を持った女性が私の名前を見て「あっ」と声をあげたので「まずい」と思い、早足でその場を立ち去ろうとしました。というのも、事件(本質とは関係のないこと)について、あれやこれやと訊かれることにうんざりしていたからです。
自分の名前が思った以上に知られていることに驚きつつ数十メートル離れたので「もう大丈夫だろう」と安心した瞬間、後ろから「待て〜」とスーツ姿の男性が走って追いかけてきたので、立ち止まったのが運のつき、いや、日本会議と私の出会いです。その男性が差し出した名刺を見ると「日本会議」組織強化部長 出島正人と印刷されていました。恥ずかしながら、私はその直前まで政治活動を禁じられている国家公務員であったこともあり、日本会議という名前を知らなかったのと、待ち合わせの時間が迫っていたこともあり、早々にその場を退散しました。
しかしその後、これをきっかけに全国各地の会員の方々に御縁をいただき、何かとお世話になり、今日に至っております。この場を借りて改めてお世話になった方々に厚く御礼を申し上げます。
あれから月日が経ち、私が存在を知ったころは、友人に尋ねてもその存在を知らない方が多かった貴会も、今や「安倍政権の黒幕」と言われるまでの組織に成長され、自称関係者の一人として嬉しく思っております。
今後、当面の課題は憲法九条改正です。いまだに憲法九条は熱心な信者に守られ、改正へのハードルは高いですが、貴会の尽力もあり日本社会は確実に変わりつつあります。今後も、わたくしを皆様の日本を取り戻す戦いの末端に加えていただければ幸甚に存じます。
伊藤哲夫 日本政策研究センター代表
この二十年を振り返る時、とりわけこの十年が想起されます。設立十周年をビッグサイトで祝ったのは第一次安倍政権が突如崩壊するという衝撃の直後でした。民主党が勢いを増し、新たに誕生した福田政権は果たしてどこまでその攻勢に耐えられるか、というのが皆の思いでした。むろん、ここから一年毎に首相が交代し、日本の低迷は国際社会においても動かしがたい現実となっていったことは記憶に新しいところです。
そんななか、あの政権交代が起こりました。今も忘れることができないのが、日本会議の幹部諸兄と列席した国立劇場での「天皇陛下ご在位二十年政府式典」でした。開会の辞が菅直人氏、式典委員長式辞が首相の鳩山由紀夫氏、そして衆参議長式辞が横路孝弘氏と江田五月氏でした。「ああ、日本は本当に変わってしまったのだ」と改めて愕然とした思いにとらわれたのは、今も脳裏に残る悪夢のようなシーンです。
民主党政権の三年間では、とりわけ外国人参政権の問題と夫婦別姓の問題で、皆様と共に必死の戦いをしたことが想い起こされます。成立が確実といわれる中で、それを何とか食い止めるという奇跡を演じ得たのは、まさに日本会議の力でした。
民主党政権の間、日本経済の低迷、日本の国際的地位の低下は、もはや覆いようのない現実となりました。同政権がこれ以上存続することは、そのまま日本の亡国であることは誰の目にも明らかな現実でありました。そんな中、日本会議はとりわけ尖閣問題を中心とする中国の海洋進出の脅威に立ち向かい、領土・主権防衛への国民意識喚起を訴える行動に立ち上がりました。日本会議は暗夜の灯台のような頼もしい存在でした。
この十年の後半は第二次安倍政権の五年と重なります。日本は見事に甦り、「日本を取り戻す」戦いはいよいよステージを上げております。その中心に位置づけられるのが憲法改正。その先頭に立つのが日本会議です。私も決意新たに頑張る覚悟です。
稲山霊芳 念法眞教燈主
皆さんご承知の通り、日本会議は「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」が統合してできたものです。
日本を守る会は、臨済宗円覚寺派の朝比奈宗源老師が音頭を取られ、私どもの開祖親先生も発起人に名を連ねられ、昭和四十九年に結成されました。
その前年の十月、親先生は北海道の宗谷岬に立たれて「今の日本は国民の心がバラバラやから外国の思想戦略に踊らされて、ウソとマコトの見分けがつかなくなっている。今のままで推移すると、日本はやがて滅びる。私は二千年来、吾々の祖先が営々として築いてきた、この国土と民族の誇りと文化をなくすることが耐えられない。それで私はこのように声を大にして日本の精神的再建を叫んでいるのである。世界中の人がみんな日徒の使命に目覚め、住み良い世の中づくりの礎になろうという心を持ったとき、この地上には永久に戦争がなくなり、万人和楽の浄土が現成する」などと仰せになりました。
このお言葉は「灯主の祈り」として石に刻まれ、その石碑は稚内の宗谷第二清浜に建っております(宗谷第二清浜は、間宮林蔵が樺太に渡った際の出発地点です)。
産経新聞社が発行する月刊『正論』の創刊も、昭和四十八年十月と伺っております。時事通信社の社長でいらっしゃった長谷川才次先生が内外ニュース社を創業されたのは、昭和四十七年です。内外ニュース社も正論と同様の主義主張をされていらっしゃいます。
左翼思想が猖獗を極め、国の行く末を案じた方々が我が国を守るために、ほぼ同じ時期に行動を起こされたのです。その真価が今、問われているのではないでしょうか。
それは憲法改正です。ようやく機が熟して参りました。その実現に向けて、日本会議創立二十周年の佳節に私達は和合団結させて頂きたいと思っております。この度は誠におめでとうございます。合 掌
今林賢郁 公益社団法人国民文化研究会理事長
日本会議設立二十周年を心よりお慶び申し上げます。我が国が本来の国の姿を取り戻すために、設立以来終始一貫、全力を傾けてこられた椛島有三事務総長をはじめ皆様方に全幅の敬意を表したいと思います。
我が国が真正の独立国家であるためには、他国への依存やその言動に左右されない自立の気概、文字通り「独」りで「立」つ強靭な意思が国民のなかに漲っていなければなりません。我が国の戦後の価値観は個人の自由や民主主義を尊び、武力を放棄して平和主義を厳守し、その中で経済成長を目指すというものでした。国民の英知と努力のお蔭で我が国は世界に冠たる経済大国となりましたが、米国任せの平和主義のなかで国家防護の責務は他人事となってしまいました。
我が国を取り巻く状況はまさしく「逆境」の只中にあるというのに、国内を覆っている空気は依然として危機感に乏しく、戦後の心地良い「順境」のなかにどっぷりと浸ったままです。独立の気概喪失という外ありません。この風潮から抜け出すことは決して容易なことではありませんが、今何よりも求められるのは、国民の心のなかに自国への矜持が甦ることではないでしょうか。他人への思いやり、自己抑制、正直、勤勉といった日本人らしい精神的価値は世界の平和に貢献できる力を備えています。そして天皇と国民との間に慈愛と敬仰の心が通い合う君臣一如の国柄は世界史的に見ても稀有なものです。素直にこの歴史を繙いていけば「日本に生れてきて良かった」という確信と自信が生まれる筈です。ここを起点として個々人の自立意思と独立の気概がふたたび動き出せば、その意識の総和が国を護る力の源となるのでないでしょうか。
皆様方の国民に対する果敢な一大精神作興運動に大きく期待致しますと共に、私共も微力を尽くして参りたいと存じます。
入江隆則 明治大学名誉教授
今年平成二十九年は、日本会議設立二十周年に当たるそうで、まことに感慨深いものがある。今日までの日本会議の運動の歴史を辿ってみると、「国旗・国歌法の制定」や「靖國神社二十万参拝運動」や「夫婦別姓に反対して家族の絆を守る」や「憲法改正運動」等々、戦後七十二年間にわたって、この国の根幹に横たわっていた重大問題が網羅されている。私は昭和十年生まれだから今年八十二歳であり、十二年前の七十歳の時に、それまで四十年間勤務していた大学を退職している。従って二十年前というとそれより更に八年前の六十二歳ということになり、まだ颯爽として(いたかどうかは分からないが)、一応はチャキチャキの現役教授だったということになる。
現役当時のこの国の内外の重要事件を思い出してみると、一九七二年(昭和四十七年)の浅間山荘事件や、一九九一年(平成三年)のソ連邦の崩壊などがすぐ頭に浮かぶ。前者は日本に於ける左翼運動の所謂「内ゲバ」の残忍さと脆さをよく示した事件であったし、後者はいうまでもなく一九一七年のロシア革命以来、世界の共産化を進めてきた総本山が崩れ去った事件であった。それによって世界中からコミュニズムという名の、未来に向かって長時間持続するかに見えた幻想が一瞬にして消え去ったのは、周知の通りである。
私は若い頃から「左翼」という名の幻想を、なぜか若干人より早く感知していて、それを論文などで発表していたために、大学内で左翼の過激派学生の標的にされて、よく授業を妨害されたりしていた。しかし今になってみれば、たぶんその時、私を糾弾していた学生諸君たちも、私の方が先見の明があったことに気づいてくれているのではないかと思っている。
むろんさらに先見の明があったのは、平成九年に設立されて以来、初めにその活動の一端を述べた通りの力強い運動を展開してきたわが日本会議であるのは云うまでも無い。ここにその二十周年を祝うことができるのは私の深く喜びとするところである。
潮匡人 評論家
設立二十周年まことに、おめでとうございます。
先の解散・総選挙を経て、いよいよ憲法改正が現実味を帯びてまいりました。周知のごとく、憲法を改正するうえでは、国民投票を経なければなりません。
かりに「自衛隊」を憲法典に明記する案が国会で発議され、万が一にせよ、それが国民投票で否決されれば、自衛隊は計り知れない致命的なダメージを受けるでしょう。
最後は国民投票が憲法改正の成否を決します。その命運は今後の国民運動にかかっています。日本会議が担う使命は重大です。
ますますのご発展を願って止みません。
打田文博 神道政治連盟会長
此度、貴会が設立二十周年の佳節を迎へられましたこと、心よりお祝ひを申上げます。
民族道統の恢弘と、独立自存の道義国家の確立を目指し、平成九年の設立から今日に至るまで、二十年に亘り国民運動と政治的実践活動に挺身せられてきたことは、誠に意義深いものであります。
貴会が設立より本連盟をはじめ、多くの構成団体と歩調を合はせ、その目的完遂の為に積極的に運動を展開され、元号や国旗・国歌の法制化、教育基本法改正、更には、憲法改正手続きに関する憲法審査会の設置、国民投票法の整備など、多くの成果を挙げてこられたことは、偏に貴会の粘り強い活動によるものであり、衷心より敬意を表します。
然し乍ら、国内外の世情は未だ混沌たる様相を呈してをり、依然として皇室の尊厳護持や教育正常化、家族を守る活動など、問題は山積してをります。とりわけ現在の我が国を取り巻く国際情勢に鑑みても、安全保障の観点から、憲法改正の早期実現は喫緊の課題であります。手続きが法制化され、国会での改憲勢力が発議可能な状況となった現在に至っても、具体的な改正条項についての議論と国民全体に対する理解は深まってをらず、更なる国民運動の強化、拡充が必要であることは論を俟ちません。
貴会には、我が国の道統の護持発展、更には伝統文化の継承と国民精神の恢復に向けて尚一層の御尽力をお願ひ申上げます。
終はりに臨み、貴会設立二十周年の節目にあたり、これまでの歩みに改めて思ひを致すとともに、貴会の益々の御発展と関係各位の御隆昌、御健勝を心より祈念申上げます。
岡本幸治 京都大学法学博士・大阪国際大学名誉教授
平成二十九年十月に行われた衆議院選挙は、戦後これまでに行われたあらゆる国政選挙と異なる点が一つあった。左巻きの社・共・立民を除く多くの政党が、選挙公約で憲法改正の必要を訴えたのである。終戦の翌年二月、マッカーサーの指示で占領軍民政局が僅か一週間で新憲法の原案をまとめた。それに民政局のお許しを得たいくつかの小修正を加えてできあがった日本国憲法は、日本政府が作成したという体裁をとって翌年五月に施行された。同じ敗戦国であったドイツは六十八回、戦後独立してから自前の憲法を作った印度などはすでに百回もの改憲を行っている。ところが我らが占領憲法は制定以来実に七十年もの間、一字一句も変えない「骨董憲法」として日本列島に君臨してきたのである。
この間内外の情勢は激変し、その変化に対応できない条文はいくつも出てきたが、改正の発議そのものに衆参両議院総議員の三分の二を要するという重々しい憲法九十六条の規定が妨げとなっていた。党の綱領に改憲を掲げた自民党さえも、あまり票にならない憲法改正を掲げて選挙戦を戦うことはなかったのだ。これが今回大きく変わったのは、火遊びの滅法お好きな、北朝鮮王朝三代目の「偉大なる領袖様」のお陰であろう。
そこでようやく目覚め始めた国民世論を背景として憲法九条の改正が浮上してきたのであるが、私はその前に、直ちに廃棄修正すべき個所があると考える。それはこの憲法の基本理念を恭しく説いている前文の第二段落「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して我らの安全と生存を保持しようと決意した」である。おのれの安全と生存を他国に依存するのは保護国や植民地だ。日本は実は独立国ではありませんのでどうぞよろしくと、自国の憲法前文に掲げるこの恥知らずの哀れな国。この即時削除を掲げる政党が未だに皆無とは、国民精神と国民教育、そしてマスゴミと政党のなんたる堕落か。日本会議の使命は、このような日本の抜本的蘇生と、美しくたくましき祖国建設への巨歩前進なのである。
