靖国神社参拝と“A級戦犯”の合祀
日本会議 > オピニオン > 靖国 > 靖国神社参拝と“A級戦犯”の合祀

靖国神社参拝と“A級戦犯”の合祀

靖国神社参拝と“A級戦犯”の合祀

靖国

平成19年8月
大原康男(国学院大学教授)

問題の発端

(1)戦後の歴代首相のうち、吉田茂(5回)、岸信介(2回)、池田勇人(5回)、佐藤栄作(11回)、田中角栄(5回)まではすべて公式参拝で、この四半世紀の間は、内外ともに何ら問題とされなかった。昭和50年、三木武夫首相になって初めて「私的参拝」と言い出し、主として憲法問題から公式か私的かの論議が紛糾、中曽根康弘首相が「閣僚の靖国神社の参拝問題に関する懇談会」の答申を経て、参拝合憲の結論を出す。(資料①)

(2)昭和60年8月15日、中曽根首相が三木首相以来10年間途絶えていた靖国神社に対する公式参拝を行なったところ、同年9月20日、中国外務省が同神社に“A級戦犯”が合祀されているとして「我が国人民の感情を傷つけた」と抗議。(資料②)

以後、中曽根首相は参拝を取り止め、竹下・宇野・海部・宮澤・細川・羽田・村山各首相もこれに倣う。平成8年7月27日、橋本龍太郎首相が11年ぶりに靖国神社に参拝(公私を明らかにせず)、再び中国の抗議を受け、予定していた秋の参拝を中止する。続く、小渕・森首相も参拝せず今日に至る。

いわゆる「A級戦犯」合祀の経緯

(1)占領終了後、靖国神社合祀の迅速化を求める戦没者の遺族の要望に応えるために、昭和31年4月19日、遺族援護行政を所管する厚生省引揚援護局長は「靖国神社合祀事務に関する協力について」と題する通知を発し、都道府県に対して合祀事務に協力するよう指示。(資料③)

それは、祭神の選考は厚生省・都道府県が行ない、祭神の合祀は靖国神社が行なうという官民一体の共同作業で、祭神選考は「戦傷病者戦没者遺族等援護法」と「恩給法」に原則的に依拠している。そして、先の大戦が総力戦であったことで法の適用対象が拡大し、それによって祭神の範囲も拡大。例えば、徴用された船舶の乗組員・警防団員・国民義勇隊員など。

(2)一方、昭和27年4月28日に発効した対日講和条約第11条(資料④)によって、それ以後も引き続いて服役しなければならない1224名の「戦犯」に国民の同情が集まり、その早期釈放を求める一大国民運動が同年7月から起こる。(最終的には約4000万人の署名が集まる。)

(3)この国民世論を背景にして、国会で昭和28年8月から「戦傷病者戦没者遺族等援護法」および「恩給法」の改正が重ねられ、「戦犯」の遺族も戦没者の遺族と同様に遺族年金・弔意金・扶助料などが支給され、さらに受刑者本人に対する恩給も支給されるようになる。(資料⑤)

そこにはA級とB・C級の区別はなく、また、国内法の犯罪者とはみなさず、恩給権の消滅や選挙権・被選挙権の剥奪もない。(刑死者は「法務死」と呼称)(資料⑥)

(4)こうして「戦犯」関係にも「戦傷病者戦没者遺族等援護法」と「恩給法」が適用されたことで、靖国神社の祭神選考の対象となり、昭和34年3月10日付「日本国との平和条約第11条関係合祀者祭神名票送付について」(引揚援護局長通知)によって送付された祭神名票に基づいて最初の「戦犯」合祀がなされた。

「A級戦犯」14人については、昭和41年2月8日付「靖国神社未合祀戦争裁判関係死没者に関する祭神名票について」(引揚援護局調査課長通知)によって祭神名票が送付され、昭和46年の崇敬者総代会で了承、昭和53年秋季例大祭前日の霊璽奉安祭で合祀される。

