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日本を語る
追悼
 日本サッカー協会の元会長で、最高顧問の長沼健氏が6月2日、肺炎のため逝去されました。享年77歳。
ここに、『日本の息吹』平成15年2月号及び3月号に掲載されました長沼氏へのインタビュー記事
「サッカーと大和魂」を再録し、謹んで哀悼の意を申し上げる次第です。


【前編】長沼健
(財)日本サッカー協会最高顧問に聞く
「サッカーと大和魂」─W杯イヤーを振り返って

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※『日本の息吹』15年2月号より。お申し込みはこちらから

●プロフィール
長沼健 (ながぬま けん)
昭和5年広島県生まれ。 昭和30年、古河電気工業入社。実業団のチームで数々の優勝を遂げると共に、日本代表としても活躍。29年日本が初めてワールドカップ予選に出場したスイス大会の対韓国戦で記念すべき初ゴールを決める。31年メルボルン五輪出場。37年日本代表監督に就任。東京五輪でベスト8、メキシコ五輪で銅メダルの快挙を遂ぐ。平成6年(財)日本サッカー協会会長就任。10年名誉会長。9年(財)2002年ワールドカップサッカー大会日本組織委員会副会長就任。現在は、(財)日本サッカー協会最高顧問。(財)2002年ワールドカップサッカー大会日本組織委員会特別顧問。(財)日本体育協会副会長。埼玉スタジアム2002場長。

●高円宮殿下をお偲びして

― 明けましておめでとうございます。
長沼◆いや実はあまりおめでたいという気持になれないんで、高円宮殿下のことを思うとね。
― 日本サッカー協会の名誉総裁であられました。
長沼◆明日が殿下の五十日祭なのですが、私は司祭に御指名があって、お通夜のときから、御本葬(斂葬の儀)、十日祭、二十日祭、三十日祭、四十日祭とずっと奉仕してきたんです。皇室では、喪が明けるまでは、本職の神官じゃなくて、御生前親しかった人に司祭を委嘱されるんですね。それで私にも辞令が来たわけですが、六人の司祭のうち三人までがサッカー協会の関係者だったんです。それは名誉なことですよ。私は生まれてはじめて衣冠束帯に身を包み、最初はなかなか慣れませんでしたが、謹んで奉仕させていただいております。

― 殿下に名誉総裁に就任いただいた経緯について。
長沼◆日本サッカー協会は、世界中のサッカー協会と連絡を取り合います。レターヘッドの付いた公式な用紙にタイプしてある文書が各国から来る。その中でもサッカーの母国、イングランドのレターヘッドというのが格好良くて、まず最初に「パトロン」とあって、これはクイーン・エリザベス二世です。それから「オナラリー・プレジデント」、これは名誉会長でケント公です。その次にようやく民間人である「プレジデント」の名が出て来る。「いいよなあ、これは」と思っていたところ、「待てよ、日本にだって皇室があるじゃないか」と。それで皇族方の中でもとくにサッカーに親しまれている高円宮殿下にお願い申し上げたのです。こうしてわがサッカー協会は「オナラリー・パトロン」(名誉総裁)を戴くことになったのです。
 殿下は、決してお飾り≠フ総裁じゃありませんでした。試合を御観戦頂く場合には、協会の責任者が御説明役を務めますが、我々が解説の必要がないぐらい、殿下はサッカーの知識が豊富でいらっしゃいました。ルールはもちろんのこと、「あの国には良い選手がいる」ということまで、本当に通≠ナいらっしゃった。