小川榮太郎 文藝評論家
私は物書きとして世に出るのが遅かつた。本来の志である文藝批評の時代はたうに過ぎ去り、私は時流に迎合してまで自分を売り込んだり、居場所を探す生き方を選ぶつもりはなかつた。混乱を極めた人生だつたが、真の生き場所を求めることと、死に場所を求めることが一致する時が来る。民主党政権下で東日本大震災が発生した時だ。政権への怒りは沸点に達した。しかし、次を考へねばならぬ。攻撃の心を建設の意志へ。私は安倍晋三氏に次の日本を託す運動に身を投じると心に決め、そこを死に場所に定めた。その中で、私は第一次安倍政権の検証本を書く。それが『約束の日』(幻冬舎)だ。
その後、保守系のメディアや団体から声をかけていただく機会が急速に増える。日本会議からは兵庫での講演を依頼されたのが最初だつた。講演は椛島有三総長と一緒に務めると聞いてゐた。それまでお会ひする機会はなかつたが、会場のある駅の改札で私を待つてをられる姿を一目見て、人物だと感じた。
人物といふ言葉は今の人には死語かもしれないが、私には、この言葉以外の、人間に関するあらゆる評語はすべて、逆に、死語だ。人に会つて、人物であるかないか以外に見たいとも知りたいとも思はぬ。そして、人物といふ言葉を自然と連想させる人が殆どゐないことを、嘆く思ひももう忘れるやうな、今の日本だ。
私には、椛島氏を、まづ見た瞬間に、人物といふ言葉がすつと心に来た、あの感触の外に、日本会議とは何かといふ事を語る資格も興味もない。言ふまでもないが、私はさういふことで、個人崇拝や過度の個人的な称賛などとは最も遠いことを言つてゐる。大きな磁場が生れるのは、たつた一人で立たうとする孤独な魂に養はれての事だ、さもなければどんな運動も私利私心と離合集散に明け暮れる。
悲しい孤独の業を知る人が、若い世代の日本人に残つてゐるであらうか。一人を以て立つ沈黙する魂が残つてゐるであらうか。
小川義男 埼玉県私立中学高等学校協会会長
ロシア(ソ連)は、中立条約を一方的に破棄して、昭和二十年八月八日、南樺太、千島、満州、朝鮮へ、奇襲侵攻を開始した。また、支配下に入った日本兵、六十五万人を、奴隷的労働に従事させるため、不法に拘束し、多年、酷使し続けた。莫大な数の死者が出た。
当時、侵入したロシア兵は、囚人、若しくは、犯罪経歴を有する者で構成されていた。その暴行、陵虐、殺戮は、甚だしいものであった。引き揚げ途中の日本人、特に婦女子に対して、陵辱行為が、果てもなく続行された。
私は高校時代、同じ世代の、引き揚げ者生徒から、それについて、直接、見聞きする機会が数多くあった。
「派遣」されていたロシア兵は、教養が全くなく、兵士の中には、腕時計を知らず、強奪した数多くの腕時計を腕の付け根まで、つけている者もあった。時計が止まると、水で洗っていたそうである。
女性の多くは、男装して難を免れようとしたが、ロシア兵は、胸をまさぐって女性を発見し、強姦、殺戮の対象とした。その被害の痕跡は、私の高校生仲間の、引き揚げ女生徒にも認められた。
これは、被占領地に、日本人を、一人も残留させないという、深謀遠慮に基づく、スターリンの冷徹な政策であった。
ウラジオストークとは、「東方を支配せよ」という意味の、ロシア語だそうである。歴史、並びに地政学的見地から見て、ロシアが、北方領土を返還することなど絶対にない。むしろ、我が国が協力し、開発した択捉島が、ロシアの、北海道侵攻の拠点となる可能性が強い。
軍事力がなければ、国家は、即時に、近隣諸国の「保障占領」の対象となる。「ご熱心な」九条擁護論者は、他国と結んで、自国を弱体化させ、「社会主義革命」を、暴力的に実現しようとし、事実そのように行動した、戦後イデオロギーの亡霊だと考えるべきである。
危険は、中国軍事力による膨張主義に基づき、尖閣、沖縄にも及ぶ。
その意味で、日米同盟の重要性は、論ずるまでもないが、七十年間、他国に基地を提供し続けている事実も、ここらで見直さなくてはなるまい。
確固たる軍事力の保全と海外派兵の禁止、これを調和させて進めば、国民は、必ず支持してくれる。原爆被害と共に、語り継がねばならぬ、もう一つのテーマではないだろうか。
織田邦男 元空将
北朝鮮の独裁者金正恩が暴走を続けています。国際社会の非難にもかかわらず、六回目の核実験を強行し、各種弾道ミサイルを発射し、日本列島を超えて太平洋上に着弾させました。
金正恩は「日本列島を沈没させる」「日本を焦土化する」と恫喝を繰り返しています。まさに戦後最大の危機なのですが、不思議なことに日本ではまるで他人事で危機感が伺えません。
この現象は何故なのでしょう。戦後の「吉田ドクトリン」にも一因があるようです。戦後日本は最も大切な国防を米国に丸投げし、金儲けに専念してきました。その結果、世界有数の経済大国になりましたが、同時に大切なものを失いました。国家は国民一人一人の「義務と責任」から成り立っているという当事者意識です。
また戦後、GHQによって「配給された自由」を謳歌し、「自由、権利」に付随する「責任、義務」の意識が極めて希薄になりました。「国家の運命を我がことのように思う」人、これが本来の「市民」という意味だと塩野七生さんは述べています。(『ローマ人の物語』)。国を背負っているのは我々だという当事者意識がない限り、国家の防衛も発展もありません。
その結果どうでしょう。「保育園落ちた。日本死ね!」という流行語に象徴されるように、国家はゆすりたかりの対象になり下がりました。若者は国家や社会に尽くす喜びも知らないまま無気力、無関心の怠惰な姿勢に堕しています。
人間は社会の為、国家の為になっていることを実感したとき、真の幸せを感じます。災害派遣中の自衛官を見てください。我が身を省みず人を助けることを最優先にする隊員の目は輝いています。国家や社会に役に立っているのを実感したとき、個人と国家は一体化し、国家が一人一人の「義務と責任」で成り立っていることを自覚するのです。「国家を担うのは我々だ!」という当事者意識の復活が何より急務です。これなくして日本の未来はないのです。
小野貴嗣 東京都神社庁長
この度、日本会議が設立二十周年を迎えられましたこと、心からお祝い申し上げます。設立以来、貴会は男系男子による皇位継承など皇室の尊厳と伝統を守る運動、国旗国歌法の制定、教育の正常化、靖國神社の真姿顕現、英霊顕彰運動等、国家の根幹に関わる様々な課題に取り組んでこられました。こうした取り組みに私共神社界も志を一にし、神道政治連盟の活動と共に日本民族悠久の大道である神道の敬神崇祖・報恩感謝のこころ、そして占領政策の一環である憲法や「神道指令」により毀損された民族の誇りを取り戻す活動を続けてまいりました。
北朝鮮の弾道ミサイル発射や核実験の強行に対して、我が国はいかに国際社会と連携し、国民の生命、財産を守るのか。あるいは、北朝鮮に連れ去られ、今なお家族と暮らすことができない拉致被害者をどう助け出すのか。今こそ戦後目を背けてきた問題と真剣に向き合い、戦後政治の総決算として憲法改正を実現する秋ではないでしょうか。
憲法の理念に、我が国の国柄や伝統文化の精神をもとに皇室を尊び、家庭の絆を大切にした安らかなくらしが出来る国造りを明文化していくべく、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」を中心に、一〇〇〇万人賛同者拡大運動を展開してまいりました。神社庁管内では、八万人を賛同者獲得目標数として掲げ、賛同者を拡大しております。現在三十%の若年層や女性の方々が、日本が攻撃されても国を守らず、日米安保条約でアメリカに任せればよいとする他力本願の風潮がある現状には、マスメディアによるレッテル貼りが強い影響力を持っているように感じます。引続き日本会議と連携し、国民の幅広い理解が得られるよう取り組んでまいります。
結びにあたり、御皇室の安寧と弥栄をお祈り申し上げますと共に、日本会議のご発展をお祈り申し上げ、益々のご隆昌を心から祈念致しまして、ご挨拶に代えさせて頂きます。
加瀬英明 評論家
私たちの日本会議が、二十歳になった。
人に譬えれば成年になって、働き盛りの年齢を迎えた。
日本会議は創立以来、全国の会員や有志とともに、日本の気高い国柄を守り、日本のあるべき姿を取り戻すために、力を盡してきた。
いま、日本の曙が訪れつつある。私たちは日本会議が発足して以来いだいてきた夢が、実現しようとする一歩手前にある。
十月二十二日の総選挙で、与党が圧勝して改憲派が国会の大多数を占めた。
安倍首相が選挙直後の記者会見において「憲法改正に取り組む」と述べたが、現行憲法が公布されてから七十年、日本がはじめて改憲へ向けて大きく動きはじめた。
今年は明治元年から数えて、百五十年目に当たる。
総選挙の投票日は、日本列島を超大型といわれる台風が襲った。
私は雨が街路を洗うように降るのを見ながら、維新の志士の一人の坂本龍馬が、姉の乙女に宛てた手紙のなかで「この国を洗濯致し度候」と書いたのを思い出して、天が与党を大勝させることによって、日本を洗濯して積年の汚れを濯ぐことになると、思った。
日本の国難は、北朝鮮、中国の脅威だけから発しているものではない。たしかに、目前の脅威に備えるために、なすべきことは多い。
しかし、日本の二千六百年以上にわたる誇り高い伝統が疎かにされ、日本人としての国民精神が蝕まれていることこそ、重大な国難である。
日本会議は日本の屋台骨を守り、内外に募る暴風に耐えて撥ね返し、美しい国を創るために奮闘する、歴史的な使命を担っている。
この日本を護り、明るい未来を招き寄せるために、国民の手によって日本にふさわしい憲法を、一日も早く制定しなければならない。
日本の名誉を守り、胸を張って海外と接することができるように、いっそう奮起したい。
葛城奈海 ジャーナリスト・俳優・防人と歩む会会長・やおよろずの森代表
設立二十周年、おめでとうございます。日本国をあるべき姿へと導くため、日頃から関係各位が汗を流され、全国各地への広がりと継続性のある活動を続けておられることに敬意を表します。講演等で各地に呼んで頂くにつけ、世代を越えて、若い方々にも志が受け継がれていることを実感し、心強く思っています。
近年では、「ありがとう自衛隊」の活動にも力を注いで頂いていること、一予備自衛官としても感謝しております。お陰様で、自衛隊に対する国民の眼差しは、一昔前とは様変わりしました。
今後は、必要なときに、隊員たちが日頃の努力の成果を遺憾なく発揮し、存分に力を出せる国にしていくことが次なる目標であると思います。当然ながら、自衛隊が実力組織としての力を行使することは、最後の手段です。が、「国として譲れない一線を越えたときには、最後の手段を使うことも辞さない」という毅然とした姿勢がない限り、日本は舐められつづけ、また永遠に真の意味での自立国にもなれないでしょう。
今年は、横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されて四十年。家族会が発足して二十年。……日本会議と家族会は、ちょうど同じ年にスタートしたのですね。拉致問題を、これだけ長い間解決できずにいることもまた、日本が舐められつづけ、「尊厳ある自立国」でもないという不名誉な証のひとつでしょう。安倍首相は、自衛隊による拉致被害者救出について、「憲法上の制約があるからできない」「いざとなったら米軍に頼るしかない」と発言されています。国民を助けられない憲法を、そのままにしておいてよいはずがありません。また、戦後七十二年も経ち、とうに冷戦も終わっているのに、いつまでも米軍に頼ることが当たり前の日本であり続けていては、大東亜戦争で散華された先人達に顔向けができません。
貴会の果たすべき役割は益々大きくなっていると思います。更なるご発展をお祈り致します。
河添恵子 ノンフィクション作家
日本会議設立二十周年、誠におめでとうございます。二十年前の一九九七年といえば、改革開放政策へと舵を切った中国の最高指導者、鄧小平氏が死去(二月)した年であり、香港の主権が英国から中国に「一国二制度」の枠組みで返還(七月一日)された年でもある。「日中友好」といった表現もまだ多用されていた頃で、何より北朝鮮に脅威を感じることもなかった。
ただ、国際社会の関心が北朝鮮のミサイル開発に向き始めたのはその翌年、九八年である。「衛星の打ち上げ」と称して、事実上の中距離弾道ミサイルを発射した。そして九月には六回目の核実験を実施し、中国も覇権主義を露わに、軍事拡大へと邁進している。
衆院選を前に『産経新聞』からインタビューを受けた私は、「有事に対する本格議論を」とのタイトルで、以下のコメントを発表した。
「政界激変で埋没しがちだが、今回の衆院選の最大の争点が、緊迫化する北朝鮮情勢にどう対処するかであることは疑いない。戦後七十年以上にわたって置き去りにされてきた有事に対する議論を、本格的に行う絶好の機会ともいえる。憲法改正問題を含め、各党とも安全保障政策を真正面から訴えるべきだろう。その際、尖閣周辺への度重なる領海侵入などで脅威となっている中国の存在も忘れてはならない。今回の選挙結果は国民の生命、安全に直結する。有権者は肝に銘じるべきだ」
ところが、選挙戦最中は再び安全保障とは無関係なモリカケ問題……。「自主憲法制定」が党是だったはずの自民党候補者の口もなぜか重い。