一般に知られたのは翌54年4月19日の新聞報道だが、太平正芳首相は従前通り参拝。(資料⑦)

政府・自民党の対応

(1)以上の経緯から明らかなように、靖国神社への「A級戦犯」合祀は、講和条約発効直後から起こった。「戦犯」釈放運動に端を発する国民世論を背景にして、国会での法改正に基づくものであって、靖国神社の恣意によって行われたものではない。また、厚生省・都道府県による合祀への協力も日中国交正常化より16年も前から厚生行政の一環として行なってきた、あくまでも我が国の純然たる国内問題であるにもかかわらず、そうした事実を十分に調査することなく、政府・自民党は中国の内政不干渉的要求に屈服、さらには合祀の取り下げ、分祀まで計画するに至る。(資料⑧、⑨)

なお、分祀論は平成11年になって野中広務官房長官の発言を契機に再燃。(資料⑩)

(2)他方、毎年、日本武道館で営まれる「全国戦没者追悼式」の対象は空襲の犠牲者や終戦時の民間人自決者などをも含むすべての戦争死没者であって(靖国神社の祭神より広い)、その中には「戦犯」も含まれているが(遺族が招待されている)、歴代の首相は主催者として参列し、追悼の意を表してきたという事実がある。

(3)また、政府・自民党の中には、「A級戦犯」合祀は「極東国際軍事裁判」を受諾した対日講和条約に抵触するかのような言説を述べる者がいるが、(資料⑪、⑫、⑬)この「裁判」に当たる英語の原文はJudgmentであり、本来は「判決」と翻訳すべきものであって、その趣旨は条約発効後も判決の効力を維持し、赦免・減刑・仮出獄などについては、連合国の同意を得て行なわなければならないということ以上のまたそれ以下ものではなく、「戦犯」合祀問題とは何の関係もない。(資料⑭)

もしも「A級戦犯」合祀が講和条約に抵触するならば、出獄して外相となった重光葵、同じく法相となった賀屋興宣両氏の復権も問題となろう。

中華人民共和国政府はサンフランシスコ講和会議に招請されておらず、従って出席も調印もしていないから、本条約を楯に取って権利を主張することはできない。もちろん、日中平和友好条約にも「戦犯」条項は存在しない。

中国側の反応の問題点

(1)「A級戦犯」合祀が明らかになった直後の大平首相の参拝の際には何らの意志表示もせず、6年後の中曽根首相になって初めて抗議したことの不可解さ。いや、中曽根首相は公式参拝だったが、大平首相は私的参拝にとどまったと強弁するならば、公式参拝を名言しなかった橋本首相の参拝になぜ反対したのか。

(2)中曽根首相参拝当時の章曙日中国大使は、「A級戦犯」問題さえ処理できれば、ことは解決すると述べたが、(資料⑮)それは参拝直後の「人民日報」がB・C級を含むすべての「戦犯」に言及したこと(資料⑯)と矛盾する。平成11年11月12日付中国官営英字紙「チャイナ・デイリー」が同旨の見解を述べたことによって、中国が「A級戦犯」だけを問題にしているのではないことが改めて判明。(資料⑰)

(3)日本国内で日本の首相が靖国参拝することが「中国人民の感情を傷つけた」というが、中台統一の橋渡しのために、中国の指導者が新台湾派の重鎮である岸信介元首相(A級戦犯で拘禁)を「友人として」招待しようとしたのは「中国人民の感情を傷つける」ことにはならないのか。(資料⑱)

(4)訪中した日本の国会議員が「死者をムチ打たず、墓を暴かず」という日本の伝統を紹介したことに対して、中国の要人は「役に立たない風俗習慣には従わない方がよい」と答えたが、これは他国の文化に対する不当な干渉ではないか。(資料⑲)