 また外国のチームが来て御観戦という場合、向こうの協会の役員がみんな大変に喜んでね。やっぱり皇室に対する認識というものは、世界中凄いものがあるんです。殿下は非常に気さくな方で、「良かったらうちでお茶の会でもいかが」とおっしゃってくださって、もうFIFAの幹部たちは皆、大喜びですよ。この間のワールドカップの時は、日本戦を担当したレフリー全員を「あなた方は一番大変な仕事だ」とお招き頂きました。両方のチームから褒められる審判なんていないんです。片一方は「まあまあだ」と言い、もう片一方は「何だ、あいつは」となる(笑)。そういう立場の審判たちを慰労いただいて有り難かったですね。やはり御認識が違います。こう申しては何ですけれど、皆、外務省かどこかが何かをやってくれるよりはるかに喜んで、「光栄だ」と言っていました。
 殿下にはスポーツに対して本当に正当な関与をして頂いたなあと思いますし、あれぐらい深い認識がおありの上で公正な見方ができる方は少ないと思います。「『ベタ褒め』、これは迷惑です。『必要以上にけなす』、これも迷惑なだけで何の進歩もありません。正当評価をしてください」ということが、ジャーナリズムに対する強い御要請でした。殿下は、自らもサッカーをおやりになって、お世辞ではなくとてもお上手でした。だから競技者の気持ちをよくお察しくださっていたのかもしれません。そのような殿下を本当に協会の事務局員に至るまでが、文字通り「敬愛」申し上げておりました。それだけに突然の御薨去は口惜しい限りです。

― あるスポーツ誌の追悼記事に、「サッカー界は偉大な名プレーヤーを失った」とありました。
長沼◆全くその通りです。私は会長在職中、ワールドカップの招致活動を中心にやっておりましたが、殿下にお供する機会も多うございました。コパ・アメリカという南米連盟が主催する大会に御一緒したときのこと。パラグアイにあるコパ・アメリカの本部を訪ねると、連盟挙げての大歓迎で、殿下に立派な勲章を差し上げた。そうしたら殿下はその場で一切原稿なしのスペイン語で御挨拶をされてねえ、それがまた見事で皆びっくりしましたよ。えらいもんだなあと。また南米連盟の会長主宰のパーティに行くと、マリアッチが呼んであって、そのメンバーの一人が殿下にパッとギターを差し出した。すると、殿下は「うん」とおっしゃって、弾かれたんですよ。取材に来ていた地元のプレスの連中も含めてみんな大喜びでね、取材のターゲットが殿下になっちゃって、すぐ横に国際サッカー連盟の会長もいたのに全然影が薄かった(笑)。掛け値なしで、本当に偉大な方でいらっしゃいました。
― 全世界が注目する先日のトヨタ・カップ(*1)の開会式においては黙祷が捧げられました。
(*1)トヨタ・カップ…欧州チャンピオンと南米チャンピオンがクラブ世界一の座を賭けて戦う大会。毎年日本が会場となり、昨年は欧州チャンピオンのレアル・マドリードが優勝した。
長沼◆それは当然の礼儀です。日本サッカー協会は、薨去あそばされた後の年内に行った全試合―Jリーグから全国高校サッカー予選まで―において、黙祷を捧げ、関係する全ての場で喪章を着けました。本部からの通達もありますが、やはりそれ以前に、皆が殿下を敬愛申し上げていたからなんですね。サッカーだけじゃなくて、例えば歌舞伎座でも、殿下がいつもお座りになられていた御席に花束が供えられたりしました。本当に広く国民に慕われた方でいらっしゃったのですね。

