[日韓問題] 韓国・朝鮮統治は反省・謝罪の対象なのか
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[日韓問題] 韓国・朝鮮統治は反省・謝罪の対象なのか

[日韓問題] 韓国・朝鮮統治は反省・謝罪の対象なのか

外交歴史

日本政府は「韓国統治は合法であった」との政府見解を貫くべき

平成22年7月30日

我が国は戦後、サンフランシスコ講和条約とその関連条約等において戦後補償問題に誠実に取り組み、決着をつけた上で諸外国との国交を回復し、国際社会において名誉ある地位を築いてきた。にもかかわらず、菅民主党政権は、戦後補償問題を蒸し返すかのような発言を繰り返している。

仙谷官房長官は平成22年7月7日、昭和40年(1965年)の日韓請求権協定の個人請求権について「法律的に正当性があるといってそれだけでいいのか、物事が済むのか」と、政府レベルで新たに個人補償を行うべきとの認識を示した。

更に仙谷官房長官は16日、日韓併合百年に関連し、「何らかの見解を示すことが必要かどうか、やるとすればどのようなものか、私の頭の中に入っているし、内閣官房で多少イメージしている」として、菅首相による「談話」の発表を検討していることを記者会見で明らかにした。岡田外相も16日午後の記者会見で、「日韓併合百年という区切りの年に、政府としてどう対応するか検討している」と発言した。

しかし、果して韓国統治は「お詫び」の対象なのだろうか。これまでの日本政府の「見解」を振りかえると、決してそのようには考えてこなかったことが判る。そこで平成8年に発表された論文を一部修正し、掲載することにする。
(日本会議事務局)
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日本政府は「韓国統治は合法であった」との政府見解を貫くべきだ

韓国・朝鮮統治は反省・謝罪の対象なのか

韓国も北朝鮮も、日本が朝鮮半島に対して行った植民地支配は土地、財産のみならず文化、言語、名前さえ奪う「世界に類例のない悪質な植民地支配」であったとしている。
しかし、こうした主張は、全くの誤りである。日本の韓国・朝鮮(以下、一括して「韓国」とする)統治は内容的にも法律的根拠においても、正当なものであった。
そこで以下、日本の韓国統治の実態を明示したい。

●韓国統治に対する日本政府の立場

明治維新以来、日韓併合に至るまで、日本と韓国との間には、国交を樹立した「日朝修好条規」(明治九年)に始まり、日露開戦に当たっての韓国側の受入れ態勢に関する「日韓議定書」(明治三十七年二月二十七日調印)、日本人財政顧問の招聘などを定めた「第一次日韓協約」(明治三十七年八月締結)、韓国の外交権を一時日本が掌握することを定めた「第二次日韓協約」(明治三十八年十一月十七日締結)、日本の指導の下に韓国は内政改善に取り組むことを定めた「第三次日韓協約」(明治四十年七月二十四日締結)などの諸条約・諸協定が締結された。

明治四十三年八月二十二日の「日韓併合ニ関スル条約」によって、韓国は日本の統治下に入ることとなった。

かくして始まった韓国統治に対して我が国は戦後、いかなる立場をとってきたのであろうか。

サンフランシスコ講和条約締結(昭和二十六年)に関連して、我が国の立場を明らかにするために外務省条約局が作成した一連の文書の一つである『平和問題に関する基本的立場』にその回答が示されている。同文書は、我が国の韓国統治に関して、国際法上も統治内容自体も問題がないとの注目すべき二つの指摘を行なっている。

第一点、韓国統治の内容に関する評価に関しては次のように記す。
「先ず指摘したい点は、日本のこれらの地域に対する施政が決して世にいう植民地に対する搾取政治と目されるべきものではなかったことである。逆にこれらの地域は日本の領有となった当時はどれも最も未開発な地域であって、各地域の経済的、社会的、文化的の向上と近代化は専ら日本の貢献によるものであった。そして日本がこれらの地域を開発するに当っては、年々国庫から各地域の予算に対し多額の補助金を与え、また現地人に蓄積資本のない関係上、多額の公債及び社債を累次内地で募集して資金を注入し、更に沢山の内地会社が、自分の施設を現地に設けたものであった。一言にしていうと、日本の統治は『持ち出し』になっていたといえるのである。」

●日本の韓国統治と欧米の植民地支配は違う

この一節に指摘されている、日本の韓国統治は欧米諸国が行なって来た、いわゆる「植民地支配」と同列に論じられるべきものではない、との認識は、以下のことからも実証することができる。

イ、欧米は植民地の民衆に対する教育には力を入れなかったが、これに対して日本は韓国内に初等学校を四千九百四十五校(併合前の四十二倍)設け、就学率は約六〇%までに達した。さらに、欧米は植民地の自治能力を高める意志がなく、国家を運営するのに不可欠の中高等教育を受けた各種人材の育成を怠ったのに対して、日本は京城帝国大学の創設をはじめ、中等以上の教育制度の確立に多大な力を注ぎ、各種の学校を四百七十校建設した。これは併合当時の約二十倍である。

ロ、欧米は原住民の食糧である米よりもコーヒー、胡椒等の商品作物栽培に力を入れて農村を疲弊させ飢餓をもたらしたが、日本は貧弱な韓国経済を豊かにするための韓国農産物輸出の振興、農民の生活安定のための農村振興運動に取り組み、韓国農業を発展させた。また、それまで濫伐や焼畑農耕によって荒廃していた韓国山野を蘇らせるため、日本は統治の開始と共に韓国各地で砂防林、水源涵養林を造成したのである。