世界は弱肉強食をセオリーに、常に生き残りを賭けている。「永遠」「平和」など信じていない。どんな小国であれ武器を欲しがり、民族紛争、貿易戦、経済戦、世論戦、心理戦、法律戦……と、様々なカタチの戦争をしかけ、し続けている。つまり、世界はこの瞬間も戦時中であり、戦前でもある。なのに、日本だけは能天気に「戦後○年」が常套句になっている。
日本会議の役割は今も本番、待ったなしである。
川村真倫子 ブラジル国松柏・大志万学園理事
日本会議・日本会議国会議員懇談会の御設立二十周年おめでとうございます。
地球の反対側、ブラジル国松柏・大志万学園の教師、生徒一同、心よりお慶び申し上げます。
私共、日本国を訪れる度に、日本会議事務総局を表敬訪問させて頂いておりますが、日本国の為にと生命を捧げてお働きになっておいでになる局員の皆様の懸命のお姿を拝し、感謝の念をおさえることができません。ただ深く頭を下げて感謝の祈りを捧げるのみでございます。ありがとうございます、心から。
日系ブラジル人として生を受けた私は、日本人の血を受けていることの幸せをかみしめながらも日本国の現状を見るにつけ、いつも、なぜ?どうして?と悔しく思うことの多い今日この頃でございます。
「国際人となること」に夢中の日本の皆様にはきこえないのでしょうか。日本国には素晴らしい「根っこ」があることを。そして二六七七年よりももっともっと古い昔に日本のどこかに清い泉がわき「現在」という「時」に至るまでにその泉が大河となって「いま」もその清い姿を保ちながらどうどうと音を立てて流れている、その音がきこえないでしょうか。
他国の言葉を識ることは地球上の「はらから」を識ることで大切なことですが、なぜ「日本語」がこうも乱れてきているのでしょう。ブラジルでは国語であるポルトガル語の他に英語、スペイン語などは自由に話せる人が多いのですが、その人達に「もったいない」の意味を知っていますか? と尋ねても「DESPERDICIO」でしょう、と答えるのみです。直訳した言葉はあっても、日本人の「もったいない」の意味とは随分違うものになってしまうのです。説明するのに三十分もかかる程深い言葉の意味を熱心にきいた学習者は「すばらしい」と叫びます。日本語を正しく学んだ外国人ならば、自己の考え方や生き方までも変えようと努力するのです。
そんなに美しい日本語を日本人はなぜもっと大切になさらないのでしょうか。
日本国を数回訪れ、肌で日本を感じた私の非日系(イタリア人二世)の娘婿は、
「日本の悪口を言う人を僕は許さない。僕は日本という国が大好きなんだ。」と断言します。
「あんなに小さい島国なのに、なぜあんなにたくさんの自然を残しているんだろう。」と申します。
日本の真の美しさを多くの日本の方々はなぜ誇りに思わないのでしょう。
私は日伊混血として生を受けた孫たち二人が医科大学を卒業すると同時に陸軍士官学校に入隊し、厳しく苦しい一年間の訓練を受けたあとの卒業式典を忘れることが出来ません。ペンやメスより重いものを持ったことのない若者たちの堂々の行進、叫びに近い国歌斉唱、規律正しい行動を、その両親たちも恋人も誇らしげに見つめ、涙する姿を日本の方に見て頂きたいと思います。二人の孫の婚約者も医大卒で非日系ですが、その一人は海軍士官学校、もう一人は空軍士官学校を志願して立派に耐え、卒業致しました。
戦争など最もさけたいとけ嫌いし、平和を心から愛するブラジル人の若者が「一旦緩急」あれば祖国に殉じる覚悟を固めているのです。
なぜ日本人はあの美しい国土を護ろうとする行為を罪悪視して米国にそれを肩がわりしてもらおうという甘い考えをもつようになったのでしょう。武士道の「武」の文字の本当の意味をブラジル人である私は知っています。日本の皆様も御存知のはずです。
日本会議の皆様、どうか私共日系ブラジル人の故里日本をおまもり下さい。どうか「日本人」としての誇りを日本の皆様がもう一度とりもどすように頑張って下さい。
大好きな日本国民の皆様にお伝え下さい。誇りをもって昇る太陽を象徴する日の丸を高く掲げる誇りと勇気をもって下さい。
よもの海 みなはらからと 思ふ世になど波風の たちさわぐらむ
と悲しみの心で祈られる天皇・皇后のみ心を思い、日本の皆様、頑張って下さい。
現代においても扇を祝祭日やおめでたい日に贈答なさる日本人の心を信じたいです。最後に扇の「要」とは何を表現しているのでしょう。教えてください。
御健斗、心より心よりお祈り申し上げています。地球の裏側より
北村淳 軍事社会学者
日本会議設立二十周年、おめでとうございます。
日本の安全保障とりわけ国防態勢の強化にとって大きな足枷となってしまっております憲法を改正する機運がいよいよ高まってまいりましたが、民主主義国家である日本の国防にとって、憲法改正にもまして大切なのが国防に対する国民の自覚です。
たとえ憲法が改正され、自らの国を第一義的には自らの軍事力で防衛するという国際常識に即した姿が法的にスタートしたとしても、国防組織に対する国民の理解が伴っていなければ民主主義国家の国防は成り立ちません。逆説的に言うならば、多くの国民が国防の重要性を自覚し国防組織に対する支持が高かったならば、自然と憲法も変わらざるを得ない流れへと向かうのです。
民主主義国家日本において、国民の支持を受けた国防組織を指揮統制する(すなわちシビリアン・コントロール)のは、やはり国民の負託を受けた国会であることは言うまでもありません。したがって、日本国民の幅広い層を巻き込んでの国民運動を実践し、かつ多くの国会議員とも連携している日本会議の活動は、民主主義国家日本の国防にとってはまさに扇の要の役割が期待できると共に重責も課せられているといえるでしょう。
このように、国防に関する一専門家としては、日本会議の今後の活躍にますます期待するとともに、更なる発展を祈念する次第であります。
國武忠彦 昭和音楽大学名誉教授
二十年前に「日本会議」が結成されたことは、本当に良かった。結成に遡ること十五年前に、戦後の「憂うべき教科書」問題が再燃していた。「侵略」「南京事件」の記述には、韓国・中国などの批判には十分耳を傾けるようにという「近隣諸国条項」が検定基準に追加されたのだ。我が国のことを悪くいっても検定意見はつけない。こんな検定基準があってよいものか。教科書の主体性はどこにあるのか。この教科書問題に総力を挙げて取り組んだのが「日本会議」だった。
「祖国への誇りと愛情を持った青少年を育成する」。これは運動方針の一つだが、この国民運動が、「新教育基本法」の成立へと結実したのは大きな成果だった。「伝統と文化を尊重し、我が国と郷土を愛する」という言葉、この一行の言葉が盛り込まれるために、どんなに努力をされたことか。教育の憲法ともいうべき「教育基本法」のなかに、この当たり前の言葉がやっと盛り込まれたのである。それまでは、何と不思議な国であったことか。
この新しい「教育基本法」の成立によって、教科書検定制度が改正された。新学習指導要領の目標に、「我が国の伝統と文化の特色」を教えることが盛り込まれたのである。画期的なことである。「日本会議」は、高校生のために歴史教科書を作成していたが、この改正を機に、いっそう歴史への関心と愛着を呼び覚ます教科書作成が可能となった。
「日本会議」の基本的な力は、過去に学び、現在を知り、未来を構想する力にあると思う。
過去の遺産をしっかりと受け止め、その蓄積された力によって、よりよい未来を構想し切り開いていく。この基本的な力に間違いはない。
さあ、今度は憲法改正だ。憲法に「自衛隊」という一言を盛り込まなければならない。当たり前の国になるために、総力を挙げよう。
髙信太郎 漫画家
日本会議設立二十周年おめでとうございます。まさに、「継続は力」だと思う。信じられないほどの反日マスコミや文化人の多い、他の国から見れば「ちょっとヘンな国」ですが、国民はしっかりしている。それが今回の選挙に現れたということでしょう。今度は悲願である憲法改正に向って突き進んでいただきたい。
小林正 元参議院議員
戦後間もない頃、中学の修学旅行で伊豆大島に行った。当時は夜竹芝桟橋から乗船して翌朝着くという航程で、三浦半島を周るとうねりを感じた。小雨が降る中、甲板に出ると、剣崎灯台の灯りが目に入った。白色閃光の後に緑色が雨に滲んで美しかった。海上から見た灯台の灯りは今も脳裏に鮮明にある。
平成十三年、明成社から刊行された『嵐の中の灯台』は物語を通して人としての思いやりや勇気の尊さを十八の説話で伝える道徳教育の魁の試みだった。巻末の「稲むらの火」は東日本大震災で大津波に遭遇した日本人の心に先達の叡智を改めて思い起させるものだった。和歌山を襲った安政南海地震の津波発生の十一月五日は今日、「世界津波デー」として国際社会で共有されている。
明年四月より、「特別の教科道徳」が実施される。これまでの「特設道徳」とは異なり教科として、教科書による授業がクラスの担任が主導して行われることとなる。教材もさることながら、学級担任が人格をかけて指導に当たることの意義は極めて大きい。成績評価も日常的な観察を踏まえ、行動の記録に記載される。戦後道徳教育は新たな段階を迎えることになる。
日本会議二十年の歩みは一貫して戦後教育が齎した歪みを正し、真の国民教育の確立を目指すものだった。教育基本法の改正を実現させ、それに基づく教育関係諸法規の改正にも関わりつつ、「ポリティカル・コレクトネス」の様々な動向に対しても目配り怠りなく対応してきている。安倍政権に反対する一部勢力からは日本会議に対し、メディアを利用してのキャンペーンもなされてきたが、逆説的に言えば、日本会議の存在感が侮り難いものとなった証左でもある。
今後の課題は言うまでもなく「憲法改正の実現」である。東アジアの情勢は「四海波静か」ではない。灯台の灯を高く掲げ、我が国の独立と主権を守り抜きましょう。
小林宏晨 日本大学名誉教授
閣議決定に基づいた新安保体制は、憲法の変遷論の適用下に集団的自衛権の適用の限定的容認によって一般慣習国際法と国連憲章に近づいた。
このような解釈(改憲)を左派勢力は、自衛隊が海外で戦争を行い、日本が戦争に巻き込まれる危険を高めると主張している。
この主張は既に一九六〇年代の岸内閣時代の安保改正過程で見られたもので、旧い主張の焼き直しに過ぎない。
国際法の理解に欠けるこの種の主張には、通常伝統的な「抑止論」が対置される。これに更に伝統的な格言「平和を望むなら戦争に備えよ(si vis pacem para bellum)」もつけ加えられる。
なお筆者の知人であった元ドイツ連邦軍総監の「連邦軍は、戦争を強いられることがないために、戦争できる状態を維持し続けなければならない」との主張は世界の常識である。
集団的自衛権の適用可能性の容認は、前記の伝統的な知恵と密接に関連している。その意味からして、日本の左派系メディアの主張は世界的非常識の典型と見做されよう。
しかし、これまで待ち望んできた「憲法改正」は容易なことではない。例え衆参両院定数の三分の二を獲得したとしても、これに続く国民投票で過半数を獲得することはさらに難しいと予測される。
アメリカ占領政策の主要手段たる「war guilt information program=WGIP(戦争についての罪悪感を日本人に植え付ける計画)」の成果が極めて大きく、現在に至るまで日本人の圧倒的多数に大きな影を落としている。例えば政治家の靖國神社参拝へのマスコミの批判、日教組と日弁連のイデオロギー集団としての相互協力の中に見られる。
日本の現状を鑑みるならば、例えば自衛隊に正当な憲法的地位を付与する為に憲法の改正が必要なことは論を俟たない。
しかし、これには極めて高いリスクが伴う。
従って、「憲法改正」のリスクへの対案として、「憲法改正」の可能性を留保しつつも、並行して「憲法変遷」論を可能最大限適用し、これに基づいて一連の重要な「基本法」(例えば、非常事態基本法、地球環境保全基本法、原子力平和利用基本法、生態維持基本法等々)の制定を提唱したい。
小堀桂一郎 東京大学名誉教授・日本會議副會長
日本會議設立二十周年の節目を心からお祝ひ申し上げます。この運動組織の前身と見てよろしいと思ふ「日本を守る國民會議」の設立は昭和五十六年でしたが、私はその翌年五十七年に、従来の左翼偏向の風潮を正す使命を帶びた國史教科書の編纂事業に參加する事で「國民會議」との直接の關はりを持つ身になりました。数へてみれば三十五年の昔の話ですから、謂はば自分の後半生と重なる年数であり、さすがに個人的感慨も淺からぬ御縁であります。
この期間、御縁の端緒であつた歴史教科書の正常化運動をはじめとして、以後日本會議が取組んできた数々の國民運動の目標の多くが、いやその殆ど全てがといつてよいくらゐの項目が、同時に又私自身にとつての切實な個人的關心事でもありました。そしてそのいづれもが、私個人がいくら熱願しても焦慮しても、一私人の立場ではどうする事もできない様な國民的規模と公共性とを帶びた大きな問題でしたから、自然、私の念願の達成のためにも、この大きな組織の持つ衆の力といふものに依存する他はない、といつた悟りに達したのです。元來所謂徒黨を組む事が嫌ひで、自分一人ではできない目標ならむしろ早々に諦めをつけて放棄してしまふ傾向の強かつた私が、その生來の考へ方を變へざるを得なくなつたのは、日本會議の國民運動に非力ながらとにかく多年協力させて頂いたお蔭であるといふべき事の様です。