●天皇陛下に拝謁した日本代表

― 天皇陛下もワールドカップの壮行試合となった対スウェーデン戦からご覧になって本番の大会では決勝戦にお越しになられました。
長沼◆その壮行試合の後、陛下は選手たちを直接激励くださいました。国立競技場の貴賓室で、選手たちが着替えを終えるまで二十分ほどもお待ちくださったのです。そして全員が揃ったのですが、本当に戦前の世代の方が見たらもうひっくり返るんじゃないかと思いましたけれども、何と今時の若い者はパッと手を出して陛下に握手を求めるんですから。私などは「おい!」と言いたいぐらいでしたが、天皇陛下はニコニコされて応じておられました。皇后陛下は手を怪我して包帯を巻いていた選手(柳沢選手)には、手をさすられて「大丈夫ですか?」。あれには参りました。本当にお母さんですね。国母という言葉を思い起こしました。ああいうことを一回でも経験した人は、理屈抜きで皇室を敬う気持ちに絶対なりますね。
 それから昨秋の園遊会には日本代表の松田選手と明神選手が御招待を頂きましたが、実は愛子さまに子供用の日本代表のシャツをお着せして、そして両殿下も同じものをお召しになられて、お三方でテレビで応援されていたそうです。二人は殿下からその写真をちょっとお見せ頂いたそうですが、もったいなくもありがたい嬉しい話ですよ。
また、ワールドカップには、各国から王族がお越しになった。イギリスのアンドリュー王子、ベルギーの皇太子殿下ご夫妻。そういう時に他の国、例えばブラジルだったら大統領や首相が接待するのがベスト。ところが日本は皇族がお出ましになるんだから、先方もとても喜ばれるし、何よりも形が整いますよね。

●国民が一つになったワールドカップ

― 昨年のワールドカップを振り返られてのご感想は?
長沼◆よくやれたなあ、というのが実感です。それは協会だけじゃなくて、私はサッカーファミリー≠ニ呼んでおりますが、全国の指導者、選手、その家族、そしてサポーターたちの御尽力の賜物です。オリンピックが都市開催なのに比べてワールドカップは国開催ですから、全国津々浦々で皆さんが一生懸命にやられた結果だと思います。例えばカメルーンチームの到着が遅れてやきもきした大分県の中津江村など、あの事件ですっかり有名になりましたが、よくやっていただきました。
 また単独開催を目指していたのが日韓共催になって、いろいろ苦労はありましたが、その甲斐あって、韓国との距離が確実に縮まったことは良かったと思います。高円宮殿下は皇族として戦後初めて韓国を公式に訪問され、「これまで近くて遠い国≠ニいうのが定評だったのが、近くて遠くない国=Aここまでは来たね」と名言を残されましたが、本当にそのとおりだと思います。
 それからワールドカップをやって良かったことは、国民が一つになったことです。日本中が代表カラーのブルー一色に染まって、若者が日の丸の旗を振り、ほっぺに日の丸を描いて声の限りに国歌を歌った。あんなことは戦後久しくなかったんじゃないですか。それまでは何となくはばかる空気がありましたからね。それが皆心置きなく誰はばかることなく君が代を歌った。オリンピックの金メダリストのように、海外で君が代を聞いて日の丸が揚がるのを見た人は間違いなく愛国者になります。これは自然なことなんです。その自然なことが今回、国内でやれたじゃないかということです。
 日本の国旗、国歌に敬意を表する気持ちを持った人は外国の国旗、国歌に対しても敬意を表することができる。これが国際人ということなんです。その第一歩をあのスタジアムにいた人たちは踏み出したんじゃないか。相手国の誇りにしていることは大事にし、不幸に対しては理解を示すこと。同時に自国の良いところは認識し説明できること。そして悪いところは宣伝する必要はないが、わきまえておくこと。これが本当の国際人だと思います。
― 手書きの日の丸は、神道青年会が企画して配ったらしいですが。(*2)

(*2)神道青年会では、全国の少年少女に「君も日の丸を作って日本サッカーチームを応援しよう」と呼びかけたところ、全国各地から裏に子供たちの代表への熱いメッセージも添えられた四万四千枚の手書き日の丸が集まり、予選ラウンド二試合とトルコ戦でサポーターの手に渡りスタンドを彩った。(「神社新報」七・八付より)

長沼◆すばらしいことですね。気持はあるが、皆何か形がほしかった。そういう自発的内発的なものに形を与えたわけですね。


― しかも一方で、日本人が外国の旗を振ったりその国のユニフォームを着たりする光景に、外国の選手やサポーターたちが驚いたという話もありました。
長沼◆長野オリンピックのときに学校単位で、世界のどの国かを応援しようという企画があって、その一端がワールドカップに流れ込んだ。ナショナリズムが盛り上がったと同時にインターナショナル。素晴らしいじゃないですか。