その他の参考とすべき事実

(1)1985年のボンサミットに出席した米国のレーガン大統領がビットブルグの旧独軍将兵らの墓に詣でた際、そこにナチス親衛隊兵士も埋葬されていることが分かって、ユダヤ系米国民などから激しく反発されたが、同行したコール首相の参詣には何の抗議もなかった。日本の首相の靖国参拝もこれと同じことではないか。(資料⑳)

(2)「A級戦犯」合祀が明らかになってからも外国要人・外交官・駐在武官・軍隊などの靖国参拝は少なからずある。それらの国々は、インドネシア・スリランカ・タイ・インド・ドイツ・スイス・フィンランド・ポーランド・ルーマニア・リトアニア・スロベニア・ロシア・エジプト・イスラエル・トルコ・アメリカ・チリ・ブラジル・オーストラリア等々、全世界にまたがっており、これを見ても靖国神社に敵意を抱いている国がごく限られていることは明らかである。

結語

(1)以上、述べてきたように、靖国神社への「A級戦犯」の合祀は、国民の代表である国会での「戦傷病者戦没者遺族等援護法」と「恩給法」の改正の趣旨に沿って、厚生省・都道府県と靖国神社が共同して行なった戦没者合祀作業の一例にすぎない。政府レベルで言えば、厚生行政の一環として位置づけられる。

(2)同時に、それは日中国交正常化以前から続けられてきた純然たる国内問題であって、外国から干渉を受ける筋合いのものでは決してない。にもかかわらず、当時の政府・自民党の不見識から誤って外交問題にされてしまった。しかも、最も執拗に反対している中国政府の主張には矛盾やご都合主義のものが少なくない。

(3)よって、本件に関する正しい事実をあらためて認識した上で、あくまでも国内問題であるという原点に立ち戻って、毅然とした態度でことを処するべきである。

《参考資料》

資料①歴代首相の靖国神社参拝

東久邇宮稔彦王(1回)、幣原喜重郎(2回)、吉田茂(5回)、岸信介(2回)、池田勇人(5回)、佐藤栄作(11回)、田中角栄(5回)、三木武夫(3回)、福田赳夫(4回)、太平正芳(3回)、鈴木善幸(8回)、中曽根康弘(10回)、橋本龍太郎(1回)

資料②中国外務省談話

「A級戦犯もまつる靖国神社への日本内閣構成員の公式参拝については、日本政府にわが国の立場を伝え、同時に行事を慎重にするよう要求した。・・・わが国のこの友好的な勧告にもかかわらず、公式参拝が行われ、わが国人民の感情を傷つけた」

資料③靖国神社合祀事務に対する協力について(昭和31年4月19日 援発3025号引揚援護局長通知)

標記について、別冊「靖国神社合祀事務協力要項」及び「昭和31年度における旧陸軍関係靖国神社合祀事務に協力するための都道府県事務要項」により処理せられたく通知いたします。(別冊省略)

資料④対日講和条約第11条

日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告の外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限[赦免し、減刑し、及び仮出獄させる]は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基づく場合の外、行使することができない。

資料⑤堤ツルヨ衆院議員の発言(昭和28年7月9日 衆院厚生委員会)

「処刑されないで判決を受けて服役中の留守家族は、留守家族の対象になって保護されておるのに(注 既に成立している未帰還者留守家族援護法の適用を受けているの意)」、早く殺されたがために、国家の補償を留守家族が受けられない。しかもその英霊は靖国神社の中にさえ入れてもらえないというようなことを今日の遺族は非常に嘆いておられます。・・・遺族援護法の改正された中に、当然戦犯処刑、獄死された方々の遺族が扱われるのが当然であると思います。」

資料⑥連合国の軍事裁判により刑を処せられた者の国内法上の取り扱いについて(昭和27年5月1日)

「さきに昭和25年7月8日附をもって『人の資格(任命若しくは就職又は罷免若しくは失職等にかかる条件又は許可、認可、登録若しくはその取消又は業務の停止等にかかる条件を含む)に関する法令の適用については、軍事裁判により刑に処せられた者は、日本の裁判所においてその刑に相当する刑に処せられた者と同様に扱うべきものとする』旨の解釈を参考のため御通知したが、この解釈は、もともと総司令部当局の要請に基づいたものであり、平和条約の効力の発生とともに撤回されたものとするのが相当と思料するので、この旨御了承の上、貴部内閣関係機関にも徹底せしめられたい」

