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日本を語る
戦後レジームを見直し、
  美しい国の新憲法を


元厚生労働副大臣・前衆議院議員
えとう せいいち
衛藤晟一氏に聞く  公式HP http://www.eto-seiichi.jp/
                     ・応援ブログ http://etou-seiichi.blogspot.com/

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※『日本の息吹』19年5月号より。お申し込みはこちらから

●プロフィール
衛藤晟一(えとう せいいち)
昭和22年大分市生まれ。大分大学卒業。25歳で大分市議会議員、31歳で県議会議員に当選。平成2年衆議院議員に初当選(4期当選)。自民党社会部長、運輸政務次官、衆議院厚生労働委員長、厚生労働副大臣を歴任。日本会議国会議員懇談会事務局長、拉致議連事務局長(のち副会長)などを務める。

●安倍首相と共に
― まずは自民党への復党を果されたご心境から。

衛藤◆日本会議の同志の皆様、福祉関係の皆様をはじめ多くの方々のご支援をいただき、復党することができましたことに心から感謝しております。

― 安倍首相の強い後押しもありました。

衛藤◆安倍首相とは早くから政治的志を同じくする同志です。自民党の綱領から自主憲法制定の文言を外そうという動きがあったときに、安倍首相らと共にそれに反対して文言を残させました。また、私が自民党の社会部会長のとき、安倍首相にはその副部会長をお願いし、一緒に介護保険や障害者対策、少子化対策、医療、年金問題等について議論をしてきました。

 終戦五十年の平成七年には、いわゆる従軍慰安婦問題がすべての中学生用歴史教科書に載ったことに危機感を覚え、「日本の前途と歴史教科書を考える若手議員の会」(中川昭一会長)で、安倍首相が事務局長、私が幹事長として、反日偏向教科書是正に取り組みました。拉致問題では拉致議連の事務局長として、北朝鮮経済制裁法などの成立に尽力してきました。

 また家族の絆を守るために夫婦別姓やジェンダーフリーに反対し、言論の自由を守るために人権擁護法案に反対してきました。終戦六十年には「靖國神社二十万参拝運動」を提唱し、多くの国会議員とともに靖國神社に参拝しました。
 その志を同じくする安倍さんが首相となり、「美しい国日本」構想を示されました。国土や自然景観だけではなく私達の暮らし、生き方が美しい。そういう国を目指すという意味で、まさに戦後六十年にして初めて発足した本格的保守政権だと思います。私も微力ながらその国づくりの一翼を担いたいと思っています。

●悲願だった教育基本法の改正

― 安倍政権は教育改革に力を入れています。

衛藤◆いじめ、親の子殺し、子の親殺し、駄目教師の横行など、まさに戦後教育のツケが一挙に吹き出しているのがいまの教育の現状ですが、その一番の問題は、責任の所在が不明瞭だったということだと思います。学校、教師、家庭、教育委員会、国…その誰も責任を取らない構造になってしまっていた。このたび六十年ぶりに教育基本法が改正され、家庭、学校、国の責任が明らかにされたことはとても意義あることだと思います。

 教育基本法の改正は私も政治家を志して以来の悲願の一つでした。憲法―教育基本法体制という戦後レジームの一角が六十年ぶりに崩された。次はいよいよ憲法改正と思っています。

●無責任体質を助長した現行憲法

― いま国民投票法案が論議されていますが、国民投票で過半数を得るのは容易なことではありません。憲法改正を国民にどう分かりやすく説明されますか。

衛藤◆よく九条が問題になりますが、九条は前文とセットなんですね。その前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあります。その事実誤認の世界観もさることながら、私は、国家の安全と世界秩序の維持のために自ら立とうという覚悟がなく、ただひたすら他国に依存しようというその物言いこそ問題だと思います。つまりは無責任なんです。その精神構造をこそ変えなければならない。「諸国民の公正と信義に信頼して」とは、諸国民の不正は見て見ぬふりをするということです。

 そんな偽善が戦後六十年間日本人の精神を蝕んできた。そのことが拉致問題を未だに解決できない背景にあると思います。我々は今こそ、自分こそがこの国を背負って立つんだという自覚に立つべきです。そのために憲法は改正されなければならないのです。

●皇室こそ「美しい国」の中核

― 冒頭、自民党綱領を守ったお話をされましたが、先生に自民党をして本来の保守政党に帰らしめることを期待して復党を支持した人も多かったと思います。

衛藤◆自民党結党の理念は、日本の伝統、歴史、文化を守り、国民の生命、財産を守り、自由と民主主義を守ることにあると思います。
 私は、障害者福祉をライフワークとして三十数年取り組んできましたが、人間は皆それぞれ無限の可能性をもっている。それを引き出すのが教育の役割の一つですが、障害者も同じで、その持っている能力、可能性をいかに引き出して社会に還元していくかという視点から福祉を考えてきました。高齢者や障害者を社会から隔離するのではなく、それぞれがその持てる力を十分に発揮して社会のかけがえのない一員として同じ地域社会の中で生きていく。おじいちゃん、おばあちゃん、障害をもった人々も健常者や若い人たちと一緒の地域の仲間として暮らしていく。そういう温かい社会。それこそ日本人が昔から考え実践してきた幸せの智恵だったのではないか。日本人の生き方、つまり文化がそこに現れているのです。
 そして、古来より障害者福祉に深い御心を寄せてこられたのが皇室でありました。

 平成二年、私は国会議員に初当選させていただきましたが、当時、天皇陛下の御即位の大嘗祭に捧げるお米を大分で作ることとなり、左翼過激派からその田んぼをお守りすることが国会議員として最初に取り組んだことでした。
 皇室を中心として温かい共同体を育んできた美しい国日本。戦後レジームを見直し、その本来あるべき美しい国づくりに向けて、身を粉にして尽力する所存です。(三月二十三日インタビュー)

※『日本の息吹』19年3月号より。お申し込みはこちらから