●世界から絶賛された日本のもてなしの心

長沼◆ワールドカップの次期大会の開催国はドイツですが、その大会の組織委員会の会長は、有名な皇帝<tランツ・ベッケンバウアーで、彼が別れ際に私に言った言葉が印象的でした。「日本のお陰で、ドイツはつらい立場に立った。あれだけの完璧なスタジアムと完璧なピッチ(芝)は、ドイツには整備できない」と。そこで、私は次のように言ったんです。我々はサッカーの新参者でスタジアムは全て新しくつくったからきれいなのは当たり前で、ドイツは新しく作る施設は一か所ぐらいで、あとは今まである施設を使うのだから当然だ。むしろそれはサッカー先進国の証じゃないか、と。しかし彼は「それでもあのパーフェクトなピッチは、真似ができない」と言うんですね。世界中どこへ行っても、ゴールキーパーのポジションは芝が丸く剥げているんです。それが日本の会場では無かった。「手品じゃないかと思ったよ」と彼。「更に真似ができないのが、あれだけの完全なホスピタリティーだ。皆がお客を迎え入れる気持ちがすばらしい。それは言葉が通じなくても分かるよ。だから次のドイツは大変なんだ」。まあお世辞もあるでしょうけれども、嬉しかったですね。この言葉であの大会は成功したんだなあと私は実感しました。みんなそれぞれの持ち場で良くやりましたから。
 フーリガンも心配されましたが、御蔭で事故も怪我人もましてや死者など一人も出なかった。こんな大会は過去一度もないんです。日本がベスト十六に入ったことも良かったが、それ以上に安全に無事終えることができたことが何より嬉しかった。

― 高円宮殿下が、フーリガン対策について聞かれて「われわれが快く迎え入れたら、彼らは事を荒立てないはず」とおっしゃったとか。
長沼◆本当にそのとおりになりました。我々も警察も万全の備えは敷きましたが、観客の多くは日本人だから、指示をよく守る。そんな中で、騒いだら馬鹿みたいにみられるでしょ。

― 「日本人があまりに親切なので暴れるタイミングを与えられなかった」とフーリガンの元祖、英国のメディアは報じたそうです。今回は大会関係者だけじゃなくて、日本の一般庶民のレベルも評価されたわけですね。
長沼◆そうです。それは今回、我々は外国チームにお供をして地方に何度も行ったからよく分かっていますが、例えばこんな話があります。アルゼンチン代表が東京駅で新幹線に乗ったら、選手がみんなポケットから金を出してやりとりをしているので、何をしているのかと思ったら、何と「列車が定刻に新神戸駅に着くか、着かないか」で賭けていたんです。彼らの常識じゃ絶対に着かないのですよ。それで定刻派≠ヘ圧倒的に少数だった。ところが、新大阪あたりで「おい、こりゃ定刻に着くぜ」と大騒ぎ。そして新神戸にはピターッと定刻に着いたのです。「信じられない、こういう国があるのだ」と驚いていました。こういうことは日本人として誇りにして良い。それこそ殿下の言葉ではないが「適正評価」ですよね。
― 他にも電車のお金がなくて困っていたら見知らぬ日本人が一万円くれたとか、コインランドリーの場所を聞いたら、その人が自分のうちで洗濯してくれたりとか、日本人の親切さに驚いた人も多かったようですね。
長沼◆だからマスメディアの方にお願いしたいのは、「日本は駄目だ」という話題ばかり大きく取り上げるのはやめてほしいということです。グッドニュースとバッドニュースと並列してやってもらいたい。

●八咫烏と日本サッカー

― 今回、日本人のメンタリティが世界に評価されたことの意味を私たちはそれこそ適正に受け止めるべきですね。国旗、国歌についての認識、日本人らしさの認識、つまりそれは日本の歴史や伝統を大切にするということだと思いますが、その意味で、今日ではすっかりお馴染みになった協会のシンボルマークにも注目してみたいのですが。
長沼◆八咫烏(*3)ですね。