さういふわけで、私なりに草莽の志といつたものを捨てずにゐる限り、私は日本會議といふ運動組織に常に大きな恩義を感じてをります。又研究者社會で暮して來た人間の端くれとして、およそ一個の組織を堅実に懈みなく維持してゆく事の難しさを經験的にもよく知ってゐるつもりでありますから、日本會議二十周年の記念に際しましては、この國民運動を支へてゆく上での陰の機關となり動力となつて働いて下さつてゐる事務局の諸兄姉に向けて、衷心からの感謝を表明したいと存ずるものであります。
さかもと未明 アーティスト・漫画家・シンガー・作詞家・作家
私は十年ほど前に難病を発症し、一時期は「あと五年持たないだろう」と言われました、私は恐怖におののいて泣いてばかりいました。本当に人の何倍も努力して漫画家になったのに、代表作も残せないまま死ぬのだろうか、と絶望していました。しかしやがて、「長く生きられないなら、後悔しない表現がしたい」と感じるようになりました。芸術家として、妥協することない表現のために命を懸けたいと思ったのです。そう考えることで、心がとても楽になりました。
まだ病気になる前、平和な日本で「命を大切に、自由に生きることが一番大切だよ」という風潮の中にいても、「何をしたら自由になれるのかしら」と、むしろ焦るばかりで心はちっとも落ち着きませんでした。戦後の生きにくさとはつまり、死や戦争というものを絶対悪として思考停止となった故、死や有事、困難にいかに向き合うかの哲学を失ったことにあると思います。すなわち覚悟を失った教育しか与えられていないということです。覚悟を持つことこそ、我々に自由と安心を与えてくれるというのに。
しかし、そんな戦後の教育の欺瞞も今、朝鮮半島の緊張やテロの危機の前に、崩れようとしています。最近の選挙でも、憲法改正などを明確に謳う保守政党が圧勝しました。当然のことが当然のこととして、国民の多くに気づかれる日は近づいていると思います。
人として、国としての「常識」を取り戻したとき、この国は真に敗戦国であることを脱し、他の国の方々とも冷静かつ友好的な対話ができるようになるのだと思います、その時当然のこととして憲法は改正されるでしょう。そのための、「当たり前の人の道」の運動を、どうぞ日本会議の皆様には誇りをもってご継続いただきたいと思います。
二十周年を心からお祝い申し上げます。今後何百年たっても、英霊の死を忘れず、その遺志を継いで祖国や祖先を想う気持ちをつなげていってください。
櫻井よしこ ジャーナリスト
日本会議が設立から二十周年を迎えます。立派な日本国の確立を目指して活動してこられた皆様方の貴い歩みに、国民の一人として心から敬意を表します。
日本が目指すべき国の形を、日本会議は独立自尊の道義国家としています。産経新聞社で田久保忠衛先生が座長となって「国民の憲法」を起草されましたが、そのときの日本国のあるべき姿の基本も、独立自尊の道義国家でした。独立の心を強く持ち、日本らしさを大事にしながら、同時に国際社会に通用する普遍的価値観の旗を誇り高く掲げ続けることこそ、日本の進むべき道です。
明治天皇が発布なさった五箇条の御誓文の精神を基本にして、国際社会に広く開かれた立派な日本を作っていく決意は、現在の日本に最も必要とされていることではないでしょうか。
戦後の歴史において、日本は屈折した歩みを強いられてきました。その屈折した歩みを、わが国は今もまだ続けています。他方、国際社会では百年か二百年に一度の大変化が進行中です。諸国はどこも生き残りを賭けて新しい国際情勢に適応しようとしています。その中で、日本国の浮沈に関わる国際情勢の変化に最も鈍感なのがわが国です。
虚構でしかない前文と九条二項、日本らしくない価値観が溢れている国民の義務及び権利の第三章。疾うの昔に改正されて然るべきだった現行憲法に、七〇年が過ぎたいまも縛られ続けているわが国は、他の如何なる国と較べても危うい局面に陥っています。
国民を自力で守ることも、祖国を自力で守ることも覚束ないこの惨めな状況を変えていくのが私たち現役世代の責任です。わが国を支えてきた先輩世代の日本人、これからを担う未来世代の日本人のためにも、いまが頑張りどきです。日本会議が憲法改正の実現と独立自尊の道義国家の樹立に向けてこれからも大いに力を発揮することを念じています。
佐々木堯章 崇教真光代表役員
日本会議並びに日本会議国会議員懇談会設立二十周年の佳節を迎えられましたこと、心よりお慶び申し上げます。
日本会議の前身であります
「日本を守る会」設立に当たり、当時明治神宮伊達巽宮司様よりお誘いを頂き、崇教真光初代教え主岡田光玉師も活動に参画致しました。
これまで日本会議の活動は、日本の悠久の歴史に育まれた伝統と文化を継承し、健全なる国民精神を守るため、数々の大変大きな成果を挙げてこられました。
今日、国旗国歌法が制定され、スポーツ、文化芸術活動等において日の丸が掲げられ、日本人として誇りを高める機会を頂いております。
教育、人づくりは国の根幹であり、日本においても、国を愛する心、人を愛する心を幼少期から教え導いてあげることが大切なことであります。このかけがえのない地球の恵みに感謝し、この美しい日本を守り続けて下さった先人に感謝する心豊かな惟神の精神を育み、人類が自然と共に生き、共に栄えていくミチを歩むことが大事であります。
われわれは、約六十年ぶりに新たにされた教育基本法の下、学校、家庭、社会が一つになって正しい教育を行わねばならないと存じます。その為にもお互いに魂霊を磨き高めて参りたいと存じます。
今日の日本の状況、世界の状況を鑑みます時、大変厳しい時代を迎えておりますだけに、日本会議の役割は益々重要となって参ります。
今後とも誇りある国づくりへ向かってより一層のご発展をご祈念申し上げ、お祝いの言葉とさせて頂きます。
佐藤守 軍事評論家・元空将
十五年ほど前、「憲法改正」を目指す団体に講演に招かれた際、ある国会議員が「創設五周年記念集会、誠におめでとうございます」と挨拶したことがあった。これに違和感を持った私は、講演の冒頭で「憲法改正は喫緊の課題である。にもかかわらず既に五年も無為に過ぎてしまった。それが“おめでたい”と感じる議員の感覚が判らない。彼はこのまま十周年、二十周年と時が過ぎていくことをお望みなのか?」
尤も当該議員は挨拶が済むと会場から立ち去っていたが、憲法のせいで辛酸をなめてきた私はじめ、現役自衛官とその家族にとっては、「創設五周年を祝う…」という言葉に不快感を覚えたのである。
この度田久保会長から「日本会議設立二十周年記念誌」への寄稿依頼が届いたが、日本会議は憲法改正のみならず、教育正常化、靖國神社などで英霊の追悼感謝の集い、誇りある我が国の国づくりを目指し、日本古来の文化・伝統を青年達に教育しようとする国民運動を展開している。
更に現在は、北朝鮮の核ミサイル開発と米国への敵対行動、尖閣への中国の示威行動など、我が国を取り巻く国家的危機が高まっている時であり、国民の不安と混迷する政治の立て直しは一刻の猶予もならない時だが、そんな中で戦後体制を改革しようとする熱意を掲げて活動する日本会議が二十周年の節目を迎えたことは喜びに堪えない。
敗戦によって自信喪失した日本人、とりわけ男性たちのふがいなさを見続けてきた青少年たちは、自国の歴史に誇りさえ持てないでいる。
これは、異常な戦後の教育を改革せず、放置してきた我々“大人たち”の責任に他ならない。このままでは、散華された英霊方に申し訳が立つまい。
一部のメディアが「自分に不都合な事実を政府や軍部は教えなかった」とすり替えて宣伝する「教えざるの罪」を反省する時が来ている。
設立二十周年を機に雑音を気にせず自信を持って活動していただきたいと思う。
佐波優子 キャスター・戦後問題ジャーナリスト
日本会議設立二十周年にあたり、心よりお祝いを申し上げます。
現在の状況を鑑みますと、国全体で他者に感謝の気持ちを持つ心が薄れて来ているように思えます。特に日本を護るために戦った英霊への追悼と顕彰の気持ちは、戦争の記憶が年々遠のく中で薄れてきています。しかしそのような中、日本会議は先人や英霊への感謝の気持ちを持つことの大切さを伝え続けてきました。その役割は極めて大きいと感じています。
先日、靖國神社の境内でこんなことがありました。ある若い世代の方が「私は英霊の皆様に何かお礼がしたいと思っている。でも体が弱いために、戦跡の慰霊巡拝や遺骨収容に出かけたりすることはできない。どうしたら感謝の気持ちを伝えられるのだろうか」と私に問いを投げかけてこられました。
その問いに対して私はこう考えています。これまで、先の大戦で兵士であったお父様を亡くされたご遺族や元兵士の方々と一緒に靖國神社や護国神社を訪れる機会が多々ありました。境内にはいつも参拝に来ている若い人の姿があります。その様子を見て、あるご遺族は「あんな風に若い人が、親父のために手を合わせてくれるのを見ると嬉しくなるよ」と言って涙ぐまれていました。ある元兵士は、戦死して神社に祀られている戦友に「おまえさんたちの孫やひ孫たちがよう来とるで」と語りかけていました。多くのご遺族や元兵士が、若い人の参拝を喜ばれていたのです。若い当人達はそんな風に言われていることには気付かずに境内を歩いています。でも若い方々がいるということそのものが、これまで沢山のご遺族と元兵士を励ましてきて、多くの顕彰の気持ちを英霊に伝えてきたのだと思います。先の質問をした若い方も、何か特別なことをしなくても、その日境内を歩いていたこと自体が感謝の気持ちを表していたことになると思うのです。
このように若い人が英霊に追悼と顕彰の気持ちを持つことになったのも、日本会議がこれまで続けてこられた英霊への追悼感謝の運動が大きな力になってきたからではないでしょうか。そして日本会議が長い年月をかけて、人のために行動をする大切さを伝えてきたことも若い人が他者を思いやる行動につながってきたのだと思います。これからも子供たちの未来のため、日本会議の益々のご発展を祈念致します。
石平 評論家(帰化日本国民)
日本会議設立二十周年、おめでとうございます。この二十年間、日本の名誉と国益を守るべく奮闘してきた日本会議の業績と足跡に、心からの敬意を表したいと思います。
しかし今、われわれの日本国は、まさに国家存亡の危機にあると思います。多くの国民の生命と財産はならず者国家の北朝鮮の核の脅威にさらされる一方、習近平政権下での中国の覇権主義戦略の推進が日本という国の存続を脅かすことになっています。
未曾有の国難を乗り越えてこの美しき日本国を守っていくためには、国民の手による憲法の改正あるいは自主憲法の制定、そして国防体制の強化は何よりもの急務です。日本会議にはぜひ、憲法改正の国民運動の先頭に立って安倍政権を支えながら、改憲の歴史的大業を成し遂げていただきたいと思います。
そして、日本の精神と伝統を大事にして、それを子孫代々に受け継がせていくこともまた、日本会議の担うべき歴史の大使命であると認識しています。
この日本という国を愛し日本の文化と伝統に心酔する帰化人の私も今後、日本会議と心を一つにして日本会議と共に、国を守り、伝統を守っていくために頑張っていきたいと思います。
日本会議のますますのご発展と御繁栄を祈ります。そして我らの日本国の洋々たる前途と明るい未来を祈って、信じていきたいと思います。
千玄室 茶道裏千家前家元・日本国連親善大使
日本会議と日本会議国会議員懇談会が設立二十周年を迎えられ、今日まで国民運動の展開に大きな力を与えてこられたことに対して敬意を表し、お祝い申しあげます。
近頃、従来とは違う分野である生活文化や芸術、芸能が日本から世界へ向け発信されていることはたいへん喜ばしいことです。東洋の端にある小さな島国・日本が世界を相手にしているのです。今まで日本を知らなかった人々が改めて理解しようとしてくれています。生活文化は、世界各国で異なっても衣食住を中心としたものであるから、従来の固定観念を打ち破り、誰もが受け入れることができるのでしょう。清潔で治安が良い生活環境が羨ましがられ、日本はいわば憧れの国になっています。
私も度々海外に出かけますが、その国の人たちが日本文化である茶道を理解し、「和敬清寂」の心を受け入れようと一生懸命努力してくれることを心強く思うのです。反対に日本人が茶道を含めた日本の文化を理解しようとしないことはまことに遺憾であり、もっと自分のものにしてほしいと日々念じています。
やがては西洋文化だ、日本文化だなどと区別しなくとも人類が共有する一体の文化となっていくと私は思っています。思えば、人々が重用する哲学は古代ギリシャで生まれ、それが中庸を最高の徳とする思想となり、今日に至っています。一国で生まれた哲学が各国の思想に影響を与え、それぞれに優れた「もの」を整えました。それが文化なのです。「もの」が「型」として生まれ、人々の心身とともになり、それぞれの血が入って「型」が「形」となったのです。古代、日本においては血は霊であるといわれました。山霊は「おろち」、川霊は「かち」といいました。人々は「ち」を尊び、あこがれました。山の頂には逝った人の霊が存在し、自然はその人々の霊によって守られているという考えが、日本人にとって自然共有一体のものという思想となったのです。このような思想をこれからも大切にしたいものです。
貴会議のますますの御発展を祈念いたします。
