main_01.gif
憲法 ─ 新憲法の制定で日本再生を
平成14年11月3日
第2回憲法フォーラム

kenpo004.png
国の姿と憲法

櫻井よしこジャーナリスト

日本の国の姿とは

私は自分の仕事、さまざまな取材の中で、この国のおかしさについて気付くことが多うございました。それは一体、何に由来するのだろうと考えたとき、突き詰めればそれは憲法に行き着くのではないかという気がしております。
憲法が我が国の姿を表すものであり、我が国の文化・文明を象徴するものであるとしたら、憲法というものを考える時に、私たちはこの今の憲法の成り立ち、歴史のみを考えるのではなく、もっと古くからの日本国の姿を振り返ってみる必要があるのではないでしょうか。
渡辺京二さんが書かれた『逝きし世の面影』(葦書房刊)という本には、外国人が見た日本の姿が綴られています。例えば、明治期の高名なジャパノロジストの一人、チェンバレンは、江戸末期から明治維新の頃、つまり一八五〇年代、六〇年代の日本について、「何と風変わりな、しかし何と美しい絵のような社会であったことか」と書いています。また日本に開国を要求したハリスの通訳だったヒュースケンは、「この国土のゆたかさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑声を聞き、そして私はこの国のどこにも、悲惨なものを見いだすことができなかった」。彼らは日本人を「地球上、最も礼儀正しい民族」と讃えております。このように、かつての日本人は、日本独自の文化・文明の中で調和のとれた素晴らしい生活をしていたのです。ところが、明治近代以降の歴史を経て、今やかつての素晴らしき日本は、歴史の記憶の彼方へ失われてしまいました。

日朝交渉に見る戦後の縮図

憲法を読んでみると、なるほど今の我が国の姿が、ある意味で投影されていると感じます。
今、新聞もテレビも雑誌も、日朝問題で埋まっています。平壌宣言には、「拉致を北朝鮮という国家がしたこと」も、「それに対して総書記が謝罪をした」ということも書き込まれていません。私は、この宣言に署名をした小泉首相だけを責めるつもりは毛頭ありません。問題は、日本国は主権国家として自分の立場を主張することが出来るか、日本国は国家として国民の利益を守ることが出来るか、ということであり、この日本人と日本国の安全の問題について、戦後の我が国はほとんど考える必要がないままで来た結果が、この平壌宣言に署名したことにつながっていったのではないかと思います。
平壌での交渉を見ておりますと、我が国政府には自分の頭で考えて臨機応変に行動するということが出来ないのではないか、日本国には考える能力というものが不足しているのではないかということを感ぜざるを得ません。それは理由のあることです。戦後の日本国家が、一にも二にも占領国でありその後の日米安保条約の締結国として日本を守ってくれるという立場に立ったアメリカの後をくっ付いて行くだけで、大方のことを解決することが出来たからです。
日米安保条約で得たものは大きかったとしても、それ以上に大きなもの、即ち、独立国家として自分の国を自分で守る気概と能力を失ったのです。アメリカの庇護下で、日本はまるで我儘な子供のように振舞ってきました。

憲法が反映された戦後社会

憲法にもその好き勝手が表れています。例えば、「国民の権利及び義務」と題された第三章。これを読むと極めて強い違和感に襲われます。「権利、自由、責任、義務」という言葉が、どれぐらいの頻度で出て来るかといいますと、「権利」が十六回、「自由」が九回、「責任」が四回、「義務」が三回です。我が国の憲法では、権利と自由が重要視されて、責任と義務が過小評価されているのです。
このような憲法の精神が、諸々の法律、条令に反映されて今の日本国が出来ているのだと思います。そう考えれば、今時の私たちの社会の有り様というものは、なるほどそうか、憲法に書き込まれた一つの側面というものを社会現象として表しているのではないかということに思いが至るのではないでしょうか。
かつて日本を訪れた外国の人々は、「日本には貧しさはあるけれども、貧困はない」と言い、また、「貧しさを補って余りある気高さがある」と言いました。戦後の日本が、このような側面を根こそぎなくしてしまったかのような現状は、どこに由来するのでしょうか。私たちは憲法がかつての日本の素晴らしい文化・文明の名残をどこにとどめているのかと、問わなければならないと思います。
こうして見ますと第三章を始め、我が国の憲法の在り方、憲法が象徴する日本国の在り方というものは、大きな修正を迫られていると思います。なかでも最も重要なのは第九条であろうと思います。国家の自立には幾つかの要素が必要です。例えば経済的な自立、政治的な自立……。しかしそれらを支えるものは軍事力の保持です。自分の国は自分でしっかりと守ることが出来るだけの安全保障上の柱というものを、我が国はしっかりと立てていかなければなりません。安全保障について一人前になってこそ、初めて自立した独立国家を築く土台が出来るのです。それをした上で一人一人が自立した国民として何を責任と考え、義務と考えるか。これが憲法を考える時の一番重要
な鍵であろうかと思います。