(*3)太陽の象徴で魂を運ぶ烏とされる八咫烏(ヤタガラス)は、神武東征軍を熊野から大和に導いた故事にもとづき、皇室でも瑞鳥とされてきた。熊野三山でも熊野の神の使いの烏として崇められている。(熊野三山協議会ホームページより)

一九三一年に正式に協会の旗章に採用されたのですが、現代でも古臭くない。海外でも関心が高くて、「あれは何か」とよく聞かれるんですよ。それで英文の説明書を用意させました。こういうデザインのものを制定された先人は偉いなと思います。中国の古い話に三本足のカラスが太陽に棲むという。太陽といえば、日本のシンボルですね。それでこれいいよな、と思っていたら、八咫烏ゆかりの地、熊野に熊野速玉大社、熊野本宮大社、熊野那智大社、那智山青岸渡寺の三社一寺から構成されている熊野三山協議会というのがあって、一昨年、そこからお招きがあり、必勝祈願をして頂きました。昨年春にも行って、必勝と書いたボールをお供えして祈願した。熊野那智大社の八咫烏の銅像が向いている方向が橿原神宮なんです。

― 神武天皇の道案内をした鳥ですからね。
長沼◆そうですね。それで方向を示した鳥というのはゲンがいいじゃないか、と大いに意を強くしました。御蔭で大会は大成功だったから御礼に行かなきゃと思っているんですがね。いいところですよ。俗化されてなくて、神々しい。伊勢神宮や出雲大社もそうですが、空気が違う。熊野三山を世界遺産に登録してもらえないかという話もあるらしい。

― 熊野は日本サッカーの草分け、中村覚之助さん(*4)の出身地でもありますね。
長沼◆日本サッカー界の先人です。明治何年かに出した、「フートボール」という本があって、サッカーを隈なくうまく紹介している。その子孫の方が地元に住んでいらして、会いに行きましたし、覚之助さんの墓所にもお参りしました。
(*4)中村覚之助…我が国に初めて本格的なサッカー競技を翻訳、紹介した日本サッカーの草分け。明治三十六年、東京高等師範学校の運動部長だった坪井玄道教授が海外視察から持ち帰った「アソシエーション・フットボール」の解説書を同部理事の中村覚之助が翻訳、これにより、サッカーのルールや練習法など競技の全容が初めて明らかになった。

― 日本サッカーのルーツと日本国のルーツが重なり合うのは興味深いですね。
長沼◆奈良には「八咫烏」というお酒まである。昔からあるらしい。一度協会の何年祭かのときに鏡割りは「八咫烏」で行こうという話をしたことがある。こういう縁ていいよね。神話とのね。

― 平安時代の蹴鞠の名人もよく熊野に参詣していたそうですね。
長沼◆やっぱりつながっているんですね。考えてみたら京都、奈良、熊野と縦の線でつながっている。日本のルーツにつながる何かがある。いいことですよ。ヨーロッパだってポセイドンとか神話が残っている。アメリカみたいな歴史がない国はかわいそうだよ。ヨーロッパに行ったら千五百年前の建物なんかありますものね。だからヨーロッパ人はこういいますね、「アメリカ、ノーヒストリー。ソーリー」。気の毒だ。そういう意味じゃ僕らは子供のころ、紀元二千六百年といって、紀元節の歌を歌って提灯行列しました。信じ込んでいましたね。でもそれでいいんですよね。神話に基づいているって素敵じゃないですか。今、ちらっとそういうことをいうとすぐ右翼とか何とかいわれるが、神話の方こそいい迷惑ですよ。
― ようやく、そういう戦後の殻がワールドカップで破られた気がします。
長沼◆本来に戻るということですね。[後編に続く](平成15年1月8日インタビュー)

後編は……日本代表の戦いとその将来、サッカーと教育、日本サッカーの父・クラマー氏の薫陶、長沼氏のサッカー人生に迫ります。


※『日本の息吹』15年2月号より。お申し込みはこちらから