田尾憲男 神道政治連盟首席政策委員
日本会議が設立されて今年で二十年となりましたが、その母体の日本を守る会と日本を守る国民会議の時代から継続して長年にわたり活動してこられた方々、またその事務局を守り、裏方で運動を支え、憂国の念をもって熱心に活動奉仕してこられた若い活動家や女性の会の皆さんに対し、心より敬意と感謝の意を表したいと思います。
私は早くも老兵となりましたが、長年にわたる葦津珍彦先生とのご縁で、神道政治連盟の方では政策委員として、また日本会議では理事として参画させていただき、おかげで両組織を通じて多くの同志とともに、数々の国民運動に微力ながらも関与しえたことを幸せに思っております。
これまでの二十年間の日本会議の活動は、建国以来の皇室の高貴なる伝統を護持して周年の国民奉祝を行い、敗戦占領下で傷ついた日本国の憲法を改正して本来の主権と独立の回復をめざし、歪められた教育の基本を改め、また家族の絆と美風を守り、地域社会の連帯を維持することに全力を注いできました。さらに祖国の礎となった靖國の英霊を守り、その慰霊・追悼を呼びかけ、国の内外で我が身を顧みず活躍する自衛隊員を激励し、領土領海を防衛する国民意識を喚起することなど、国の根幹に関わる重要な事柄について、熱心に国民運動を行ってきております。
しかしながら日本国憲法の改正をはじめ、目標未達成の重要課題がまだ幾つもあります。これからも広く国民啓発の運動を継続し、日本会議国会議員懇談会の先生方との連携を強め、日本会議地方議員連盟の議員有志の方々とも協力し合って、それらの実現をめざさなければなりません。日本会議は、日本を守る国民の願いと期待を背負った存在です。関係者一同これからの健闘を期すとともに、日本会議の一層の力強い歩みを期待してやまない次第です。
髙原朗子 日本女性の会代表委員・熊本大学教授
日本会議設立二十周年誠におめでとうございます。日本会議会長の田久保忠衛先生はじめ今まで本会の設立・運営に関わってこられた多くの方々に心より敬意を表します。
私が本会のことを知ったのは十八年ほど前です。当時長崎大学在籍時に、私は歴史教科書問題に興味関心を示し、その関係で日本会議という団体があるのだということを認識しました。その後、熊本大学に転勤し、長崎でお世話になった方のご紹介で日本会議に入会しました。入会後、実は長崎大学は日本の保守運動において歴史的意義がある大学と知り、驚いたりしました。
熊本では主に女性の方たちと共に活動する機会を得、「行き過ぎた性教育や間違った男女共同参画の是正」「英霊への慰霊・感謝に関する活動」「北朝鮮による拉致問題解決運動」などを行ってきました。そして現在は真の意味での日本人による「憲法改正運動」に力を入れています。
日本女性の会推進委員拡大女性プロジェクト座長を拝命してからは、全国各界の女性のご協力を得て「女性のための憲法改正おしゃべりカフェ」の企画開催を担当しております。女性にわかりやすく日本の現状、憲法の成り立ちやその問題点を話すことで、憲法を改正することの意義を理解してもらえているとの手応えを感じながら活動しています。今年九月現在、おしゃべりカフェは全国で千回達成しました。
平成二十九年十月二十二日、日本会議設立二十周年の節目の年に行われた衆院選を終えた今、憲法改正が益々現実味を帯びてきたというのは決して偶然ではなく、今までの日本会議の皆様の幾多の活動の積み重ねの成果だと感じております。近いうちに憲法改正を実現し日本人の生存と安全を確保して、さらには我が国の歴史・文化・伝統を私たちの子や孫に伝えていくことがかないますよう、皆様と共に前進していきたいと存じます。ご指導のほどよろしくお願いいたします。
田中恆清 神社本庁総長
この度、日本会議が設立二十周年の節目を迎へられ、本日ここに盛大な記念式典を挙行される運びとなりましたことは、誠に慶賀の極みであります。
平成九年五月、「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」が統合し、貴会が設立されました。以来、今日まで二十年の長きに亘り、悠久の歴史に培はれた我が国の伝統・文化を継承し、日本国民としての誇りと自信を恢復させることを目的に掲げ、国民運動を展開して来られました。
貴会と志を同じくする日本会議国会議員懇談会とともに、皇室の尊厳護持運動をはじめ、教育正常化運動、尖閣諸島を守る国民運動、靖國神社英霊への追悼感謝の運動、夫婦別姓法案や外国人参政権法案への反対運動などを推進し、様々な成果を挙げて来られたことに衷心より感謝を申上げます。
とりわけ、憲法改正運動については、貴会設立以来、早期の憲法改正実現を目指し、国会における実践活動はもとより、国民世論の喚起に努めて来られました。近年、諸外国の軍事的脅威は一層高まりを見せてをり、安全保障環境の劇的な変化に伴ひ、我が国は現憲法制定時には想定してゐなかった危機的事態に直面してゐます。また、自然災害の多い我が国では、いつ何処で大規模災害が発生しても不思議ではありません。
かかる情勢認識の下、これら事態に対処する方途として憲法改正を推進すべく、平成二十六年十月には貴会が先頭に立ち「美しい日本の憲法をつくる国民の会」を立ち上げられました。同会ではこれまで一千万賛同者拡大運動をはじめ、憲法改正に向けた全国ネットワークの形成や研修会の開催等、幅広く活動を展開して来られてゐます。
御承知の通り、憲法改正の実現は、神社界でも長年取り組んできた悲願であります。此度の節目を迎へた貴会の、憲法改正に向けて運動を展開されてきた多大な功績を称へると共に、憲法改正の実現を望む神社界の代表として、心より敬意を表する次第です。
二十年といふ記念すべき秋を迎へ、あらためて貴会結成の精神に立ち返り、山積する諸問題の解決に向け、多くの国民と手を携へ、我が国の誇りを取り戻し、美しい国柄を後世に伝へるべく、今後更に活動を充実されますことを切に御期待申上げます。
結びにあたり、貴会の益々の御発展と関係各位の御健勝を心よりお祈りし、祝辞と致します。
竹中俊裕 イラストレーター
日本会議設立二十周年、誠におめでとうございます。
日本会議との出会いは明成社刊『嵐の中の灯台』の挿絵で、恩師西島伊三雄先生のお手伝いをしたことがきっかけでした。
当時はまだまだサヨクの空気が強い時期でしたが、ずっと違和感を覚えている中で日本会議と出会い、『誇りある国づくりへ』のメッセージに「まさにその通りだ。このような活動をしている団体があったのか!」と感激したのが忘れられません。
その後すぐに入会し、ありがたいことに平成十七年四月より『日本の息吹』の表紙絵を描かせていただいております。
『日本の息吹』でいろいろなことを学ぶほどに、我が国は未だ占領下の影響から抜け出せず独立国とは言えない状況にあることを知りました。
いったいいつまでこんな未成年のような状況を続けていくのでしょう?
一日も早く一人前の国になって自立しなければ、これまで日本をつくってくださった先人の方々や、次世代の日本の若者に申し訳ないとの思いが募るばかりです。特に大東亜戦争で散華なされた御英霊の方々へは顔向けもできません。
最近ようやく日本人が目覚める兆しが見え始めてきたようですが、憲法改正、皇統の安定継承、北朝鮮に拉致された同胞の奪還など、猶予できない問題がたくさん横たわっています。
今後ますます日本会議の活動の輪、メンバーの輪が大きく広がって、より多くの日本人が真の日本人となりますよう強く強く期待しております。
天皇陛下万歳。
田中秀雄 歴史家
いわゆるWar Guilt Information Program WGIPは、現在も戦後における最大の政治的、歴史学的課題であり続けています。WGIPの呪縛は憲法改正、教育の再生、家族の問題等、日本の死活的といえる様々な分野で、正常な議論を喚起することへの大きな妨げとなっています。第二次大戦で我々は歴史上かつてない大敗北を喫し、原爆死を含む膨大な犠牲者を出すことになったのですから、無理もない部分もあります。その無防備で呆然とした心理に、GHQは巧みにWGIPを注入したわけです。
WGIPの問題性を最初に指摘したのは江藤淳ですが、江藤はもう一つ重要な指摘をしています。“戦後民主主義”という言葉への違和感です。論壇誌にこの言葉が登場するようになるのは東京オリンピック前後であると彼は言います。具体的には大江健三郎、小田実らが論壇に一勢力を築く頃です。実は彼ら戦後民主主義者こそが、WGIPの最大の被害者でした。つまり彼らはその当時、柔軟な感受性を以てWGIPを素直に受け入れた少年たちであったわけです。
東京オリンピックまでの日本の戦後は、大東亜戦争を成人として呼吸していた世代、生き残った戦前派の感性によって復興の途を進みました。その最後の残り香の輝きもまた昭和三十九年頃ではなかったかと思われます。『日本の息吹』の読者は現在の呆けた紅白歌合戦をほぼ見ないでしょうが、オリンピックの年、昭和三十九年の紅白では、森繁久彌が『戦友』を歌っているのです。多くの戦争体験者がまだ生きていました。これを絶賛する葉書や手紙がNHKに大量に舞い込んだのです。
つまりWGIP史観は、それ以降の時代に有力となって定着し、問題となっていったのです。とすればある意味、我々の感性が昭和三十九年当時に戻ればいいとも言えるでしょう。それまでの戦いは確かに厳しいですが、日本会議こそがその中心となるべきなのは確かだと思います。創立二十周年、おめでとうございます。
土屋秀宇 母と子の「美しい言葉の教育」推進協会会長
日本会議設立二十周年 心より御慶び申し上げます。
祖国再興のために果すべき使命の大きさを鑑みますとき、志を同じくする国民の一人として、貴会の活動に深く感謝申し上げる次第です。
扨、この原稿を書き始めた矢先、安倍総理が衆院解散を会見で表明するその直前を狙ひ定めたかのやうに、小池都知事が臨時の会見を開き、国政新党を立ち上げて代表に就任する旨を発表し安倍政権との対決姿勢を打ち出しました。選挙の結果が案じられます。
ところで、森友・加計騒動、稲田前防衛大臣の辞任、重なる自民党議員によるスキャンダル等々、安倍総理の政権運営の足を引つ張る動きが続いてゐます。これについては、左翼陣営と組んで安倍叩きに狂奔する反日メディアの影響もありませう。
しかし、根本の原因は、靖國の御英霊の「我慢にも限界がある。さうはさせぬぞ」との苛立ちにあるのではないかと感じてゐます。
安倍総理が平成二十五年十二月に靖國参拝を果たした当時、アベノミクス効果等、政権運営が順調だつたのは、目に見えぬ御英霊の御守護があつたからだと思はれます。
然し、それ以降は自らの直接の参拝はありません。更には、稲田前防衛大臣が南スーダン行きを理由に例年行つてゐた八月十五日の靖國参拝をしなかつたのは記憶に新しいところですが、このやうな姿勢に対する御英霊の怒りと御不満が、政権運営に味方して頂けない結果となつてゐるやうに感じるのです。
国家・国民のために己を捨て神となられた御英霊に対して、尊崇の誠をささげることは、政に携はる者の最優先事項であらねばなりません。そして、尊崇の想ひは、靖國参拝を自ら実行にうつしてこそ御英霊に通ずるものでありませう。「神を畏れ心から敬ふとき、神から御守護頂ける」と、わが民族は「目に見えぬ神の力」を信じてきたのではないでせうか。
「本立ちて道生ず」――安倍総理には、代拝ではなく正々堂々と自ら靖國神社を参拝して頂きたいと願ひます。政治的配慮は無用です。御英霊の喜びが御守護となつて、必ずや政権運営は好転するに違ひないと信じます。
めにみえぬかみのこころに通ふこそひとの心のまことなりけれ(明治天皇)(平成二十九年九月二十七日)
寺島泰三 日本郷友連盟会長
日本会議が目出度く二十周年を迎えられたことを心からお祝い申し上げます。
この二十年間教育改革を始め皇室問題、歴史問題、国防問題更には憲法改正など誇りある日本を取り戻すために幅広い活動を展開されて来られ大いなる成果を収められてきたことに心からなる敬意を表しますとともに、歴代会長を始め会員の皆様の真摯で積極的なご努力ご精進に対し衷心より敬意と感謝を申し上げるものであります。
去る十月の衆議院総選挙は野党の失策もありましたが与党が改憲の発議に必要な三分の二以上の議席を獲得し、また改憲勢力が八割を占めたことは誠に喜ばしいことであります。
安倍自民党総裁が五月に提唱された二〇二〇年までに憲法を改正するという提言が今や正に具現化に向けて大きな一歩を踏み出したと云えましょう。
もとより憲法改正が日の目を見るまでには国会論議や国民の間の論争など多くの困難が予想されますが、今こそ占領軍に押し付けられた現憲法を日本国民自身の手で改める絶好のチャンスと捉え国民の間に改憲勢力の輪を更に拡大し来るべき国民投票に万全を期すことが何よりも肝要でありましょう。日本会議の皆様の更なるご活躍を大いに期待するものであります。
また二十年前に比べ我が国周辺の軍事情勢は北朝鮮の核ミサイル開発や強大な軍事力を背景に海洋進出を図っている中国、さらには活動を活発化しているロシアの動向など格段に緊張の度を増しています。そしてこの脅威は今後もますます増大する危険を孕んでいると云っても過言ではありません。
我が国としては更なる国防力の充実強化そしてその促進に努め、周辺諸国に侮られない態勢を確立することが今や何よりも必要でありましょう。