恩給法
第9条「恩給権の消滅事由」①年金タル恩給ヲ受クルノ権利有スル者左ノ各号ノ1,2ニ該当スルトキハ其ノ権利消滅ス
1、死亡シタルトキ
2、死刑又ハ無期若ハ3年ヲ超ユル懲役若ハ禁錮ノ刑ニ処セラレタルトキ

公職選挙法(選挙権及び被選挙権を有しない者)
第11条 ①次に掲げる者は、選挙権及び被選挙権を有しない
1、禁治産者
2、禁錮以上の刑に処せられその執行を終わるまでの者
3、禁錮以上の刑に処せられその執行を受けることがなくなるまでの者(刑の執行猶予中を除く。)

資料⑦大平正芳首相の見解

「人がどう見るか、私の気持ちで行くのだから批判はその人に任せる」(記者団に対して)「A級戦犯あるいは大東亜戦争というものに対する審判は歴史がいたすであろうというように私は考えています。」(昭和54年6月5日 参院内閣委員会)

資料⑧日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約(昭和53年8月12日)

第3条
両締約国は、善隣友好の精神に基づき、かつ、平等及び互恵並びに内政に関する相互不干渉の原則に従い、両国間の経済関係及び文化関係の一層の発展並びに両国民の交流の促進のために努力する。

資料⑨中曽根康弘首相の見解

「この参拝が中国の内部の権力闘争に援用され、特定政治家の失脚につながる危険があるという情報を聞き、日中友好を維持するために参拝は行わなかった」(平成4年8月14日 読売)

「現中国政府が必ずしも磐石の体制ではなく、自分として中国政府の立場を危うくする様なことは何としても避けねばならないという判断で、万やむを得ず取り止めたのだ。・・・我が国にとって最大の脅威はソ連であって、我が国の平和を確保するためには何としてでもソ連を封じ込めておかねばならない。そのためには中国が1枚岩で安定していることが絶対条件で、鄧小平体制を危うくすることはどうしてもしてはならないとの考えで、敢えて中止に踏み切った」(平沼赳夫『国を憂いて』)

資料⑩野中広務官房長官の発言(平成11年8月6日 読売)

「A級戦犯を分祀し、(あるいは)靖国が宗教法人格を外して純粋な特殊法人として国家の犠牲になった人々を国家の責任においてお祀りし、国民全体が慰霊を行い、各国首脳に献花してもらえる環境を作るべきではないか」

資料⑪桜内義雄衆院議員の発言

「日本国際貿易促進協会訪中団の団長として中国を訪れていた桜内義雄衆院議員(前外相)は、4日、呉学謙中国外相と北京で会談したあと記者会見し、靖国神社へのA級戦犯合祀は、戦犯を認めたサンフランシスコ平和条約第11条からみて問題があるとの見解を示した。・・・桜内氏は靖国神社公式参拝が日中間の問題になった遠因について、日本遺族会が7年前に目立たない形で戦犯合祀をしたことを挙げ、戦犯合祀が当時表立って行われていれば、平和条約11条を指摘する政治家がいて、合祀は行われなかっただろうとの考えを述べた」

資料⑫後藤田正晴官房長官の答弁(昭和61年8月19日 衆院内閣委員会)

「対戦中のわが国の行為が侵略であるという厳しい国際批判があるのは事実であり、政府としてはこうした事実を認識する必要がある。東京裁判についてはいろいろな意見があるが、日本政府はサンフランシスコ講和条約で、東京裁判の結果を受諾している」

資料⑬中曽根首相の答弁(昭和61年9月18日 衆院内閣委員会)