ハ、欧米は植民地に対して苛酷な徴税を行なって膨大な資金を吸い上げ、本国の経済を発展させた。一方日本は、個人の所得には課税せず法人のみから徴収した所得税、そして日本からの毎年一千万円から千九百万円に及ぶ補充金などを基にして、韓国の教育・インフラなどの整備に取り組み、国民生活を発展させた。

ニ、欧米は本国の利益を守るために植民地の地場産業を崩壊させたが、日本は、韓国において新たに産業を起こし、また在来の産業に対しては補助奨励政策をとった。この結果、日本統治下において韓国は工業製品の生産額が十六倍に達し、また工業の種類も当初は軽工業中心であったのが一変して重化学工業が生産額の過半数を超えるまでになった。

ホ、欧米諸国は民族精神の核となる原住民の王の追放や民族宗教、民族言語を抑圧する政策をとってきた。一方、日本は、旧韓国皇帝一族を日本の皇族の一員として礼遇し、韓国語も普通教育機関で必須科目として教えた。(日本のカナにあたるハングル文字の文法を編纂して教科書として普及させている。)昭和十三年三月から、韓国語は付設科目に移されたが、ほとんどの学校で韓国語の授業は継続して行われた。宗教政策においても、日本は韓国における諸宗教・諸宗派に対して尊重の立場を守り、中立の立場を貫いた。

●合法的であった日韓合併

第二点、韓国統治は合法的な法律的根拠があったという点に関しては、先の外務省文書はこう述べている。
「カイロ宣言とヤルタ協定は、日本からはく奪される領土は日本が『盗取』し、または『暴力と貪欲』若しくは『背信的攻撃』によって略取したものであるようにいっておる。われわれは台湾及び樺太の取得、朝鮮の併合または南洋群島の委任統治受諾に対しかような犯罪的非難を加えられることに対し反対せざるをえない。日本はそのどの場合にも当時の国際法及び慣行に厳に準拠して行動したのであって、日本の措置はすべて列国の承認するところであった。」
この考えは、以後も日本政府の立場として継承されてきた。

昭和四十(一九六五)年六月二十二日に締結された「日韓基本条約」第二条には「一九一〇年八月二十二日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される。」と記されている。この条文の意味するところは、日韓併合条約は正当なる法律的根拠に基づいたものであり、それが日韓基本条約によって効力を無くしたということであった。

当時の佐藤首相が、昭和四十(一九六五)年十一月十九日の参議院本会議において、「旧条約の問題に触れられましたが、これは私が申し上げるまでもなく、当時、大日本帝国と大韓帝国との間に条約が結ばれたのであります。これがいろいろな誤解を受けているようでありますが、条約であります限りにおいて、これは両者の完全な意思、平等の立場において締結されたことは、私の申し上げるまでもございません。したがいまして、これらの条約はそれぞれ効力を発生してまいったのであります。」との認識を示し、合法的法律根拠があったことを確認している。

これ以降、次に紹介するごとく日本政府はかかる法理を堅持して今日に至っている。

イ、平成元(一九八九)年三月二十八日の参議院外務委員会での政府答弁
共産党の吉岡吉典議員が「日韓国会、一九六五年ですが、朝鮮併合条約は対等の立場で、また自由な意思で締結された条約だと、こういう答弁がありますけれども、こういう答弁も変わっているわけではありませんね」と質問したのに対して当時の外務省アジア局長は「そのとおりでございます」と答弁している。

ロ、平成三(一九九一)年三月に開かれた第二回日朝国交正常化交渉
日本政府側の中平団長は「日韓併合条約、その他の(植民地時代の)条約・協定は合法的に締結、実施された」と発言している。

ハ、平成五(一九九三)年三月二十三日参議院予算委員会での政府答弁
社会党の本岡昭次議員が保護条約無効説について政府の見解を求めたところ、外務省の丹波実条約局長は、「外務大臣や公使は全権委任状がなくても条約を締結することができる。批准条項がない条約については批准を必要としない。したがって無効論は成り立たない」と答弁している。

以上が、日本政府の立場である。

●日本政府はこれまでの政府見解を貫け

こうした明治から平成まで積み重ねられてきた日本政府の歴史的立場に真っ向から対峙してきたのが、社会党(現在の社民党や民主党の一部)、共産党や北朝鮮シンパの学者たちである。

例えば、和田春樹・東大教授は『提言・日本の朝鮮政策』(岩波ブックレット一二九)において、「日本側は植民地支配は条約にもとづく合法的なものであり、謝罪も補償も必要ないとしたのです。……日本が朝鮮を植民地したという事実を、反省の前提として明示することが回避されているのです。日韓条約第二条の解釈は改められていないからです。」と指摘し、これまでの政府見解をくつがえすべきだと主張している。

実はこの考え方は、韓国や北朝鮮の見解でもある。

韓国側は、日韓基本条約第二条で日韓併合条約の無効が確認されたのは「そもそも日韓併合条約が当初から無効であったからだ」という解釈、換言すれば「日韓併合条約は非合法な条約であった」と従来から主張してきているからである。

更に言えば韓国統治について「暴力および欲望により日本国が略取」し、「奴隷状態」においたとみなした「カイロ宣言」(昭和十八年十一月二十七日)における英米中三国の見解と同じである。

確かに、現在の民族自立を尊重する価値観からすれば、韓国統治は遺憾であったといえる。しかし、「日本の韓国統治は欧米の植民地支配と同列に論じられるべきものではない」し、国際法上も「日韓併合条約は合法であり、日本の韓国統治には正当な法律的根拠がある」という立場をこれまで日本政府は貫いてきた。

韓国・北朝鮮に関する歴史認識は、この政府見解を抜きに論じることはできないはずである。

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