日本会議の今後ますますのご発展、ご活躍を祈念して止みません。
德川康久 靖國神社宮司
日本会議・日本会議国会議員懇談会におかれましては、設立二十周年をお迎えになられ、衷心よりお祝い申し上げます。
設立よりこのかた、「誇りある道義国家日本の再生」を理念に、混迷する戦後体制の改革を目指し、皇室を敬い、愛国心に基づいた伝統文化の護持、教育の正常化、英霊の顕彰等々、次々に国民への喚起啓蒙運動を推進され、目覚ましい成果を具現化されてこられました。改めて、これまで運動に携われてこられた皆様のご熱意、ご尽力に敬意を表し、深く感謝申し上げます。
さて、靖國神社の本殿内高く、明治天皇御製が掲げられております。それは、
「わが國のためをつくせるひとびとの名も武蔵野にとむる玉垣」
です。この御製は、明治七年一月二十七日。明治天皇が初めて行幸あそばされた時に賜ったものです。靖國神社の前身であります東京招魂社は、明治天皇の思し召しにより、明治二年六月二十九日、九段の地にてご創建となりました。それから四年半後、初めての行幸でありました。そして明治十二年六月四日、東京招魂社は靖國神社と改称いたしました。嘉永六年から大東亜戦争まで、国難に殉ぜられた二百四十六万六千余柱の英霊をお祀りしております。
平成三十年は明治百五十年の年となり、更にその一年後は、靖國神社ご創建百五十年という大きな節目の年を迎えます。ご祭神の慰霊顕彰を通して、明治以降の我が国の歩みを振り返り見る良い機会でもあります。そのためにも、靖國神社は皆様のご支援、ご理解をいただき、日々の祭祀に努めてまいる所存でございます。
結びに、日本会議・日本会議国会議員懇談会の益々のご発展とご活躍をお祈り申し上げ、祝辞といたします。
中島精太郎 明治神宮宮司
日本会議設立二十周年を心からお祝い申し上げます。十年前は、第一次安倍内閣で教育基本法の全面改正が実現した直後の大会でした。今回は、第四次安倍内閣の下で憲法改正に王手をかけた大会になろうとしています。感慨は一入です。
ご承知の通り、日本会議は、「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」が発展的に統合して設立されました。宗教界を始め有力団体を擁した守る会と都道府県組織を擁した国民会議の統合によって、全国を縦横に網羅する草の根の国民運動の布陣が形成されました。また国会に、超党派の議員懇談会が設立されたのも大きな前進でした。
この陣容は、さまざまな国民運動の成果を生み出しました。天皇陛下御即位二十年奉祝運動や皇室の伝統を守る運動、国旗国歌法制定や教育基本法改正、戦歿者英霊を顕彰する運動、尖閣諸島を守る運動、そして憲法改正運動等々、枚挙に遑がありません。ご尽力いただいた全国各地の先輩諸氏、同憂同士の皆様方の献身的なご努力に深く敬意と感謝の念を捧げる次第です。
思い起こせば四十数年前、日本を守る会が設立された当時の日本は、敗戦と占領政策の影響を受け、伝統軽視の風潮や唯物思想が社会に蔓延しておりました。こうした風潮を憂いた山岡荘八先生、安岡正篤先生、朝比奈宗源先生、そして宗教界代表ら錚々たる各界名士は、「愛国心の高揚」と「倫理国家の大成」を方針に掲げ、活動を開始されたのです。
当時、先生達の国を守ろうとする気概、国を愛する情熱は、事務局を預かる私共にもひしひしと伝わってきたことを今も鮮明に覚えております。こうした先憂諸師の発起があって、二十数年後には日本会議の誕生を見ます。まさに、先達の道統が受け継がれたことにより、今日の数々の国民運動の成果が生み出されたことを、感慨深く思い起こしております。
明年は、明治維新百五十年の節目を迎えます。我が国が、伝統文化の縦糸と近代文明の横糸を織りなし、世界に類例ない近代国家樹立に成功した歴史に学び、私共は新たな時代を切り開いて参りたいと存じます。貴日本会議の益々のご活躍をお祈り申し上げます。
西岡力 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会会長
日本会議が設立された平成九年は、家族会・救う会が拉致被害者救出のための国民運動を始めた年だった。日本会議のすばらしさは、若い人材を多数育てていることだ。中央や全国で専従として働いている活動家は真面目で自己犠牲的な愛国者ばかりだ。冗談で私は「君たちは霞を食べて暮らしているのだね」と話すのだが、率直に言って十分な待遇を得ていないにもかかわらず、黙々と激務をこなしている姿にいつも心の中で頭を下げている。
二十年間で達成できた成果に比べて目の前にある課題は巨大だ。しかし、私はいつも、こう語っている。
「国民運動とは重い鉄の球を押しながら山の頂上に向かう道路を登っていくようなものだ。少しでも手を離すと球は下がってきてしまう。重い球だからゆっくりしか動かない。一日一日、どれくらい登ったのか実感がない。しかし、登り続けて、あるとき下を見下ろすとずいぶん高くまできたことがわかる。あとどれくらい登れば頂上に着くのかは分からないが、登り続けなければ頂上に着けないことだけは分かっている。苦しくてもこの道を行くしかない」
北朝鮮による拉致が集中して起きたのは今から四十年前だ。それから20年間残念なことに政府は被害者を助けようとしなかった。そこで二十年前、家族と支援者が国民運動を始めた。五年後に北朝鮮は拉致を認めて五人を返した。しかし、そのとき「拉致したのは十三人だけで八人は死亡し、残る五人返したから、拉致問題は終わった」という新たなウソをついた。このウソを打ち破る闘いを私たちは今も続けている。
米国は軍事行動を含む全ての手段で北朝鮮の核ミサイル開発を止めさせるとしており、独裁者金正恩は絶対に開発をやめないとうそぶいている。戦後日本にとって最大の危機が迫ってきた。その中で全被害者を助けるという最優先課題を実現しなければならない。わが同胞を助けるのは祖国日本だ。全被害者を助け出すまで戦いつづける覚悟だ。
長谷川三千子 埼玉大学名誉教授
――設立二十周年をむかへて
日本会議設立二十周年――送つていただいた「日本会議二十年の歩み」をたどつてゆくと、いつたいこの二十年間にどれだけのことができたのか、代表委員の一人として、わが身を恥ぢるばかりである。たとへば、平成十一年一月「日本の正しい姿を世界発信するため『国際広報委員会』を設置」とある。すでにその三年前、いはゆる「慰安婦問題」について、虚偽にみちた「クマラスワミ報告書」が国連に提出され、一人歩きし始めてゐた時期である。なんとかしなければ、といふ危機感が私たちをつき動かしてゐた。しかし、「日本の正しい姿を世界発信する」といふのがいかに難しいことであるか、その後のわれわれはいやといふほど体験し、実感することとなつた。当時とくらべて現状がどれだけ改善したかと自問してみると、忸怩たる思ひである。
一方、平成十三年には「日本女性の会」が設立され、翌年には、夫婦別姓法案反対の百八十万署名を集めて法案上程を阻止することができた。ひとへに全国の女性の会メンバーの頑張りのおかげである。しかし、それから十五年、危機はまた形を変へてしのび寄つてゐる。当時はまだそれほど深刻と思はれてゐなかつた少子化が急速に進行し、生まれてくる子供の数が年間百万人を切つてしまつた。この事態にどう立ちむかへばよいのか……。
しなければならなかつたことは山のやうにあるのに、どれも出来ないままであつた――そんな反省ばかりがつのつてくるのである。
しかし、おそらく一番大切なことは、日本会議が何をなしとげたのか、ではなくて、日本会議があるといふ、そのこと自体であらう。この二十年間の日本に、もし日本会議が存在してゐなかつたとしたら、と想像すると、心の底からゾッとせざるをえない。そして、このやうに二十年間、日本会議が存続してきたかげには多くの方々の献身的なご努力といふものがある。それを思へば、うかんでくるのはただ感謝のみである。本当に有難うございます。
浜畑賢吉 俳優・大阪芸術大学教授
戦後の自虐史観を押し付けたのは占領軍でしたが、昭和二十四年小学校に入学した私たちは否応もなく信じさせられ、そのことに気付くまでにどれだけの年数を無駄にして来たことか。植民地からの搾取で繁栄していた欧米諸国に、その解放政策を旗印にしてしまったのですから、彼らが仕組んだ戦争に巻き込まれたのも仕方ないことでしょう。
真実、愛、自由、独立などなどの理想がすべて叶えられることなどほとんどないことを歴史が教えてくれています。「真実はいつかわかる!」などという夢を抱いている日本人ですが、嘘がまかり通るプロパガンダばかりの国々からは嘲笑されるだけでしょう。
そうして大東亜戦争との理想を掲げた我が国は、原爆を落とされ、大空襲などによって一般庶民が虐殺され、国破れての山河も残らない程徹底的に潰されました。「あの東洋の生意気な国民はもうこれで二度と立ち直れまい!」と、欧米人はほくそ笑んだことでしょう。
ところが、戦後七十余年ですっかり立ち直り、あの自虐史観で植え付けられた「日本の文化はすべてダメ!」という意識さえ乗り越えるまでになりました。
私たちのご先祖は生真面目で正義感も強かったからこそ、あの戦争に至ったのだと私は思っています。ではこれからの世代はどうしたらよいのか。それはもっとずるくなることです。日本が誇るべきものは沢山ありますが、能ある鷹にならなければいけません。軍備の問題でもそうです。まず「日本は戦争をしません!」と言うべきですが、もう一言、「戦争はさせません!」と付け加えることが大切かと思います。
私は日本という国も日本人も大好きです。平和で心豊かな国を保つためには強い国になることも大切なのではないでしょうか。
火箱芳文 第三十二代陸上幕僚長
日本会議が設立され二十周年の節目を迎えたこと誠におめでたい。設立以来「皇室」「憲法」「防衛」「教育」「英霊」「家族」等日本の基本問題を政府や国会へ提言する活動に対し心から敬意と感謝を申し上げたい。
戦後日本は米国の占領下で七年間処断的政策により、帝国の解体や非軍事化など厳しい破壊的・禁制的措置や内政の民主化改革を強いられた。この間国家として戦前とは異なる「力」・「価値」・「利益」の体系が作られ「親米・軽軍備・通商国家」の道を歩んできた。戦前にはない文化、価値観などが生まれ、それが歴史認識となり教育現場や社会の中に混乱が生じてきたのが約二十年ほど前だった。この時日本の良き伝統、歴史を取り戻そうとして立ち上がったのが日本会議だった。その運動は国民運動となり、教育基本法の改正、皇室の伝統を守る運動、高校の歴史教科書編纂事業へと結実し、憲法改正運動へとつながって来た。現在安倍総理が提案した自衛隊を憲法に明記するとの考えのもと、「ありがとう自衛隊」キャンペーンを全国的に展開しているが自衛官にとって力強い応援になっている。
憲法九条二項に「陸海空軍その他の戦力は保持しない」「国の交戦権は認めない」として軍備を否定したが、自然権としての自衛力は保持し得るとして憲法を改正することなく、自衛隊を作り、日米同盟のもと東西冷戦、その後の米国一極のポスト冷戦を乗り切って来た。ところが現在北朝鮮による核・弾道ミサイルの脅威、中国の台頭、ロシアの復活、国際テロの広がり等我が国を取り巻く安全保障環境は激変している。一方米国の相対的な力は後退している。新安保法制が成立し大きな一歩を踏み出したが、平時からグレーゾーン事態、海外活動等の分野で自衛隊運用上、軍隊でないが故の課題が依然残っている。憲法に自衛隊を軍として明記することがベストな選択だが、未だに自衛隊は憲法違反であるという国民も少なからずいる。「憲法違反の自衛隊」という心無い批判は自衛官の心に突き刺さっている。先ずは自衛隊を憲法に明記することだけでも士気は間違いなく上がる。日本会議での「ありがとう自衛隊」運動は続けていってほしい。
廣池幹堂 公益財団法人モラロジー研究所理事長
日本会議の設立二十周年を、心よりお祝い申し上げます。
「美しい日本の再建と誇りある国づくり」をめざす日本会議による国民運動は、これまでに数々の成果を挙げてきました。中でも設立当初からの大きな柱であった教育の正常化については、いよいよ今、小中学校における「道徳の教科化」が実現しようとしています。これは日本会議が先頭に立って国民の声を押し上げていった結果であり、献身してこられた同志の皆様に、あらためて敬意を表する次第です。
戦後七十二年を経た今、わが国は「明治維新」と「戦後の復興」に次ぐ大改革の時を迎えています。政治・経済・外交・教育をはじめとしたあらゆる面で、まさに日本国再建の正念場です。
昨今のわが国を取り巻く諸問題の根本原因はと言えば、やはり教育の問題に行き着きます。戦後のわが国では、個人の自由や権利ばかりを強調する憲法のもと、先人たちの偉大な歩みを否定する教育が行われてきました。これでは国民としての責任感など、育まれるはずもありません。何より自分と祖先を育んでくれた国を愛し、誇りを持ってみずからの義務を果たそうとする人間でなくて、国際社会において信用を得ることができるでしょうか。
国家百年の大計は教育にあります。日本の未来を開くには、国民一人ひとりが先人の魂を受け継いで正しい国家観・社会観・歴史観を育み、これを次代にもしっかりと伝えていかなければなりません。折しも今、内閣は憲法改正をはじめとした国家の根本問題に腰を据えて取り組もうとしています。わが国の歴史と伝統を尊び、感謝と報恩の精神をもって国家社会のために貢献していける責任ある国民の教育が、今ほど必要とされる時はありません。
