『日本の息吹』平成8年2月号掲載
世界の神話の最高神たちの中で、アマテラス大御神の優しさは際立っている。それこそ、日本神話最大の特色であり、皇室を中心とした我が国が今日まで続いて来ていることの原点ではなかろうか―。
■ 皇室の神聖な淵源
アマテラス大御神が鎮座まします伊勢の皇大神宮(内宮)正殿
『古事記』と『日本書紀』に記されている我が国の神話は、全体が言うまでもなく、皇室がどのような神聖な淵源を持つか。そしてその皇室を、歴史の転変を通して常に、中心に崇敬の対象として戴き続けることがなぜ、わが国の尚久にわたる盛栄と、不可分の関係にあるのかということを説明している。
その説明はとりわけ、神話全体のまさにクライマックスになっている、天孫降臨の話の中で、もっともはっきりとされている。それによると、高天原の天神たちの女王で、太陽の女神のアマテラス大御神が、自分の嫡孫である天孫のホノニニギの命に、地上に降りて行って、豊葦原の瑞穂の国と呼ばれることになる、日本の国土を支配するように命令した。そして皇権のしるしとして、ヤタの鏡とクサナギの剣とヤサカの曲玉との「三種の神器」を授け、一群の天神たちに供奉させて、天から地上に降らせ、それが皇室の嚆矢になったのだと物語られている。
『日本書紀』にはアマテラスはこのとき、ホノニニギを送り出すに当たって、次のような厳かな詔勅を述べたと記されている。
葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の国は、是(これ)、吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)就(い)でまして治(しら)せ。さきくませ。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壌(あめつち)と窮(きはま)り無けむ。
つまりこれによれば皇室は、その祖母神で天上の神界の女王の太陽神であるアマテラス大御神から、日本の国土の支配を任せられている。そしてその支配する国が、天地と共に永遠に隆昌し続けるという確かな約束を、与えられているとされているわけだ。
■ 際立つ女神アマテラス大御神の優しさ
他の神話の最高神たちは凄惨な戦いに明け暮れている―ギリシャ神話の最高神・ゼウス(右)とその妻ヘラ
ところでわが国の神話でこのように、皇室の尊位の源で、その模範でもあるとされているアマテラス大御神には、世界の他の神話でそれと対応する地位にある神たちと比較してみると、際立った特徴がいくつかある。第一にまずアマテラスは、神界の王者の最高神であるのに、女神であることで、他の神話の最高神たちと、はっきりちがう。なぜなら他の神話では、天上の神々の王で地上の王の模範ともなる最高神は、ギリシャ神話のゼウスをはじめ、ローマのユピテル、ゲルマンのオージン、エジプトのラー、バビロニアのマルドゥク、ペルシャのアフラ・マズダー、中国の天帝など、男の神であるのが通例だからだ。
その上またこれらの他の神話の最高神たちは、敵を容赦なく滅ぼし、罪を苛酷きわまりないやり方で罰する、きわめて恐ろしい神であることが、いろいろな凄惨な話に、本当にびっくりするほど生々しく物語られている。ところがアマテラスは、それとはまさに正反対に、じつに徹底して優しくて慈悲深い。そのことはスサノヲが高天原でした悪行に対して、アマテラスが取ったとされている態度に、とくにはっきりと示されている。
『古事記』によれば、スサノヲはまず、アマテラスが高天原で作らせていた田を、畦(あぜ)を壊したり溝を埋めたりして、めちゃめちゃに荒らした。その上その田で取れる新穀を、アマテラスが召し上がる祭りのために準備されていた、神聖な御殿をなんと、大便をし散らして汚してしまった。ところがこんなひどい乱暴をされても、アマテラスはスサノヲを罰しもとがめもせずに、無理に言いつくろって彼の罪を庇い許してやった。
ところがスサノヲは、この温情にかえってますますつけ上がって、なお悪行を止めず、しまいにはアマテラスがそこで神の衣服を織らせていた、これも神聖な御殿の屋根に穴を開けた。そしてそこから皮を剥いだ血みどろの馬を投げこんだ。それでそれを見て、機織りに従事していた女神のアメノミソオリメが、びっくりしたあまり、手に持っていた横糸を通す道具の梭(ひ)を、自分の体の局所に突き刺し、それが致命傷になって死んでしまった。そうするとアマテラスは、この事件に対してはたちまち、激しい嫌悪を示して、天の岩屋の内に閉じ篭ってしまったという。
この話からアマテラスが本当に、信じられぬほど優しくて慈悲深い。だがその徹底した優しさのために、殺害だけはどうしてもがまんできぬ性質の持ち主だということが分かる。そのことは『日本書紀』に記された、次の話からも確かめられる。
あるときアマテラスの弟の月神ツクヨミが、姉の大御神に命じられて、地上にいた食物の神ウケモチを訪問した。するとウケモチは、自分の口からご飯や魚や鳥や獣の肉を吐き出し、ツクヨミに御馳走しようとしたので、それを見ていて汚いものを食べさせられると思って激怒したツクヨミは、剣でウケモチを斬り殺してしまった。そして高天原に帰って事の顛末をありのままに報告したところが、アマテラスはその乱暴に立腹し、もうツクヨミとは顔を合わせぬことにすると宣言した。それでこのときから、太陽と月とが、昼と夜の空に別れて出るようになったのだという。
■ 生まれながらに光りうるわしく…
アマテラスの特質はまた、その天上の王位へのつき方にも、はっきりと見られる。この女神は生まれながらにして、『日本書紀』に「此の子(みこ)、光華明彩(ひかりうるは)しくして、六合(くに)の内に照り徹る」と言われているような、まさに明々白々な天稟を身に備えていた。それで誕生するや否や、何の抵抗も受けず、ごく自然に高天原の女王になったのだとされている。これは他の神話では、最高神たちが原古に血みどろの戦いをした。そして多くの場合に肉親であった敵を惨殺して、天界の王の地位を手に入れたと物語られているのと、まさに対蹠的にちがう。
このような大御神を、皇室の淵源の最高神格と仰ぐことで、わが国の神話には明らかに、他に類例が見出せぬほど、じつに際立った特色がある。そのことと、その神話に根差す皇室が、わが国では現在においてもなお、中心にあって崇敬を受けながら、文化の基幹の作用を果たし続けていることとは、無関係ではとうぜんありえない。
歴史 ─ 悠久の歴史と先人の歩みに学ぶ