偽りの憲法

村田良平日本財団特別顧問・元駐米大使

憲法を嫌う理由

日本国憲法は昭和二十一年十一月三日に公布されましたが、その日以降、私はこの憲法を敬意をもってみたことは一日もありません。いわば憲法を嫌ってきた人間です。なぜか。一つは他国に強制された憲法を持つということは、プライドがある国民がすることではない。日本の憲法は日本人がつくるということでなければならないと思うからです。
もう一つは、この憲法には、偽りや奇麗事があるからです。そういうものを受け入れるのは理性を持つ人間がすることではない。例えば、憲法の規定とおよそ掛け離れたものが自衛隊であるということは今後一層、露骨にみえてきて、諸外国はその乖離について日本に対して益々不信感を募らせるでしょう。私は、そもそも憲法が果たして法律として有効か、ということにも根本的な疑問を持っています。占領軍は占領した国の法律を尊重しなければならないというのは、国際法の大原則であって、しかも、当時の日本は、ポツダム宣言によって、主権を極度に制限された状態にありました。主権を制限された国民、国会にこのような基本法を制定する権能はなかったのです。日本国民の総意というけれども、昭和二十一年に日本国民の総意などなかった。ここに非常に大きな嘘があります。

前文と九条の問題

とくに問題と考えるのは、前文と九条です。
前文には日本という国に関する特性、例えば伝統や文化、自然など全く触れられていない。また、文章自体が正しい日本語ではなく、翻訳された日本語です。それに長すぎる。世界の他の国の憲法の前文はもっと簡潔に書かれてあります。内容も「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」とあるが、現実には、日本の国民を拉致して多くの人の命を奪った国が日本の近くにあるわけです。また、「国際社会は専制と隷属、圧迫と偏狭を永久に除去しようと務めている」とあるが、そんなことは戦後どこでも行われていない。現実は、世界をよくしようという力も働いていれば、それを覆そうと働いている勢力もあるのが国際社会です。また、「いずれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって」とあります。一番これに反することをしているのは自国の利益を至上命題として行動しているアメリカ合衆国であろうと思います。
次に第九条二項。これにより私は個人的にも被害を蒙り苦労しました。というのは、私は湾岸戦争のとき駐米大使でした。アメリカの政府はもちろんのこと、上下両院、マスコミ、テレビ、新聞等に対して、なぜ我が国が自衛隊を派遣することができないかを説明する責任がありました。憲法第九条を引用して説明する以外に方法はありませんでした。しかしそれではなぜ改正しないのか、というのが普通の反応でした。仕方がないから、アメリカが押し付けた改正要項は極めて厳しくて…と頭を下げて回ったわけです。しかしこの努力はまったくの無駄で、日本という国は血はおろか汗すら流さない、小切手だけを切る国だと非難を浴びました。

憲法、東京裁判、日米安保

私は役人として安全保障に関する国会の議論を四十二年間聞いてきましたが、実に時間の無駄の多い机上の空論、日本の防衛の本質的なこととは関わりがない議論が多すぎました。
この憲法のとくに前文、九条の規定と東京裁判によって、日本の外交はことなかれ主義外交になってしまいました。とにかく外国と事を起こさないことをもってよしとするということが戦後の日本の外交の基調です。そして外国に内政干渉をしばしばされております。靖国神社の問題しかり教科書問題しかりです。極東で平和が保たれたのは平和憲法の賜物であるという謬論があります。実際には極東の平和を守ったのは、日米安保条約でした。しかもこの条約の憲法的根拠というものは法律的にはありません。行政行為として政府が行っただけです。つまり、憲法は極東の平和には何の寄与もしていない。
ただ、安保条約によって日本は米国の保護国となったも同然なので、ことに冷戦が終わった今日、対等な国同士の条約に改めるべきと思います。今日、戦争の中身が変わってきている。九月十一日のテロ以降、ブッシュ政権は、予防戦争という概念を打ち出しています。アメリカへの脅威とみなされる大量破壊兵器製造などを行っている国に対する先制攻撃は合法であるというわけです。これがイラクに対する米国の攻撃の理由づけです。戦争とは何かということ自体この五十年間で変わってきた。その意味でも現行憲法は時代遅れです。



民間憲法臨調報告書
(平成14年11月3日)
概要

一、すみやかに憲法九条改正に取り組むとともに、安全保障関
係法規を整備し、政府解釈を即刻、変更すべきこと
(1) 憲法九条二項を削除し、軍隊の保持を明記すべきである。
(2) 積極的に国際協力主義を持ち出すべきである。
(3) この憲法改正への取り組みに先行して、政府解釈の是正および安全保障基本法などの法整備にも同時に取り組むべきである。
二、憲法改正の条件を緩和し、「憲法改正国民投票法」を制定すべきこと
(1)憲法改正の条件を緩和すべきである。
(2)「憲法改正国民投票法」をただちに制定すべきである。
三、前文においてわが国の歴史、伝統にもとづく国家像をうたうこと
四、国民の権利・義務についても、わが国の歴史、伝統、文化をふまえ、抜本的な見直しをはかること
(1) 国家的、公共的利益をふまえた権利・義務の概念を確立すべきである。
(2) わが国の歴史・伝統をふまえた政教分離規定を設けるべきである。
(3) 知的創造、環境、プライバシーなどに関する新しい権利の導入および家族尊重規定の新設などについて検討すべきである。
五、二院制の特色を発揮させるための改革に取り組むべきこと
(1) 衆議院の法律案再議決要件を緩和すべきである。
(2) 参議院に与えられている内閣総理大臣の指名権を廃止すべきである
(3) 裁判官弾劾裁判所の組織方法を改めるべきである。