今後も「日本の良心、日本の魂」として、国民一人ひとりの心に灯をともし、世界の国々から信頼と尊敬を受ける「道義国家日本」の再建に向けて、共々に努力してまいりましょう。(十月二十六日)
福冨健一 歴史資料収集家
日本会議設立二十周年を心から祝福します。国旗国歌法の制定、教育基本法の改正など日本を取り戻すため共に闘ってきたことを誇りに思うと同時に、感謝申し上げます。愈々憲法改正です。
戦後、日本同様に軍隊を禁止された西ドイツは、ナチスの反省から再軍備に当たり軍人を「制服を着た市民」と位置付けました。アメリカのウェストポイント(陸軍士官学校)は、生徒たちを「オフィサー アンド ジェントルマン」(Officer and Gentleman)と呼んでいます。この呼称は、映画『愛と青春の旅だち』の原題になっています。ウェストポイントの入り口には、倫理規定(Honor Code)の「嘘をつくな、騙すな、盗むな、このような行いをした者を許すな」を記したモニュメントがあります。道徳教育を避ける日本と正反対です。「オフィサー アンド ジェントルマン」という概念は、英国の軍隊を象徴する慣用句で、この概念に相応しくない行為は軍法会議で処罰されます。
英国では、連合将校養成隊(Combined Cadet Force)という制度で、子供たちに軍事訓練とジェントルマン教育を行っています。同様にアメリカでも、予備役将校訓練課程(ROTC)で多くの高校や大学で、軍事教練を受講できます。イギリスは中学から、アメリカは高校から各界リーダーたちの多くが軍事訓練を受講し、文人であると同時に武人となります。軍事教育を忌避する日本と違います。
さて、日本はどうすべきか。
憲法について、吉田茂は「直ちに改正の必要は認め難い」と、岸信介は「成立過程は変則的で幾多の問題があり改正する」と吉田は護憲論、岸は改憲論でした。
英米のジェントルマン教育、フランスの国家のインテリジェンスの総体としての憲法改正、世界が注視する中、日本の憲法改正をどう進めるべきか。
幸運にも我々は、未踏の憲法改正に向け、「改正のための方法論」と「改正すべき条項」に挑戦できる歴史の分水嶺に立っています。実現に向け共に尽力しましょう。
藤井厳喜 呉竹会代表幹事
日本会議は日本を真に愛する人々の組織であり、保守運動の最大の支柱である。憲法改正が具体的日程にのぼるに及び、日本会議の役割は益々重大である。
大東亜戦争敗北後の、被占領体制を一掃する日本の愛国者の戦いは、いよいよこれからが本番である。支那や朝鮮の反日諸国に勝利し、平和と繁栄のアジアを築くという、更に大きな目標もある。
日本会議と共に、この歴史的戦いに参加できることは大いなる名誉である。共に戦い、共に勝利を祝うべく、一層の努力の決意を新たにするものである。
藤島博文 日本画生
作品とは基本的に「色」と「形」と「精神」から成り立っており、これを例えば「憲法」の世界に当てはめて考える時、作品を日本国とした場合、憲法はこの色と形に当てはまるのではないでしょうか。その与えられた色と形を使ってどれだけ多くの人々の心に深く響く、精神的な作品が描けるか否か、即ち日本国という名作が描けるか凡作・駄作になるかでありましょう。
今まではその色が少々濁っており発色が悪かったり、構図や形が貧弱で乱れていたり…それではいかに崇高な精神があっても空回りであります。
私は時々外国へ出かけますが、帰国の時いつも思うのです。「日本国は、日本人はもっとしっかりしなければ」と…。そのことは私が長年学んできたこの国のすばらしい真の美の姿が少しも伝わっていないむなしさによるものです。そしてまた近隣の国々から下視される報道を聞くたび、一国民として自責の念に駆られると同時に「急がねば!急がねば」と心せかされるばかりです。
それは中国の大学等で私の伝える日本文化論や、映写する日本絵画美に驚くほどの興味を示し、嬉々として握手を求め来る学生さんの姿と、あの命をかけた総理の誠が届かぬ冷めた外交政治の世界との、あまりにも大な落差を思うからであります。
ですが、いくら日本文化美の宝を持っていようとも気付こうともせず、また平和病に慣らされた自虐の方々には自信を持って、自国文化をお伝えすることは出来ないものと思い、宝の持ち腐れとなることを惜しむのであります。
地球の東洋の、東尽きて東始まるこの列島は古来より世界中の美が集る宝庫でありました。花鳥風月の美には「一木一草宿神」の精神が宿り、繊細、可憐、優雅の美には「一隅照写」の精神と技術が宿り、わびさびと気宇壮大な美には「共生と和」の精神が宿り、そして崇敬と八百万・万物感謝の精神には「人智を越える」美が宿りました。
日本人のもつこの長遠な文化美を世界平和美へと連動させるためにも今こそ美しい発色の色と揺るぎない形を整えた憲法美を文章化し、内にあっては成熟国家として、その求心力とその民度を高めつつ、外にあっては品位ある国家として、その信頼を得ながら、いよいよ肥大化する欲望文化に備えたいものであります。
現在の果を見んと欲せば過去の因を見よ
未来の果を見んと欲せば現在の因を見よ
私も皆様方と共々に美しい未来の日本国という世界に愛される名作、名画を誕生させるため、一筆入魂をさせて頂きたいと、日々に心がけつつ日本画道精進に励んで参りたいと念じております。
ペマ・ギャルポ 政治学者
日本会議のこの二十年間における活躍は、日本国内のみならず世界的にも大きな関心を呼んでいる。会長はじめ関係者の方々に対し心から感謝と敬意を表したいと思います。国を護るということは物理的に軍隊によって護ることもあれば、条約など国際法によって護る方法もあることは承知の通りですが、私は何よりも強い国護りは国民の意思によるものであると信じます。
どのように強い軍隊を持っても何百件もの条約を結んでも相手にそれを尊重する意思がない限り、それこそ中国政府が南シナ海における国際仲裁裁判所の判決を紙くずであると言ったように、さほど効果がないのが今の世の中です。
そのような中において皇室を中心とする国体を護り、日本人の誇りと伝統を継承させるための、この二十年間の日本会議の働きが目覚ましい成果を上げたことは歴史が証明することでしょう。今後の活動に関し、強いていえば美しい日本語(国語)を護り、発展させることを願っています。
私の生まれたチベットをはじめ、多くの民族は国語を奪われています。過去の歴史を見ても物理的に占領され、経済が破綻しても母国語を大切にしている民族は必ず蘇っています。一方、母国語と民族の誇りを失った者は滅亡しています。昨今の言葉の乱れを助長するかのように某国営テレビが、カーリングの選手団が先輩に対し敬語を使わないことを称賛しているのがその一例です。またそれぞれの国の国語はその民族、自然環境などによって豊かな文化をもたらし、ある意味ではそれが世界共通の宝でもあると言えるでしょう。日本語にもそう簡単に外国語に訳せない日本の魂の真髄のような言霊があると私は感じています。
今後も日本国を外面内面の両面から護り続け、日本国の平和と繁栄、安全のみならず誇りと責任をもってアジアと世界の中において主役的な役割を果たすことを切に願うとともに、日本会議の益々の発展を心から祈念申し上げます。
保積秀胤 大和教団教主
日本会議は“誇りある国づくり”を提唱して二十年を迎えられました。その歩みは力強き国民運動となり、保守本流の絶大な足跡を残し、高く評価をされているものと信念しております。
先の国政選挙において、自由民主党の圧勝、保守とリベラルの色分けが明確になされたことは時宣を得たと観るものです。漸くに、自由民主党結党以来の党是である自主憲法制定に大きくその歩を進め得るものと希っております。現状の、和譲・謙譲の精神を持たぬ国々の圧力に、身を耐えるばかりではならぬと憂慮致すものです。外圧に屈従する多くの国々の為にも、我が国は誇りをもって立ち上がらねばと存念するものです。殊に国政を担う国会議員は、国民の生命と財産を守るために身を挺するが如く、更なる覚悟をもって頂きたいものと切に願うものです。
我が『大和教団』は、国家社会貢献の大事として、『皇居勤労奉仕』、『北朝鮮拉致者の救済』、『靖國神社国民皆参拝』の活動を展開して参りました。
また、私は事あるごとに訴えていることがございます。義務教育において、日本国憲法第一章「天皇」第一条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」を正しく解き学ぶことであり、全ての学校においての国旗掲揚と、国歌斉唱であります。憲法に定められている限り天皇皇后両陛下、御皇室を尊崇敬仰するのは国民の務めであり、国旗を掲げ、国歌を斉唱することは当然の義務です。国政を預かる議員の中には、天皇制を悪の根源とまで云い放った者がいると漏れ聞きますが、憲法違反ではと危惧するも、言論の自由という法の下で許されるごとには慨嘆するを禁じ得ません。さればこそ、日本会議の運動が必要であると断ずるものです。
我が国は私ども国民を、『おほみたから』として常に慈しみを垂れ下される天皇陛下を真中に仰ぐ幸せな国家、国民であることを、後世に伝えゆかねばならぬと、決意を新たに致すものです。
松浦光修 皇學館大学教授
内憂外患が深刻化し、その一方、憲法改正の曙光が見えつつある今、日本会議が設立されて二十年目の佳節を迎えることは、たぶん偶然ではないでしょう。そこには、それなりの「意味」があるのではないか、と私は考えています。
私は長年、わが国の思想史を学んできましたが、歴史には、もちろん政治、経済など、さまざまな側面での「転換点」があります。しかし、思想の転換点は、それらとは必ずしも一致しません。たとえば大正七年、新聞から「漢詩」の投稿欄が消えていますが、思想史的に見れば、そのあたりで「江戸時代が終わった」ともいえるわけです。それでは、そのあと日本には、どういう“時代”がおとずれたのでしょう? 一般の方々は別として、こと「知識人」の世界に限っていえば、祖国の歴史と伝統を軽んじ、欧米思想に拝跪する時代がおとずれたのです。以後、その“時代”は今もつづいているような気がします。残念ながら、いわゆる「保守派」も、その例外ではないでしょう。
「保守派」とはいいながら、その人柄から「敬神」の誠も「尊皇」の義も感じられない方々が、かなりいます。そのような方々は、実質は「国益派」なのでしょう。もちろん「国」への意識があるぶん、「国益派」は、ずいぶん「まともな方々」です。しかし、結局のところ、そういう方々も自らの心のうちに、祖国の伝統精神が、“生きていない”という点では、大正時代以来の多くの「知識人」たちと、さしてちがいません。
「国益」は大切です。しかし、守ろうとしている日本という「国」の本質を知らないまま、「国益」を守ろうとしても、それは、的を掲げずに矢を射るようなもの…ではないでしょうか。今後の日本人に求められるのは、「敬神」の誠と「尊皇」の義を、まず自らの心のうちに、“生きるもの”として、よみがえらせることではないか、と思います。それが、ひいては日本を、“日本人らしい日本人の生きる国”へ回帰させていくことにも、つながるはずです。
百年もの間、忘れられてきたものを、“思い出す”のは、容易なことではありません。しかし、このままなら日本は早晩、確実に「無機的な、からっぽな、ニュートラルな」国になってしまいます。
さて、それでは…もう百年もつづいている、この“時代”を終わらせ、新しい“時代”を呼び出す力を今、もっとも秘めている民間の団体とは、どこか?。日本会議ではないか…と、私は思っています。
松木國俊 朝鮮近現代史研究所所長
左翼リベラリストはなぜ憲法第九条の改正にこれほど反対するのでしょうか。彼らは根本的に日本人を蔑視しているのです。世界の中で日本人ほど好戦的で危険な民族はなく、第九条で手足をがんじがらめに縛っておかねば再び戦争を起すと考えているのでしょう。いやそれ以上に、世界平和のためには日本のような国はいっそ滅びた方が良いと思っているのかもしれません。左翼リベラリストは平和安全法制整備法案にもヒステリックに反対し、国旗国歌を否定し、万世一系の皇室の伝統を潰すために躍起となり、「男女共同参画」によって男女関係を敵対関係へと導き、国の最小構成単位である家庭を崩壊させようとしています。彼らの目的が最終的に日本という国を「亡ぼす」ことにあると考えればすべてのつじつまが合ってきます。左翼リベラリズムの主張は、日本人蔑視に由来する「亡国主義」なのです。
日本を愛する心ある人々が二十年前に日本会議に結集して「良識の砦」を築き、「亡国主義陣営」との戦いを続けて来ました。そして国旗国歌法の制定や教育基本法改正など、これまで着実に成果を挙げています。しかし「亡国主義」がはびこる原因となった、日本の歴史を貶める自虐教育は未だに続いています。自分の体には外国を侵略した汚い血が流れていると教わった子供がどうして人生の壁を乗り越える勇気を持てるでしょうか。日本の若者に日本の真実の歴史を教え、彼らに自信と誇りを持たせることこそ「亡国主義」を撲滅し、活力に満ちた平和で豊かな祖国日本を子供や孫の世代に残す道だと信じます。