「極東国際軍事裁判については、我が国は過去においてアジアの国々を中心とする多数の人々に多大な苦痛と損害を与えたことを深く自覚し、このようなことを二度と繰り返してはならないとの反省と決意の上に立って、平和国家としての道を今歩んでおるわけであります。そして、先ほど申し上げましたように、サンフランシスコ平和条約第11条によって極東国際軍事裁判所の裁判を受諾しております」

資料⑭西村熊雄外務省条約局長の答弁(昭和26年10月17日 衆院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会)

「第11条は戦犯に関する規定であります。戦犯に関しましては、平和条約に特別の規定を置かない限り、平和条約の効力発生と同時に、戦犯に対する判決は将来に向かって効力を失い、裁判がまだ終わっていない者は釈放しなければならないというのが国際法の原則であります。従って、11条はそういう当然の結果にならないために置かれたものでございまして、第1段におきまして、日本国は極東軍事裁判所その他連合国の軍事裁判所によってなした判決を受諾するということになっております」

資料⑮章曙駐日中国大使の発言(昭和60年12月27日 日本記者クラブでの講演)

「A級戦犯合祀との関連でかつての戦争をいかに正しく認識し、アジア諸国の人民の感情を傷つけないようにするか。この問題さえ解決されるなら(靖国問題の)解決策を見いだすことは決して難しくない」

資料⑯「人民日報」の記事(昭和60年8月15日)

「靖国神社は、これまでの侵略戦争における東條英機を含む1000人以上の(戦争)犯罪人を祀っているのだから、政府の公職にある者が参拝することは、日本軍国主義による侵略戦争の害を深く受けたアジアの近隣各国と日本人民の感情を傷つけるものだ」

資料⑰「チャイナ・デイリー」の記事(平成11年11月12日)

「靖国神社は、普通の宗教的な場所ではない。そこには260万人の日本軍兵士にまざって、悪名高き東條英機を含む1000人以上のA級およびB級戦犯が祀られているからだ」

資料⑱伊藤潔「東南アジアに残留の『戦犯』にも目を向けよう」(「亜細亜大学アジア研究所所報」第41号)

「『戦犯』に対する外国の対応には大きな開きがある。先年、中国の指導者が『(A級戦犯容疑者・元首相)岸信介先生を新たな友人として中国訪問に招待したい』と表明したが、岸元首相の都合で実現しなかったことは関係者の知るところである」

資料⑲「東京新聞」の記事(昭和60年9月17日)

同記事によれば、自民党田中派の国会議員団と会見した彭真中国人民大会委員長に対し、訪中団の長田裕二団長が、“A級戦犯”合祀問題について「過去の悪を忘れるわけではないが、日本には『死者をムチ打たず、墓を暴かず』という考えも定着している」と述べ、平安時代に反乱を起こした平将門が「死後は関東一円の神社に祀られ、民衆に親しまれている」という例を挙げたところ、彭真氏は「日本の風俗習慣もあろうが、役に立たない場合は従わない方がよい。小異を残して大同につくべきだ」と答えた

資料⑳「朝日新聞」の記事(昭和60年5月6日)

「サミット(主要先進国首脳会議)出席後、西独を公式訪問中のレーガン大統領は5日、コール首相西独首相とともに、ルクセンブルグとの国境沿いの町、ビットブルグにある旧独軍将兵らの墓にもうで、眠る将兵たちに花輪を捧げ、霊を慰めた。ここに埋葬されている約2000人の将兵らの中にナチス親衛隊(SS)隊員48名が含まれていることが分かり、ユダヤ系米国人などが激しく反発、一時は訪問取り止め寸前に追い込まれるなど、レーガン政権は苦境に立たれた。
しかし、この日ビットブルグ訪問に先立って行われたユダヤ人虐殺の強制収容所ベルゲン・ベルゼン訪問と合わせ、ドイツ降伏40周年に当たって、レーガン大統領の『ドイツとの和解』の象徴的政治行事が決行されたわけである」

このページの先頭へ

Copyright © Japan Conference. All rights Reserved.