喫緊の危機を乗り越えるためにもまず憲法第九条の改正をめざし、同時に国を亡ぼす自虐教育の是正に引き続き徹底して取り組まれますことを日本会議に心より期待しています。最後になりましたが、日本会議の一層の発展を祈念して、私のご挨拶とさせて頂きます。
元谷外志雄 アパグループ代表
日本会議が一九九七年五月に誕生して、二十年が経ちました。この間、我が国を取り巻く環境は大きく変化しました。中国が経済成長を遂げて経済大国となり、軍事大国化する一方、アメリカは世界の警察官の役割を放棄し、世界覇権の地位を降りようとしています。中国やロシアは独裁体制を固め、イギリスはEU離脱を決め、アメリカは自国第一主義を掲げるなど、国際社会は新帝国主義の様相を呈しています。さらに、北朝鮮が大陸間弾道ミサイルの高性能化を進め、水爆実験にも成功したと言われ、我が国に軍事的危機が迫っています。
かつては、政治家が憲法改正を議論することが憚られ、核兵器保有の議論を公の場で口にすれば首が飛ぶような状況でしたが、いよいよ憲法改正が現実味を帯び、核兵器保有についてもニュークリア・シェアリング協定を含め、現実的な議論ができるようになりました。
私が二〇〇八年に懸賞論文制度を創設し、その第一回の最優秀賞を当時現職航空幕僚長の田母神俊雄氏が受賞したことで大騒動となり、多くの国民がGHQによって植え付けられた自虐史観から覚醒することとなりました。さらに二〇一一年には勝兵塾を立ち上げ、これまで延べ一万六千人以上が参加し、正しい国家観や歴史観を広める啓蒙活動を続けてきました。一方、日本会議も二十年間に亘って、日本の伝統を守り、誤った戦後教育を改め、憲法改正を求める運動を続けてこられました。これまでの活動に対して私も強く共感し、支持してきました。
日本が真の独立国家となるためには、憲法を改正し、抑止力としての攻撃用兵器を持ち、自分たちの手で自分たちの国を護っていかなければなりません。そしてその前提として、祖国に誇りを持ち、愛国心を持てるよう、正しい歴史認識を広めていく必要があります。この日本会議が様々な保守勢力の連帯の場となり、憲法改正のための運動が一層広がっていくことを期待しています。
森敬惠 「日本の心歌い継ぐ会」代表
誠に時の流れ程速いものはありません。
日本会議二十周年と伺い、以前日本会議の皆様と共に様々な活動をしていた頃を思い出しました。日比谷公園でデモをし、警察隊と向かい合った事も懐かしく思い出されます。二十年の月日が瞬時に流れ去ったような気さえしますが、全く人生は超速いのだと感慨深いです。しかし一方、緊迫した今の日本の状況の中、「正に今からが勝負だ!腹帯を締め直せ」の現心境でもあります。
安倍首相の元、憲法改正を果たす時が目の前に来ているのですが、気掛かりな事が多々あります。保守の仲間と一緒にいる時は分からないのですが、一歩外へ出ると、見事な平和ボケ花が百花繚乱です。保守活動をしてきた我々と一般の人の大きな意識の差には唖然と致します。
一時はこのギャップをどのように埋めたら良いのだろうと悩む日々でした。宣伝CDを作成して全国行脚をしなければと真剣に思いました。しかし、背後に影を潜めている怪物の正体を思うと直接的な単独行動は、やり方・考え方を改めざるを得ませんでした。
最近、私は活躍目覚ましい日本会議の青年達や、他の若人達の力強い働きに心を動かされました。そして、彼らに思いを託す時期が来ていると感じるようになりました。若い人の力は素晴らしく、行動力は頼もしい限りです。私の人生も物凄い速さで流れ去るのだから、残りの人生は時間の使い方を見直して、全国行脚という行動は若人に任せて、私は日本の未来に向けて人創りの仕事を何とか軌道に乗せたいと思っております。
家庭も地域社会も国家も成功のカギは、それを構成する人によります。一人の立派な政治家が祖国日本を守り、国民を救えば、日本の未来は明るいものになるでしょう。将来の日本を託すのは今の子供達ですから、有能な人創りは、子供達から始めなければなりません。
その人創りの原点が、胎児期・乳幼児期の基盤創りにあるのだという事を特に広めなければならないと気が付きました。この時期の赤ちゃんは何も分からず、殆ど寝ていると思いがちですが、実は、全く逆でして、この時期の指導如何では天才的な優れた能力育成が出来ると分かりました。狼に育てられた赤ちゃんが狼になるくらいの時期です。
正しい教育法と愛情と手間をたっぷりかけた早期教育をしてあげると、その子は将来とても優秀な人になるのです。
大袈裟かもしれませんが、国家戦略的人創りが可能な時期なのです。
三歳位までは神秘的力が備わっているので身体能力・知的脳力・精神力等も導き方次第で卓越した能力を育成することが可能になります。私はこの仕事を「子供未来塾」と名付けました。
軌道に乗せるためにはまだまだ遠い道のりを越えねばなりませんが、一歩一歩、頑張っていこうと思います。
日本会議の皆様には日本国を守るという大切で大変なご苦労が伴うお仕事がこれからもあります。この仕事をやり続けて下さり、心より感謝申し上げます。何卒、皆様に神のご加護があり、健康を維持されて、益々活動に頑張って頂けます様心からお祈りしております。
森友幸照 作家
小生が貴会とご縁が出来ましたのは、小生が吉田松陰を研究しており、貴誌『日本の息吹』に執筆したことによります。
吉田松陰の思想形成は、中国古典の『孟子』に始まり、陽明学の“知行合一”に行きついたことにあります。そして、日本を改革するために松下村塾を開き、明治維新を実践する弟子の高杉晋作や久坂玄瑞たちを育て、自らは幕府権力の犠牲となり、志半ばで倒れました。しかし、その思想は弟子たちによって、まさに“知行合一”新日本の発足となりました。
歴史に学ぶことは、現代から将来に向けての勉強でもあることを、ここに強調して、この拙文を終わらせていただきます。
安本寿久 産経新聞特別記者編集委員
産経新聞で記者をしていますと、いろいろなところで日本会議とご縁ができるのですが、五年前に紙面(主に大阪本社発行分)で神話連載を始めてから、全国各地に講演で呼ばれることが増えました。今年の建国記念の日は鹿児島にお招きいただき、「神武天皇はたしかに存在した」というテーマでお話させていただきました。
各地で感じるのは、熱心に日本のあるべき姿を考え、その一環として自主的な憲法を持つべきだと考える方々の熱気です。鹿児島の会場では、自民党の保岡興治・憲法改正推進本部長(当時)が前方の席で熱心に聴いて下さった姿が印象的でした。後日、闘病のさなかであったことを知り、そのために今秋の衆院選で引退されたことで、憲法改正にかける情熱を見た思いがしました。
これも、どこの会場にも共通することですが、会の運営や聴講で多くの神職が関わっていることにも感心します。「今、自分がここにいることに感謝すること」から始まる日本の神道は、自分を生んでくれた親や先祖への感謝、先祖らを育んだ自然の恵みへの感謝、自然の恵みをもたらす国土への感謝とつながり、そうしたものを守る大切さに自然と理解が広がるものですから、日本会議の活動と重なるような共同歩調になるのもごく自然のことだと思います。
その神職の方たちにお願いがあります。講話の類をもっとされたらいかがでしょうか。神事や参拝の折などにもっと積極的に、僧侶に負けないようにお話をされたらいかがでしょうか。お話いただきたいのはもちろん、神話です。日本の中心となる皇室の起源や重要性を訴えるのに、格好の素材は神話です。この奥深さ、日本の歴史の尊さを知ることは必ず、日本独自の憲法が必要だという機運を高めます。戦後の遠慮を振り払って、積極的に発言されることを期待したいと思います。
山岡鉄秀 公益財団法人モラロジー研究所研究員
設立二十周年おめでとうございます。左派海外メディアから「日本会議ってものすごく保守的ですよね?」と言われたことがありますが、ものの見方が全く倒錯していると思います。戦後七十年、占領軍が制定した憲法を一字一句変えることができなかった日本で、憲法を改正し、自律的な国防を実現しようとすることを革命的革新と言わずしてなんと言うのでしょうか?
日本国憲法を平和憲法と呼ぶのは大変なミスリードですが、海外でもパシフィスト憲法と直訳されています。先の衆議院選挙で自民党が大勝したことを伝える海外メディアは、安倍首相は北朝鮮の脅威に対応するため、従来の「平和主義(Pacifist Stance)」から踏み出して、「自衛に限定して武器の使用が許される平和憲法(Pacifist Constitution)を改正し、大軍拡に走ろうとしている」などと報じました。大変な誤解と言わざるをえません。日本国憲法は、成立の経緯を観れば、明らかに「武装解除憲法」で、Disarmament Constitutionと訳されるべきですし、無理な憲法解釈を重ねながら、満足な自衛もままならないのが現状なのです。憲法改正は海外メディアが報じるように攻撃的能力を取得するためのものではなく、当たり前の防衛能力を取得するためのものです。政府も与党も、この認識のギャップを世界に説明する努力をしなくてはなりません。
そのような不安定な現状で危機の時代に突入した日本にあって、自衛隊の明記すら拒否する勢力とはいったいなんでしょうか? 占領軍によって日本を永遠に従属国に固定するために構築された敗戦レジームを墨守し、そこから一歩たりとも踏み出したくないという人々は、まさしく保守勢力であります。
一方、憲法を現実に合わせて改正し、国本来の伝統を大切にする心を取り戻す姿勢は、今の日本においては革新勢力と呼ぶほかはありません。それぐらい、日本人の価値観は敗戦を機に倒錯してしまったのです。目指すは弱肉強食のグローバル社会で自存自衛できる、独自の文化と伝統を誇る真の独立国家です。それは復古主義ではなく、現実的革新主義であり、日本会議は革新主義との自覚を持って頂きたいと思います。
横倉義武 日本医師連盟委員長
日本会議が設立され、本年で二十周年を迎えられましたことを心よりお慶び申し上げます。
戦後七十余年、我が国は焦土から、一度は奇跡とも言える復活を成し遂げました。しかし、その代償として、かつて先人が大切にしてきた伝統文化を軽んじてきたというところはないでしょうか。また、経済発展、成長というものが一時の絶対の価値でありましたが、それに限界を感じ、価値観の混乱に至っております。
一方、我々の業務、医療の世界に目を向けますと、先輩諸兄が国民皆保険制度を確立し世界一の長寿国を実現したのに対し、昨今、グローバリズム、規制改革の名のもとに世界一の医療制度を破壊するかのような提案が何度も出ては消える。そのようなことが続いております。
このような時代の中、長年にわたり、日本会議は「誇りある国づくり」をスローガンに、憲法、教育、防衛に関する諸課題に国民運動を展開されてこられました。
日本会議が、地道に、伝統・文化を尊重した新しい価値観の再生、創造に尽くされ、多くの人々の共感を得、我が国の国民を守り、世界の期待に備えるといった具体的成果を着実に挙げられておられることに心より敬意を表します。
国の繁栄と活力の基本は国民一人ひとりの心身の健康にあります。日本医師会は国民医療の担当者としての責務を全うすることにより日本会議が目差す「誇りある国づくり」に向けたお手伝いができるものと確信致しております。
日本会議の会員の皆様のご健勝と日本会議のさらなる発展をご祈念するのと同時に、「誇りある国づくり」の基礎となる、国民の健康を守るために全力を尽くすことをお約束し、ご挨拶とさせていただきます。
吉田好克 宮崎大学地域資源創成学部准教授
五月に安倍晋三首相が改憲について触れ、九条をそのまま残し、自衛隊を明記した条項を付け加へたらどうかとの提言を行つた。私は驚倒し、かつ落胆した。しかし、もつと驚いたことに、日本会議と縁の深い方々や指導層とも言へる保守系知識人の多くが、安倍首相の発言を「現実的」なものとして容認する判断を様々な媒体で披露したのだ。東京で起きてゐることに疎い私はキツネにつままれたかのやうに感じた。さうではないか。九条のあの所謂第二項を残して自衛隊を明記する「加憲」に何の意味があるのか。むしろ「自衛隊は戦力ではないのか」「そもそも交戦権がないのだから、自衛隊は無用の長物である」といふ不毛な議論の種を護憲派に与へることになり、自衛隊を「矛盾の存在」として固定化してしまふことになるのではないか。容認論を色々と読んだが、今以て私は納得できない。
安倍首相の「政治とは結果だ。評論家、学者ではない。立派なことを言ふことに安住の地を求めてはいけない」といふ言葉に、諸家は深く感じ入つたのであらうか。私は「政治は結果」といふ言葉は理解するが、しかし、九条第二項を削除した上で、名実共に自衛隊を明記しようとする主張が「立派なことを言ふことに安住」することであるとは全く考へない。むしろ逆ではなからうか。
私は一昨年あたりから、宮崎県内で日本会議宮崎や県神社庁の協力を得つつ、「九条二項は存在してはならない」といふ講演を三十数回行つた者である。公開討論会でも登壇した。護憲派左翼の跋扈する大学の教員といふ立場からすれば、「安住」どころではなく、多少の「危険」はあつたし、今もある。だが、講演会後のアンケートによれば、圧倒的多数の人々が改憲の必要性を理解するし、確信もするのだ。護憲派から「転向」した人も少なくない。
日本会議が(勿論自民党も)今後行ふべきは、真の改憲への啓発を全国津々浦々で倦まず弛まず行ふことなのではなからうか。諦めるのはまだ早いのである。